エリザベス=流星号をよろしく

#友人Tの父上が、心臓が悪く糖尿病やなんや、いろいろ持病があって、とうとう敗血症になった。私の父も最後は敗血症だったが、昔も今もこれになると助からないことが多くい。40度を超える熱が何日も続き苦しい思いをする。もっとも本人は意識がないことが多い。この家族にとってははすこぶるわがままで面倒なお父上が、しかし、少しは意識があり、お母さんにとってはただ一人の生きがい、大切な、替えがたい存在なのだった。この父ちゃん何を考えたか池の水を抜き、畑にした。大方の作業を一人でやってのけたが、作業中に足をケガする。糖尿病があるのであっという間に全身に菌が回り高熱が出てつまり、敗血症になった。齢82歳。声をかけると薄目を開け、返事はする。切って治れば、元通りになる。代償として足は膝から下がなくなるが。

 

 

T子「一体どうしたらいいかしら?」

 

相談を、と言ってどうにもできるわけでもない。地域の中核病院で手に負えないと言われ、先進医療ができる病院のICUに運ばれた。当初はジリ貧に思われたが、検査の数値が奇跡的に持ち直し、意識も呼べば目を開け、少し話す程度になった。ここで家族は医師によって決断を迫られることになる。

 

「今なら、足を切れば助かる可能性があります。12時間以内にどうするか決めて下さい。明日手術しないなら生き延びる望みは0で、どちみち数日中に亡くなるなので、管は全て外して後方の(看取る)病院へ転院して下さい。」

 

家族には、ここで死なせる決心がつかなかった。当人の妻は五体満足で死なせてやりたい(私に言わせるとかなり文学的な感覚だと思うが)と言い、手術に反対だった。しかし子供たちには、今ここで死なせる決心がつかない。また、妻も夫に死なれたら一人では生きられない人だった。

 

このケースを、うちの夫にどう思うか聞くと

夫「S病院(ほどの病院)が切るしかないと言ってるなら切るしかないだろう。」 

これが私の足だったら?

夫「もういいかなぁ。安楽死。」 エー−−っ!

夫「あんたはどっちと言って欲しいのよ?」 ・・・・・ワカリマセン。。。

 

 

 

 

#ところで、このTさんのお父さんは倒れるまでいろいろ病気はあっても一応認知症もなく自分で歩いてぴんぴんしていた。ここらの方言でぼっけもん、というが、言うことを聞かない、常識を外れた豪胆なことをする奴、というような意味か、、、この手の人だった。繰り返しになるが、倒れる直前 家の池の鯉を全部捕まえてひねり出し、そこに土を入れてスイカを植え、畑にした。その時 木片か金属片か何かで足にけがをし、その傷からバイ菌が入り持病もあってあっという間に敗血症になった、という経緯である。

 

この夫婦の間には複数の子供が居て10人余の孫がいた。その孫の一人に不登校になった勘の強い子が居て、少し霊的なインスピレーションがある子だった。この子がしきりに池のことを気にするので、その子の叔父さんに当たる人がやむなく父親が埋めた池の土を出してまた水を入れようとする。ところがお父上はご丁寧にも 池底をはつって(斫る はつる 岩盤やコンクリート、セメントなど固めたものを機械で砕くこと)(水はけが良くないと植物が根腐れすると思っての事だろう、)破っておいたらしい。池の底は割れて水は溜まらず、底の割れ目から土の中へしみ込むようになってしまった。

 

 

しかし、足を切る手術の後も高熱が続いていたお父さんは、T子さんの弟が池の土を出した時点で急速に解熱し、食べ物を管で入れるところまで来た。

 

 

T子「弟はどうせ水をためても魚を飼わないとボウフラが湧いて困るだけだよ。もうこれでいいや、ってそのままになってる。」

 

ナ「・・・・そこらで売ってる修復材買って来てヒビを埋めて、池、元に戻した方がいいんじゃない? もしくは、・・・拝み屋さんに来てお祈りして貰う、とか?」

 

T子「うーーん・・・」

 

今でこそ経験上、私もこんなことを言うようになったが、、、昔は私も 事業所の私の使っている部屋の裏に池があって水神が祭ってある、当時 居たスタッフが、水の音が五月蠅いし枯山水にしたらどうですか、と言ったことがあった。今思うとようこそしなかったものだ。あの時それも悪くないかなあ(と思ったのは池の水が漏れて修復にお金がかかりそうだったため)と思ったのだが、枯山水にするとするとそのためにまたお金がかかる、と思ってやめたのだった。

