Dead end

 

 





仕事で初めての場所へ。勘で住居表示を見ながら車を走らせていたら急坂に差し掛かった。
何となく不安に思いながら登っていく。

あれ?

 




あれっ???? 表示しとけよな〜 ばっきゃろーっ!

きゃー

落ちるぅぅぅぅっ

 




という一日でした。。。
みんな落ちないんだろうかっ?
頭に来ながら今度は急坂をえんえんバック(自爆)



#今度のNHK朝ドラ「梅ちゃん先生」は、東京は蒲田の市井の医師として生きた女医さんの半生記だが、現在放送されている部分のモデルは実家の母の出身校(東京女子医大)らしい。どうもどこかで聞いたような話だと思って見ていたら最近「東京女子医大(協力)」のテロップが冒頭出ているのに気が付いた。


私も妹も、もしも自分の出身校、しかも時代もほぼ同時代(主人公梅子は旧制東京女子医専の最後の卒業生。ドラマに医専は今年で終わりだから再試になると即退学だという話があった。うちの母は新生東京女子医大の2期生なのでおそらく2学年上の上級生の話と思われる)の話がドラマになったら大喜びで同級生と宴会になるだろうと力むのだが、母は極めてクール。
「見てないよ。あの頃の表の話はともかくその裏話やぐちゃぐちゃした感情なんか思い出したくもない。」


ふーーーーーん。母にも思い出したくないような友達や学校生活のあれこれがあるのか・・・・。

「コーラを売った話なんかホントなの?」
「ああ。そんな話はあったよ、ほんとに。でも確かコーラじゃなくてラムネじゃなかったかしら。私たちがやったんじゃなくて、上級生がそんなことをやった、って話を聞いたよ。確か、梅田とか梅・・・ナントカ、って人もいた気がする」
実話だったのか。その人の娘?とかがこのドラマの制作にかかわったのかな??


「ダンスパーティを他の医大と合同でやったりした?」
「ああ、あの頃はそんなことよくあったのよ。ダンスパーティの券を売りさばくのが大変でねえ〜・・・・ 上級生が、3人一組になって真ん中の子が件を持ち、向こうから来る男の子(人)に、『お願いします、ダンスパーティの券を買ってください』って言えっていうのよ。両脇の人は相手の男が逃げられないように可愛い顔で固めろ、って。それが嫌で嫌でねえ〜。だってそれってなんか不正みたいじゃない?」


ナ「恐喝みたいだってここと?」 
母「そうそう。」
出不精も災いして母は友達が少ない。これで満足ならいいのか、と思ったり。

女学生の母は、いったいどんな娘であっただろうか。母になってからの母はよく知っているが、結婚前の母は話自体が祖母か母自身に聞いた話なのであまり客観的でないように思う。母の日だったが、今母は何を考えて暮らしているのだろう。父が亡くなって一人暮らしもだいぶ長くなるし80を過ぎると自分より年上の知り合いはぽつぽつと死んでいく。

母は、寂しいだろうなあ。


「夫も看取ったし。親ももう無い。年に不足もなし。」私はもう少し自分が、人の感情に鈍感だったら良かったと思うことがある。気づいていてもどうしようもなく黙っているだけのことが多いから、あまり意味はない。とすると気づかない方が気楽で良い。




#妹「昔、私に自転車乗りを教えてくれた大学の同期のA君さ、この前死んじゃったんだ。」 へえ・・・・ 何で?その人? つきあったことあったの?