 

 

その後、私の住んでいるT駅付近は大規模な(K県の都市計画は本当に凄い規模でやる。どこまで意味があるのかと反感を持つこともあるくらいだ)駅前の再開発があり、住宅の移転が相当数あった。そのため池があったり水神が祭ってあったりする所がなおざりに放置されたりお祓いも無く埋められたりして、そんな家の人に変な病気が相次いだ。訳の分からない高熱だったり、白血病のような恐ろしい病気だったり。偶然と言えばそうかもしれない。でも本当に多いのである。そういうわけで、信じているわけじゃないけど信じている、というような、実に曖昧な私になってしまった。自然科学者がそんなことを言って良いのか、という思いと、でも本当にそうなんだからしょうがないじゃない?という思いと。

 

 

 

 

 

 

 

 

#某会議で。最後にスタッフの一分間スピーチというのがあり。近況、疑問、その他何でもどうぞ。それに対しナスカさんが一言コメントをつけます、というコーナーなのである。面白いなと思う話題については文章化して広報誌に載せる。

 

今日のはSさんのもの。

S「私の子供は二人とも障害があって多動なんです。幼稚園の時は何も問題はなかったのですが、PTAで子供の障害のことを話してありました。でもいろいろ言われて。あなたが言ったせいで、同じ障害を持つうちが変な先入観を持たれて子供の人間関係がうまくいかなくなった、とか、うちの子ももしかしたら同じ障害じゃないか、とか、波紋が凄かったんです。

 

今小学校に上がって、まだ障害のことは誰にも何も言ってないのです。それは幼稚園の時の同じタイプの障害のあるお母さんに、言わないでくれ、と言われたからなんですが、私は言っておいた方がいいんじゃないかと思うんです。今うちの子は学校で問題児になっていてうまくいってません。言った方がいいでしょうか、どうでしょうか? 皆さんのご意見を伺いたい。」

 

 

ナ「それはあなたが決めることです。あなたがよくよく考えて、言うべきだと思ったら言うことが正しいし、言わないでおくべきだと思ったら言わないことが正しい。要は、あなたの家、あなたの旦那さんとあなたの価値観や方針で決めて行くことだから、二人でよく話し合ってどうするか決めなさい。決めたら自信を持って、事を進めなさい。決めた後には誰が何を言っても決して迷ってはいけない。」

まるで占い師のようだ>私

 

 

 

#話していて、足を切るも障害を話すか話さないかも、とどのつまりは同じだよなァ。つまり、正しい、正しくないはない。価値観の問題なのだから、思い切り迷って答えを何とかひねり出し、その時点ではその答えがベストだと思って進むしかない。決めたらその方針は決して変えないし迷わない。

 

(ただ、足の話はタイムリミットが12時間しかなかったからなあ。12時間では人の生死は決められない気がする。本人なら決められるかもしれないが。人はそう簡単に死ねるものではない。神の決めた時が来るまでは。)

 

 

 

 

 

#福島で関東在住のみんなと話したとき、1人を除き、車は持っていないと言っていた。

 

「だって要らないもん。バスは5分とか、長くても7,8分待てば来るし電車はいくらでも来るし。ナスカちゃんそんなローカルに住んでるの?」

うーん 車がないと生活できない。バスは1時間に1本来ない時間帯もあるしなあ。私はみんなが大好きだが、東京23区の人に土人(かなり好きな死語・放送禁止用語)の暮らしへの理解はちょっと難しい気がした。

 

 

車は、マツダ(ずっとマツダファン!! 頑張れマツダ!)のアクセラに乗っていたのだが、ある日ナスキがどうしても車が欲しいと言い出した。曰く実習で県内遠隔地の実習先に通わねばならない事が増え、車が無いのは負担になる、というのである。どうしても親が買えないというなら自分で10万の軽でもいいから買うという。

 

仕方なく私のをやることにした。6年めの車検が来るところだが、故障無くよく走るし、ある程度大きいから高速走行にも耐えるだろう・・・・。私には少し大きいな、と思い始めてはいた。買った頃は 大人の体格になった子供たちや夫を乗せて走ることが殆どだったが、今は車はほぼ一人でしか乗らない。もう大きな車でなくても良かった。でも、大好きな相棒だった。

 

 

まあ今度買うとすると、デミオクラスでいいかな。エンジンはパワーがあって燃費の良いマツダのウリのクリーンディーゼルにしよう。ジジババ向けの安全装置がフルでついているのにしたい。オートクルーズ、自動ブレーキ、衝突回避装置、誤発進・急加速抑制、ライト上向きでも対向車を幻惑しないシステムなどなど。一人しか乗らないので小さい車でいい。皮のシートは嫌いだから布のやつ。色は青。好みや指示が明瞭なので車屋さんは楽だと思う。

 

 

かくしてデミオはやってきた。

そしてナスキに渡すため車検を済ませて一路福岡まで私はアクセラと最後のドライブに出た。

 

 

 

夕方にはナスキのアパートについた。少し、名残り惜しい。

 

ナ「・・・それじゃあ、エリザベスをよろしく。」

ナスキ「この車、エリザベスって名前だったんだ!!」

 

ナ「うむ。エリザベス=流星号。 エリザベス=流星号をよろしく。」

 

 

ものに名前をつけたがる人の性格パターンというのがあるらしい。24歳の時、最初に乗ったマツダの青いファミリアは太郎という名だったが、この車に太郎と名付けたことはかなりの人が知っていて、私の結婚式の友人スピーチでバラしたやつがいた。以来、ものに名前をつけても心の中だけで呼ぶようにしていた。友人は別に名前を笑いのネタにしたわけではなかったが、私ににはやはり、どこか独りで居たい空間に踏み込まれたようで、いい気持ちはしなかった。

 

空想の世界に行くときにはどんなに親しい友達でも一緒に行くことはできない、とモンゴメリの「アン」の中になかったか。

 

 

 

 

#その週の終わり、ナスキは実習先の病院に深夜1時に呼ばれた。今月彼は産婦人科の当番で自然分娩の見学が最低一件義務とされていた。

ナスキ「一旦家に帰って良かったんだけど、携帯が鳴ったらすぐ駆けつけるんだ。初産だったんだけど始まったら特急で進んで、電話があって至急 車で駆けつけてやっと間に合った。自転車だったら無理だったかも。家族は車で1時間くらいの場所の人だったんだけど、「帰って良いですよ、」って言われて帰り着いたら「すぐ来て下さい!」だったんだってさ。間に合わなかった。」

 

家族が生まれるところを見たい人だったとすると気の毒だったが、エリザベスはうまくナスキの役に立ってくれた。

死にゆくもの、生まれ来るもの、去るもの、やってくるもの。

 

エリザベス、ナスキをよろしく。

 

 

 

 

 

 

| - | 16:28 | comments(0) | - | pookmark |
花見山ピクニック

 

#振り返ってみると、人生で一番屈託無く楽しいのは30代と40代だと思う。だからこの時期が充実せず過ぎた人は、人の一生としてはかなり「残念」が残るだろう。20代はまだ仕事が修行中で、結婚その他の悩ましい問題が多く、50代は親の介護が重くのしかかって相当足を引っ張られる。今や90才代の人は全然珍しくない。そしてお約束のように解決がつかない問題を抱えている。病院や老人ホームに入ればいいが、多くは介護する側が殺気立つような苛立ちをどうすることも出来ていない。ただ、以前と違うのは以前はどれもこれも胃瘻を作っていたが今はどれもこれも胃瘻は断り、施設は医師も看護師も介護職も足りない中、難しい介護に苦戦している。水も全く取れず食事も取れなければ人間は3〜5日しか生きない。穏やかに看取る全身管理のために胃瘻を作るのはありなのではないかと私は思っている。

 

もはや懐メロになってしまったフォークやニューミュージックと呼ばれたジャンルの人々が時々、または希にテレビに出ているが、みんな声が出ないし下手になった。この人達でさえこうだから、私が下手になったのもむべなるかな。

 

 

 

#今年もお約束の花見に出かけた。ここ数年京都で花見をしたが、今年は私が上京し、とりあえず千鳥ヶ淵周辺で花見をする予定だった。私のスケジュールの関係で年度末3月はきついので、4月に入ってからということになり。残念ながらのサクラチル。もう散ってますやん。。。

 

 

#4月4日、とりあえず千鳥ヶ淵で5人で花見をした。(殆ど散ってたけど。遅咲きのが少し残っていた)仕方ないので花があるつもり。お喋りは、花があってもなくても盛り上がった。夜。昔の美女たちの玉の声音も今はイビキの大合唱。

 

翌日、桜を求めて新幹線で福島まで北上する。行く先は花見山。私はみんなの後を付いていっただけだからあんまり良く覚えてないけど、新幹線に乗ったのだから東京駅から行ったと思う。お喋りに夢中であんまりよく見てなかった。駅でお茶と、昼ご飯用のおにぎりを銘々好きなものを選んで買っていった。私のは焼きたらこ。おにぎりは何と言っても焼きたらこ!!