妹「それが、原因が分かんないの。大学の別の友達とサーフィンしに行くことになってて、朝5時の約束だったんだけど来ないから見に行ったら家で死んでたんだって。跡取りの男の子でさあ。大学のちょっと派手目の同級生と結婚したんだけど、子供無くて。先輩の先生と出来ちゃって、離婚したんだよ。『お前んとこ順調に子供が出来ていいなあ。幸せそうで羨ましいよ。』って言われた。お母さん半狂乱だったよ。別れた嫁さんのこと恨んでた。


実習で外回りの時、グループで私が自転車に乗れないことが話題になってさ、ハルコに自転車を教える会が出来て、暇な日にみんなで自転車に乗ったのさ。その子が、持っててやるから漕げ! って。で乗れるようになったの。

へえ・・・・。
私たち姉妹は父が病的に自転車を、というか自転車に乗って娘達がけがをすることを恐れて、絶対に買ってくれなかった。しかし私には一度だけチャンスがあり、どうしてだったか忘れたが小学校5年頃の一、二年のみ自転車を買ってもらっていて、この時にやっと乗れる程度に乗れた。後年自動車教習所で二輪の実地をやった時、あまりにもよたよただったので「ホントに自転車乗れるの?」と聞かれた(笑)




妹には言わなかったが、いい思い出だと思う。生涯残るような。どんなに親しくつきあった人でも、良いことが何も思い出せないこともある。宝石が残っているのならばそれで十分ではないか。


#今年もそろそろ青い梅が収穫時を迎えている。



| - | 23:13 | comments(0) | - | pookmark |
私とはどういう人なのか。

 


#そんなに給与条件も変わらないし、本当はこの春、今の仕事を辞めて別のところに移籍させるつもりだったナスコが、シフトが組めないから残って欲しいと慰留され(嫌々)正職になった。正職になるとは夜勤に入ることを意味する。一人で六百数十人のかなり重症の人々の一夜を支えなくてはならない。
ナ「全く、勤務先も心配じゃないんだろうか? あんなコムスメ一人に600人も任せて!」


昨夜がその夜、Xデーで、ナスコが自信なさそうだったので心配して夫と二人行ってみることにした。>親バカ 
昼間はごったがえしているが夜は誰もいない正面玄関にひっそりと車を寄せる。夫も私も以前勤務した所なので勝手は分かっているし・・・。


あまり明るくない部屋で一人格闘していたら、何か手伝えることがあるかもしれない、と少しぐらいは思っていた。行ってみたナスコの勤務する部屋はドアが重くて
ナ「あれ?? 鍵がかかっているみたい?」 と、中から「いえ、開きますよ。どうぞ?」と声が。
するするとドアが開き、真昼のようにまぶしいくらい明るい部屋の中には、5人もの人がいた。
「何か?」と聞かれたのだが、初夜勤の娘が心配でうろうろ出てきたとも言えず、
ナ「し、失礼しました、間違えました」 こそこそ帰ろうとする。
と、奥からナスコの声が。
 「何やってんの〜 こんなところで!」
夫「・・・言っちゃえ。もうしょうがない」
ナ「そ、そのう。・・・じ、じ、じつはナスコの家の者です。今日の初夜勤がどうなってるか、何か出来ることはないかと心配して来てみました。」

どうやら初夜勤が心配なのは私たちだけではなかったらしく、先輩方も心配して残ってあれこれ手伝ったり指導してくれたりしていたらしい。
ウウウ。どうもすみません。誠に申し訳ない。

どうぞ中へ、ゆっくりしていらして下さい、と言われたが勿論オジャマをするのは本意ではなく、「シッツレイしましたっ」とダッシュでdisappear. あんなに人がいると分かっていれば差し入れくらい持って行ったんだがー。んがー。


最近、博多の妹とFacebookで家族内通信するのだが、以上のいきさつを投稿したら翌日昼までに妹とナスコから書き込みがあった。

妹「なにやってんの!恥ずかしいからやめなさい。研修医の頃​、息子の白衣姿を見に来た親がいて、みんなから相当バカ​にされてたよ。」

ナ「いやあ、そんな雰囲気じゃなかったよ。あそこの人たちも​っと親切だった。どうぞゆっくりしていってください、っ​て言われたけどオジャマになるといけないから帰ってきた​。ホントは写真撮ってきたかったんだけどねー。半袖の白衣だったけどなかなかよく似合って可愛かった ​いつも着てる変なセンスの私服よりよほど良かったよ。」