 

 

福島の地を踏んだのは初めてだった。関東以北には殆ど縁が無い。実は、鹿児島人は未だに福島の人々に恨まれていて、その原因は戊辰戦争だというのだからたまらない。

以前にも書いたが、鹿児島から嫁に来たというと露骨に嫌な顔を、今でもされるから黙っている人が多いという。鹿児島はその後薩英戦争やら西南戦争やらもちろん日清日ロ太平洋といろいろあって、戊辰の役を覚えている人はあまり居ない。こういうのは勝った方は例え被害があっても忘れ易いのかもしれない。太平洋戦争の広島長崎や沖縄が、なかなか忘れられないように。

 

 

 

実は私の数代前の太郎左衛門(仮名)が、戊辰の役に従軍し、激戦となった長岡城に若いが優秀な家老、河合継之助 という人が居てた。太郎左衛門はこの人にやられて腰に被弾し、越前高田で西郷さんの実弟と一緒に亡くなっている。 NHKの大河ドラマせごどんを見ていると、私の先祖も似たような苦労をともにしただろう、と見ていて辛くなる。実家には太郎左衛門氏の資料が残っていて、「禁門の変で京都の警護にあたった」とか、「黒船が来て神奈川の防衛に行く」とある。具体的にその足跡が残っていると、その存在自体が強く感じられてどうやって越後まで行っただろう、船か歩きしかないだろうなあ、とか、どんなものを兵糧にしていただろうと考える。京都御所に行ったときも禁門の変の舞台となった蛤御門の前に立つとまた、別の感慨がある。今までは墓石の名前でしかなかったものが、確かにここに居たんだ・・・というような。140〜150年前のことだから、30年を1世代と考えると5,6代しか経っていない。会津のあたりにまだ恨みに思う人がいることも当然なのかもしれない。

 

 

途中で焼きたらこを食べた。あまりに美味しくて もう一個買ってくるべきだったとちょっと後悔。

 

 

花見山の団子屋の露店の前で一人が足を止め、皆一個ずつ買う。「どこから来たね?」とおじさんに聞かれて。

「ほら! ナスカちゃん、どこから来たのってよ? 言ってあげなさい。」  

 小さな声で

「鹿児島です」と言ったが、何故私の声が小さかったのか彼は察しただろうか? 

「かわいこちゃんに、僕はしんせつなのよ〜」と明るく返してくれた団子屋氏に、曖昧に微笑んでこそと背を向けて帰ってきた。

 

 

 

#帰鹿して数日後。メインバンクの支店長がやってきた。花見の件を少し話し、東京のインフラ整備は目を見張るものがある、東京一極集中と地方の有り様を比べると残念だという話から、

支店長「しかし、沖縄は違いますよ。東京と同じくらい潤ってますねえ。」 

ナ「基地か・・・。鹿児島もやればいいのにねえ。馬毛島なんて吹けば飛ぶような無人島、飛行機が落ちる心配もしなくていいし、それで鹿児島が潤うんだったらやればいいのに。」

支店長「おおー 話が合いますな! 私もそう思いますよ。一体どこの誰が反対してるんですかねえ?」

 

数日後、業界の寄り合いに行ってきた夫が、そのどこの誰と会ったと話した。

「種子島のT先生は反対派の首長らしいよ。今日、たまたま隣り合わせに座って向こうが反対派だというから聞いてみた。

『先生、どうして反対なんですか? 種子島から5キロも離れているし、どうせ宿舎も何もかも種子島に作るだろうから人がたくさん来て島は危険もなしに相当お金が入るのに?』って聞いたけど、『絶対反対』の一点張りだったよ。むっとしたから『種子島の人って貧乏が好きなんですね』って言ったらあっち向いたきり全然話しなかった。」

 

アハハハ・・・ エー そんなこと言ったの・・・大丈夫かしら。

 

結局、種子島は元々平家落人の里として有名であり、自分たちの生命を守るためによそ者が来ることを拒んだDNAが多く生き残っているせいだろう、という結論に達した。言い出しっぺがあまり信用されていない議員だったりしたのもいけなかったのかもしれない。あの話には運がなかった。

 

 