妹「おへー、ナスコちゃんも不憫な。白衣は、誰でも似合うよう​に出来てるのだ。トンチンカンなヤツもデキル医者に見え​るマジックだ〜。」

ナスコ「みんな、優しいご両親ねぇとか言ってたよ(笑)」
お優しい先輩方で本当に良かった。
ちうか、改めて、もう社会に漕ぎ出した子供に、親がしてやれることは本当に何も無いんだと痛感した。



#某所での話。
「第一子の妊娠が臨月になって、もういつ出てもいい時期だったんだけど、交通事故にあって、子宮破裂しちゃったんだって。」
ナ「えっ! 赤ん坊は?腹腔内に出ちゃったの?」
「そう。腹腔内に出たらすぐ出さないといけないんだけど、すぐには出せなくて、赤ちゃんダメだったんだって。母親は子宮破裂なもんだから、子宮摘出しないといけなかったんだけど、意識がないので夫の同意で摘出したんだって。事故にあって目が覚めた時には、赤ちゃんは亡くなって自分は子宮がなくなってたの。」 何というじょうきょうであろうか。

第一子なのに子宮摘出、ということは、この夫婦は通常の手段では二度と子供は望めない。・・・・・何と重い荷物をしょってしまったことだろうか。たった一日、ただ一刻のことで。何かのタイミングがほんの少しずれてくれれば、こんなことはなかったのに。少し朝早く(または遅く)起きれば。少し出かける時間が速く(または遅く)なれば。別の道を通ることを考えていれば。

私は、僅差でこうした災厄を免れた。丁度ナスコがお腹にいたとき、国道で止まっていたうちの車に突っ込んできた車がいて、夫がハンドルを切って反対車線に飛び出して深刻な事態を回避した。あの時ほんの少しの事情が悪ければ・・・・。
しかし私も、いつか命運が尽きる日があるのだよな。人は、一つの理由では死なない。複数の理由が重なった時死ぬのだとは母の教え。




#自分がどういう人間なのかということは、自分一人ではなかなか自覚出来ない。何か一丁事があり、それに対してどう考え、どう行動するかが「私」なのだと、このごろよく考える。「私」とは自分であるはずなのに、あらゆる出来事や人からの問いかけ、働きかけでまるで型を作るように自分が削ったり足されたりする。型枠を外すとそこに「自分」がある。自分の方がしっかりしているようで実は、「自分」とは寒天のようだと思う。他者との関わりからしか自分というのは分からないものなのだ。そのことを最近、言葉ではなく腑に落ちて理解するようになった。とすると、「自分探しをする人」とは、対人関係に問題があり、自分を知ることが出来ないという症状なのかもしれない。


「寒天」は型に流し込まれるが、その工程はまるで、「あなたはこれにどう判断し、対処するのか」いう問いをつきつけられる。「型」は問いであり、その問いに対し身を処すること寒天こそ、私の価値観、感受性そのもの、それが自分なのだと思う、生きるとは、毎日毎日、価値観を問われ続けることなのだ。あなたとはここをどういうルートで行くのか、と。問われることに対し答えを出さねばならないから、生きるとは時にくたびれることであると、つくづく思う。


しかし、わたし自分のこと結構好きです(笑)

| - | 00:24 | comments(2) | - | pookmark |
親戚たちの同窓会



#90歳になる遠縁のA叔母さんが急死したのは先週の火曜日のこと。彼女は私の父の従弟の嫁さんにあたる。

深夜、吐瀉物を引っかけ、喉に詰めて窒息しての死亡とのことだった。古い家屋を改造しての二世帯住宅で、彼女と同居していた60代後半の息子は離婚して入院中。その子供(♂30代)は外出していて不在、孫(中高生)は事態に気付かなかった。第一発見者となったのは翌朝やってきたこの家のお手伝いさんで、私はこの家に入っていたヘルパーから連絡を受け、母に知らせた。母はすぐ出かけて行った。母が到着してからほどなく警察がやってきて、検死をするからあっちへ行け、と言われたらしい。

「素っ裸にして直腸温を測るんですって! 私は嫌よ。絶対警察なんか呼ばないでね。」・・・・無理ですって、ママ。法律なんですから。どうせもう死んでるんだから裸だろうが直腸温だろうがいいんじゃないですか?
「嫌ですよっ 絶対に、嫌!」 後刻、博多の妹にこの話をすると、「うーんー、ママはそれ言ったらお姉ちゃんはうんと言わんだろう、ってこと言うし、お姉ちゃんはそれ言ったらママ怒るだろう、ってこと言うよね・・・・ どうせその時はもう死んじゃってるんだから、適当にはいはい言っておいてその時にはこっちのいいようにすればいいじゃん。」 ・・・・そんな不誠実な!


県外に出ている長男以外の子供たちの仕事の段取りや帰郷を考えてのことだろうが、通夜は金曜、葬儀が日曜になった。



#亡くなったA叔母は、生前、1995年6月に起きたこのハイジャック事件に巻き込まれている。田舎町のこととて、話は大変有名になった。葬儀場の祭壇にもA叔母が取材され、記事になった新聞の切り抜きが額に入って置かれていた。何故彼女が17年前のこの日、函館行の飛行機に乗っていたかと言うと、77歳喜寿の年、彼女が卒業した網走の女学校で、喜寿を迎えた同級生の最後の同窓会が行われることになっていたからだ。もうみんな年なので今度が最後の解散同窓会にしようという会だった。実家は網走の、洒落た洋館風な建物で病院をしていた医者の家で、戦時中北海道に赴任した叔父はこの叔母と大恋愛をし、戦後すぐに求婚。実家近くで生涯暮らす約束で相手の親の了承をとった。しかし網走はあまりにも寒く、「南国産の俺はこんな寒いところでは生きられない」鹿児島に帰ると言い出す。A叔母は「騙されたと思ったけど、子供も生まれているし・・・・」ということではるばる万事排他的なK県に来て、子供を5人を育て上げた。優しいのが取り柄、文化的なことに造詣が深く、合唱だのフラダンスだの旅行だのと活発で、しかしお金は無くて医者だった叔父も早くに亡くなり、なかなか大変な人生だったと思う。

しかし、死に方としては悪くなかった。90年の人生を最後まで自力で歩き、自力で食べ、自力で生きられなかったのは最後のほんの数分から数時間ほどだったろう。かくありたし。



「客室乗務員が目と口と腕に犯人の指示でガムテープを巻いた。何がどうなっているのかわからず、目の前で犯人が大声で怒鳴り、もめている物音がしたときには殺されると思った」と新聞記事には書かれていた。事件は翌日、比較的短期で収束したが、叔母が網走に着いた時には最後の同窓会は終わってしまっていた。




#全然関係ないのだが、窒息から、タコの話になる。タコは茹でてしか食べないことを不思議に思っていた。ぬめりをとるために塩でもむが、茹でないと臭みがあるのかなと思っていたがどうも違うらしい。
「船で釣りに行ったとき、隣で釣っていた人がタコを釣りあげて、喜んでその場でまだ動いているのを刺身にして食べたんですよ。そしたらタコの吸盤が喉に張り付いて取れなくなり、窒息してみるみるチアノーゼが出て大騒ぎになりました。どうかこうかしてるうちに取れたんでしょうね、助かりましたが。」 

恐らくは気絶して意識が亡くなったところに誰か機転の利いたのが喉に手を突っ込んで引っ張り出したんだろう。しかし、これを聞いて何故タコは生で食べないのかよく理解する。