#たばこやダイアリーは、あと12回、一年間書こうと思う。後はツイッターやfacebookでぶらぶらやろう。(もう限界らしい)

 

 

 

 

 

 

 

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罪深いヨロコビ・・・

クリスマスローズ2018

 

 

 

#私の学年はどういう訳か早世の人が多くて、中学、高校、大学と訃報を年に数回聞くようになった。大学の同窓会名簿にも私の学年は飛び抜けて物故者が多い。最近知ったが、私の生まれ年は己亥、この生まれの人は病亥、または弱亥という運なのだそうだ。当たっているかもしれない。

 

ナ「ねえ、だけどさぁ、・・・ 日本人の平均寿命は86なわけだから、周囲の同い年が死んでしまったとすると私の寿命は平均寿命より延びることになる? そうでないとマイナスばかりでは平均して86にはならないわけじゃん?」

 

夫「そういう計算は成立しないんだよ。あんたの寿命はそれとは全く関係がない。」 ???

夫「例えば、だ、さいころを振る。1を出せばいいんだが、1000回続けて1以外が出たとする。次にあんたがサイを振ったとして、次に1が出る確率はどれくらいだと思う?」

ナ「80・・・90パーセント!」

夫「いやいや、勿論そうはならない。次に1が出る確率は、勿論6分の1だ。」

 

ああ・・・ そうだ 昔私が大嫌いだった確率の教科書のあのあたりだ。

 

私は何べんこれを聞いても次に出る確率が6分の1とは信じられない。これが災いして「確率」とか「期待値」の辺がイマイチわかんなかったんだな。

 

ナ「特に、1万回続けて1以外が出ていて、次あなたが振って1が出たら3億円当たりますって言われたら、出る確率は100パーセントのような気がする、あたし! それに同級生が死んじゃったって聞くと本当に本当に悲しいけど、、本当に悲しいんだよ?? でももしかして私はこれで彼らの分も長生き出来るのか・・・? って罪深いヨロコビが頭をかすめるのをどうすることも出来ないの・・・・」

 

夫「罪深いだけだ!残念ながらヨロコビはない!」 

 

吐き捨てるように言われてしまった。

えー だって、誰かが亡くなったとき、「あなたはあの人の分も頑張って生きてね、」って言うじゃない? ねえ? ねえ?・・・わたし、バカ?

 

 

 

 

 

#職場にて。

今年入ってきた女の子が、4月いっぱいは何だかんだでサボってちっとも出てこなかった。呼びに行ってなだめすかして卒業した学校(資格が取得できる高校)の先生に会いに行って話したりしてようやく出てくるようになり、同期より2,3か月遅れて何とか軌道に乗る。秋ごろ「調子はどうかね、」と立ち話をしていたら「友達でここに就職したいって子がいるんですけど」 

 

この子自身手がかかる子だったことをすっかり忘れて、調子よく「うんうん、じゃあ連れておいで」ということに。ところがこの子は就職1日目で喧嘩して退職したというなかなかなハードボイルド。しばらくは真面目に来ていたが去年の暮れにに来なくなった。ほどなく妊娠を聞く。・・・・つわりらしい。お母さんを呼んで相談をする。こんなに手がかかる子は初めてだ。

 

 

2ヶ月待ったが音沙汰無しなので、先日自宅を訪ねた。私が直接来なくなった職員の家を訪ねるのは在職20年のうち3回である。男子の場合は行かない。危険だから。女子の場合は私の方がいいこともあるかなと訪ねることがある。電話をかけて行ったが家には勿論玄関にも入れてくれなかった。(まあその方がいいかも)2階建ての川沿いのアパートで、近所に聞こえるのは気にならないのかなと思いつつ、思い切って突っ込んだ話もした。2ヶ月無断欠勤なのだから勿論辞める気でいるはずだと思い、退職届の用紙と、有休もなく欠勤で給料もない上に社会保険料、年金等本人手出しの分を貰っていかねばならない。全部で9万、3月に入ると11万になる。働いていないのにお金あるのかなあ・・・・

 

彼女は金髪に染めた長い髪がぼうぼうのままで、暴走族が着そうな黒サテンの上下を着ていた。仕事の時は黒い髪だったのに??と思ったら、仕事の時はキャップを被るので外に出る部分だけ黒のカツラをつけていたらしい。なるほど。その辺はなかなか器用にこなすやつだ。

 

話が分かっているのかいないのかろくに言葉を発さず黙って頷くか首を振るのみ。しかし仕事内容は悪くない、とこの子の上司は言っていた。その言葉に何とか力を得て私も粘って話したが、ふと顔を上げたとき、目を見ると目玉が二つあって超ビックリ!

 

落ち着いてよく見ると、それはつけっぱなしで寝たためにずれたカラーコンタクトが、本当の黒目の外側の白目にくっついて、目玉が二つあるように見えただけだった。色も白いし肌もきれいで不器量ではない。性格が良いかどうかは知らないが、話しかけても応答が首振りだけというのは、あまり好きではない。

 

 

困ったちゃんばかり入職してくる。うちだけこれならまだ良し、日本中がこれだと日本はどうなるのか。国があまりにこの手合いを甘やかすから全体的に日本人が弱くなる。頭も悪く、体も弱くなる。もしかしたらこの政府の国策は敵国の陰謀か?

 

 

 

 

 

 

| - | 23:47 | comments(0) | - | pookmark |
夕暮れや 冬一面の 黒酢畑

 

鹿児島県霧島市福山町「黒酢壺畑」

 

#NHK総合で放送中の海外TVドラマで「This is us」というのがある。タイムトラベルものではないが、感覚的にタイムトラベルに近いところがあり、私の時間旅行感覚をくすぐる。主人公は三つ子で、三つ子の赤ん坊時代、子供時代、青年期、大人になった今とその親夫婦のあらゆる時代がしょっ中、一瞬で切り替わる。出てきた俳優が誰かで 視聴者は今がいつの話か判断しなければならない。だから人の顔が見分けるのが苦手だったり、話がきちんと時系列的に並んでいない話を自分の中で時系列的に並べ替えることが苦手な人はちょっと駄目かもしれない。

 

 

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あるカップルがいる。男のほうは親は離婚しているらしく、親の陰はない。

女の方の親は結婚に大反対だった。

カップルは貧しく先が見えない普通の若い夫婦として新生活をスタートし、普通に妊娠を喜んだが、子供は三つ子だった。生活は苦しかったけれど頑張って、喜んで三つ子を産むこと決める。

 

 

大きなお腹がはちきれそうになったある日産気づく。

 

 

ちょうどその頃、病院の近くの消防署の前に黒人の男の赤ちゃんが置き去りにされる。

拾った消防署員は自分たち夫婦で育てようと思ったが、妻の反対で

やむなく病院にケアを頼み、新生児室のベッドに保護された。

 

 

再びお産のママさんのシーン。主治医がもっとも悪いタイミングで盲腸の手遅れで腹膜炎を起こし、手術になる。急遽お産は、○科の(産科ではなかった)老医師がピンチヒッターで三つ子を取り上げることになる。

赤ん坊は一人は♂、一人は♀、もう一人は死産だった。

「お母さんは元気だ、一人は男の子、一人は女の子、もう一人はすまない、死産だった。どうにもならなかった。」

 

 

廊下で一人、悄然と座っている新米のパパに老医師が語りかける。

「実は私は最近癌で妻を亡くしたんだけどね、その妻との間に、15,6人の子供と孫がいる。でも最初の子は死産だったんだ。今日までこの子のことを忘れたことはない。毎日思い出すんだ、何かのたびに。この話はあまりにも辛くて、今日まで一度も人に話したことはなかった。」

そして、

「出来れば君もいつか私のように年老いたときに、自分の経験を若者に語ってくれるといいなと思うよ。

人生が君という人間に与えた最も酸っぱいレモンで 何とかレモネードを作った経験を。

そうなれば君はこの病院から3人とも家に連れ帰ったことになる。まぁ、予定とは少し違う形でも。」

 

そして老医師は自宅の妻の写真に、いつもそうしているように、話す。

「昨日、ある若者に亡くなった子の話をしたよ。あの子のことは長い間誰にも話したことはなかった。その若者にアドバイスをしたんだが、どうやら彼は聞いてくれたらしい。

人生の中で最も辛い経験をしっかりと受け止めて、前に進もうとしている。」

 

出来立てのほやほやのパパとママは、亡くなった3人目の赤ちゃんの代わり?に、消防署の前に捨てられていた黒人の赤ちゃんを引き取って育てる決心をする。(詳細不正確)

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とまあ、こんな風に始まるドラマなのである。レモンのところがツボにはまって、何回も録画のこの老医師のシーンを見た。

 

 

 

 