#私の父は、自分自身は一人っ子だったが3人の従弟がおり、事情で全員祖母に引き取られて一緒に育てられた。A叔母はこのうちの一人の嫁さんだった。3人の従弟はそれぞれ多産系で、7人、5人、3人の子供がいた。父が2人。これだけいると子供たちは年齢がせっていて、私はこの子供たちの下の方5,6人と一緒に中学、高校時代を過ごした。A叔母の子供たちとも親しく行き来があったが、お互い大人になってからは殆ど顔を合わせる機会がなかった。


久しぶりに会って互いの無沙汰を詫び、来し方の互いの大きな事件を伝え合う。A叔母が亡くなったらもはや繋ぐものは無い。もしかするとこれと、これに連なる49日や年忌法要を最後に、行き来は無くなるかもしれないとも思われた。
A叔母の長女は10歳年上。大学で私と同じ分野を専攻していることもあってか、考え方も近く親しみやすかった。元気だったか、と聞くと「そうでもないのよ、実はね、2年前になるんだけど、」と話し出す。

彼女(63歳)の家は神奈川県相模原の東林間にある。

「家にね、桜の木が3本あって、ものすごく大きくなったのよ。それが隣家に枝が出て葉が落ちて隣がすごくギャーギャー言う人なので、言われる前に何とかしておこうと思ってね・・・・。庭師に頼んだら査定で桜一本につき5万。って言うのよ。3本とその他いろいろで都合50万ですって。それで・・・・自分でやろうか、って思ってね。うーーーん、出来るかなあって、15分くらい迷って木を眺めてたんだけど・・・ よし、やっちゃえ、って決めて、登って、どんどん枝を落として。そしたら登りは良かったんだけど下りる時がね・・・ 足場がなくて降りられなくって、うろうろしてたら枝が折れて、・・・・」 えっ 枝が折れたの!


「うん。8メートル、3階の高さから落ちたの。落ちたとき、『あっ! あたし落ちた!』って思って、、、思った途端気絶したのよ。」 えーっ! 家に、誰か近くに居たの?
「いや。誰も。それでそのまま、気絶してて、そのうち自分で気が付いたの。あれ、あたし、何でこんなところに寝てるんだろう、って。それから落ちたんだ! って思い出して、体中がものすごく痛くて痛くて。それでもここで寝てるわけにもいかない、って思って這ってお勝手口から家に入って電話の子機で、恥ずかしいからどうしようとも思ったけど、もういいや、って思って、119番に電話した。住所と電話番号とお勝手口です、って言った途端、また気絶したの。で、ICUに一か月入った・・・・。手首が折れてて、多臓器出血で。」 げー・・・・内臓破裂の一歩手前じゃん・・・破裂してたら死んでたね・・・。 腕が折れて衝撃を吸収して助かったのかも。

「うん・・・ まあそれで・・・手が、細かい作業が動かなくなっちゃって、長く痛ーーいリハビリしたりして、仕事してないのよ。」ふーーーんーーーー・・・・ 大変だったね・・・・


#また、別の一つ年上のC姉は、股関節の手術を大阪でしたけどものすごく痛かっただの、D姉の息子は海外ボランティアに出ていて先週ワシントンからの電話で今からオーストラリアに向かうと連絡があった、今はどこにいるのか不明、だの、E姉は再婚したらしいけど元の旦那の姓で通夜の挨拶状になっていた、別姓のままらしいけどどうなっているんだろう、とか、まだ若いはずなのにものすごく老けて、A姉の妹なのにA姉のお婆さんのようになってしまっていた人だとか、女たらしの♂だとか、その子供グループになるとぷー太郎からいいところにお勤め組まで立場もさまざまなら、身なりも耳から下は坊主刈り、耳から上はロングヘアでそれをゴムで縛ってちょんまげのようにしてる男の子だとか、まともな奴から変なやつまで、訃報で全国からわらわらとやってきて、また散っていった。骨を拾って帰る道すがら、焼き場の桜は満開。A叔母はオシャレな人だったが、この先の年忌法要ではいつも桜が美しいのだろう。