#「あなたの歴史のページの ちょっと酸っぱい、わたし思い出にしてね〜♪、」は多岐川裕美の「酸っぱい経験」、結構好きな歌だった。でもこの歌の歌詞には、「酸っぱい」だけで「レモン」は出てこないな。

またブログで鼻歌なんか歌って歌詞を書いたりすると誰かに怒られそうだから、これは後で消しておこう(>書くのか!)。

多岐川裕美なんて知ってる人いないかもなァ。

 

 

 

#ヨシコさん(仮名)という女の子が実習に来た。なんで盛り上がってるの?魔法使いのサリーのヨシコちゃんと同じ名前だから? と聞いてみたが、そもそも魔法使いサリーのヨシコちゃんをそこに居た全員が知らなかった。というか、魔法使いサリーさえ知らなかった。

 

時々、既に自分の感覚は時代の主流からいつの間にか外れてる? と思うことがある。

 

博多の祭り、祇園山笠は、御神輿を担いでいる男達がある距離を走ってバテた頃、次の担ぎ手がどこからともなくやってきて、伝統のやり方で担ぎ手を交代する。御神輿はいつの間にか全く違う人々によってしかしその前と全く変わらないような勢いで担がれていく。

 

私の常識は皆の常識ではなくなっている。流行の歌とかも、どこもいいとは思えんけどナァ、と思うし、時々出てくる私たちの世代の歌手が、年取ったなあ、歌下手になったなあ、老けたなあ、と感じる。有名な持ち歌なのに全然別の人が歌っている。もうテレビに出られないような状態なんだろうか。神輿はもういつの間にか、担いでいたはずの私の手を離れて、別の人に担がれ、私はただ、遠ざかる神輿を見ている。

 

私の作ったレモネードは誰かの役に立つことがあるだろうか。私はレモネードの経験を誰かに話すだろうか。ファミリーヒストリーでは自分の人生を子孫に一切話さなかったり、戦争体験を誰にも言わず死ぬ人が多いけれど、本当に辛かったことはなかなか口には出来ない。

 

 

 

 

#なんてことを考えながら。

 

高校の同期のK子さんの訃報を知る。去年の夏頃体調不良になり、病院に行ったら手遅れの癌で秋には亡くなったとのこと。私の人生も今は日暮れて道遠し、と思えるけれど、先のことは分からない。朝には紅顔ありて夕べには白骨となる、というのは要するに覚悟せよ、ということだ。いつそれが来ても良いように。

 

・・・なかなか出来ないよなァ。

 

 

 

 

| - | 09:44 | comments(0) | - | pookmark |
さよなら叔母さん

 

#甥と叔父さん、姪と叔母さんが似ていることは世の中には割と良くあることらしい。私は子供の頃から、母の妹に当たるF子叔母に顔や雰囲気が似ているとよく言われた。しかし、祖母に言わせると、F子は少し寂しげで弱い性格だから心配だ、それに比べるとナスカちゃんは芯が強いから心配要らない、とも。祖母が私ではなく叔母を気遣うのを残念に思ったこともあったが、大人になって考えてみると確かに叔母より私の方が強いかもしれなかった。

 

私ほどもの柔らかで弱々しい人はいないと自分では思っているけれど、人にそう話すと誰も同意してくれないのは誠に残念なことだ(笑)

 

叔母は薬剤師で、彼女に倣って薬科大に行こうと子供の時は思っていた。叔母は二つ年下の医学生と結婚して、生活のために薬局を開いていて、遊びに行くと叔母の家にはいつも販促品のケロヨンの指人形があった。黄緑色のケロヨンは持っている人が多かったが、ピンクのと空色のケロヨンはめったにお目にかかれない。時々ねだって貰った。プレゼントの上手な人で、いつも印象に残るもののをくれた。まだ中学生の私にはハイティーンのお姉さんが持つような木の実で作ったペンダントだったり、大学の卒業の時はパールのイヤリングだったりした。

 

 

叔母の婿さんは、加山雄三を平凡にしたような永遠の若大将っぽい人で、破れ鐘のような声でオペラを歌い、家族は結構恥ずかしい思いをしていた。壁紙はクラッシックなビクトリア朝のくどい柄が好みで、品があるとは言えなかったが、姪の私のことも可愛がってくれ、私とは対照的に穏やかな家庭の育ちの従兄弟達が羨ましかった。昔祖母に、「F子叔母ちゃんはとっても穏やかなセンスのいい叔母さんで、K叔父さんは若大将みたいでいい人だとは思うけど、二人揃えるとどうしてこの二人?っていう位合ってない気がするな、」と言ったら、祖母は「私もずっとそう思ってたよ!」(笑)そうかい。

 

 

ちょっと失礼かと思ったが本人達にも同じ質問をしてみた。叔母はただ、ふふふ、と笑うだけで、叔父は「僕もね、叔母さんみたいに上品にやりたい、って気持ちがとってもあるんだよ。反対のものに憧れるのさ。叔母さんもそうなんじゃないかい?」

 

 

 

 

#母、叔母の二人きりの姉妹も齢80を過ぎ、私の母に少し年齢による寄る辺なさが見えてきた頃、ナスコの結婚式があった。亡くなった祖母に初めてナスコを見せに行ったのはナスコが2歳半くらいだったと思うが、祖母は、

「はあ、・・・あなたがナスコちゃんですか。・・・・でも、私は残念ながらあなたがお嫁に行くところを見ることは出来ないなあ。」としみじみ言ったのを思い出す。

 

 

ナスコの結婚式で母に、

ナ「F子叔母ちゃんとママが、お互い体も頭も健康で会えるのは今度が最後かもよ。」と言った。

弱ってきた母にF子叔母ちゃんと生きて会えるのはこれが最後になるかもという予感がしたので、(二人は数年に1度しか会わないし、母が83歳、叔母が81歳ではこの予測は不思議ではない。)

しかし私が思っていたのは母が先に呆ける認知症になるか死ぬかということだった。

 

 

 

 

#12月7日、朝礼から事務所に戻った頃携帯が鳴った、親しかったがここ何年か連絡していなかったF子叔母の娘、従兄弟のMちゃんから。

「ナスカちゃん、お母さんが死んだの。昨日家に帰って普通に話をしたばっかりで、何がどうなのか、私も今仕事場で連絡が来て事情は全然分からないの。」 

 

 

その日叔母は朝ご飯を食べてから風呂に入り、体を伸ばして入っていた。何かの拍子につるっと滑って湯に沈み、普通なら体を支えるところを筋力が落ちてひっくり返ったカブトムシになったか、心臓か脳がどうかしたか、沈んだ拍子に水を吸い込んで肺に入ったか、正確なところは分からない。昨日まで元気だった叔母は誰も予期しない事情とタイミングであっという間に死んでしまった。

 

向こう隣は夫と息子が診療所を構えていたが、皆が気がついたときはもう息がなく、救急車で運ばれたが亡くなっていたので変死ということになり、警察で行政解剖に2日かかった。それから、都会の焼き場はこの頃死ぬ人が多くて火葬が捌ききれず、4日ほどドライアイスを抱かせて待った後に通夜、葬式、荼毘に付された。母の混乱を恐れて叔母の死は話さず妹と上京し、母の名代で骨まで拾って帰ってきた。

 

 

 

#人が死んでいるのに通夜も葬儀もないまま1週間を過ごすというのは、田舎のテンポの私にとっては変な感じだった。叔父は叔母より二つ年下だったのだから、自分より先に死なれることを想定していないというのは全く馬鹿だったと思うが、本当に想定していなかったらしく、いつも自信の人の叔父には考えられないほどおろおろという感じだった。

「全部叔母さんがしてたから、葬式に着るYシャツのありかも分かんねぇんだよ」

 

 

 

#死に方として悪くはない。しかし解剖の結果溺死、というのはどうだっただろう、苦しかったかなあ。それだけが心残りだ。

 

 

#妹と別れて郷里へ戻る日、少し時間があったので二人で成田山に行くことにした。遠かったが、祖母が生前「何か困ったことが起きたら成田山新勝寺にお願いに行きなさい。一生懸命お願いしたら成田山はきっと力になってくれるから。忘れるんじゃないよ、必ず、覚えておくんだよ。成田山だよ!」と言っていたので、きっと叔母と祖母は成田山から連絡がつくところにいるはずだと思ったのである。今年も成田山に写経の奉納を済ませていた。

 

 

それにしても、どうして祖母は成田山をあれほど信奉していたのだろう? 聞いておけばよかった。お参りをすると、なんだか少し荷物を下ろした気がした。美味しそうなウナギの蒲焼きのにおいがぷんぷんする。食べていきたかったが妹が太るよ、と反対するので諦。

可愛がってくれた叔母は、白い骨になった。心から手を合わせた。

成仏出来ますように。南無阿弥陀仏。

 

さよなら、F子おばちゃん。お世話になりました。

 

グッバイ、東京。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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