最後に。
O「ナスカちゃん、ナスカちゃんもあんな風に(親戚の若い子をさして)ほっそりかわいい子だったのになァ・・・(今や太っちゃったね)?」 と言った15歳上の5回も妻を取り替えた女たらしの医者のオニイサンに対して。
ナ「もう30年も前のことデスよ。30年経って、今やワタクシも、煮ても焼いても食えないおばさんになりました!(そしてあなたは今や立派なおじいさん。)お互い、玉手箱を開けてしまいましたね。」(笑)


| - | 02:43 | comments(0) | - | pookmark |
雨ニモマケズ 風ニモマケズ、そして3月は去りゆく。

#3月、年度末でどこも忙しいのは当たり前なのだろうが、法改正もあり雑用は格段に増えて半分は夢うつつの中に過ぎた。仕事が忙しいうえに母が体調不良で四六時中なんだかんだと電話してくる。果ては病院に連れて行けの、連れ歩いている途中に私の(私の、だよ!)車の中でゲロゲロ吐き出し、何とか連れ帰ったら家では嘔吐と下痢。その挙句に具合が悪くなったのは私の車がぼろでガタガタ揺れるから酔っただの言いだして腹が立つやら何やら。たまたまダッシュボードに車中でゴミ袋にしようとスーパーの袋を7つ8つ載せていたので本当に助かった。その翌々日は私がうつされて3日ほど、腹痛と嘔吐と頭痛で使い物にならず。


ナスコは接触事故起こすし、より良い条件を提示されて実家で使っていたメインバンクの交替をすることになり(旧はかなり気を悪くしたみたい。大人げない対応だとつくづく思う)、義弟(夫の妹婿)の急死とか(しかし大体この結婚、私は反対だった)、業績の悪化した事業所のテコ入れとか、ノイローゼになったスタッフのお守り、おまけに市議選が近づいて職場で推す候補をめぐってスタッフとぶつかり、人事異動があり、・・・・私って意外と元気なマンカインドだったのね、と思う。雨ニモマケズ風ニモマケズ、の賢治の詩が、頭の中をぐるぐる廻る。いつまでもこんな状況が続くわけないと思うけど、ただ現実に追われているだけの生活は自分がただの馬鹿になりそうで怖い。何の面白味もない感受性の枯れた人物になってしまいそうなのがつらい。そして3月は去りゆく。



#九州新幹線は開業一周年の大判振る舞いで博多まで何度乗り降りしてもその日のうちなら1万円ポッキリ、というキャンペーンを張ったので、たとえ花粉のシーズンであろうと行かねばならぬ、ちうことで日帰りで博多座(武田鉄矢「101回目のプロポーズ」)を見に行く。


出掛けることにしたのは現実に飽き飽きしたということもある。ラジオで聴いてはいたが、武田鉄矢は倒れて心臓の手術をしてからまだ4,5か月くらい。舞台化粧の上からでも顔の色艶の悪さが見て取れた。博多座の中には博多でも今話題の美味しいお店が入っていることが多いらしいが、前回美味しかったクレープ屋さんがなくなっていたのが残念。

しかし速い。博多は新幹線を使えば通勤圏になった。乗って2通、メールを打ってお茶を飲んで一息ついたらもう熊本である。


#ノイローゼになったスタッフは真面目でいい仕事をするのだけど、上の子が多動児で走り回ったり父親を殴ったりで扱いに疲れ果てた上でのことだった。近在の町で全国ニュースにもなった母子心中事件があったばかりで気になって奥さんも呼んで話をしてみることにした。


感想としては、同い年の夫婦というのは概ね男のほうが精神年齢が低い。男ってどうしてああ言葉が少ないんだろうか。自分の言葉の少なさが相手を追い詰め、傷つけるということに非常に鈍感である。妻が悩んでいるのは子供の多動のことではなくて(もちろんそれもあるが)夫が妻の前では泣き言は言えないと考えて(ただのカッコツケ)一切、打ち解けて腹を割って話さず、泣き言どころか一言の言葉も発しないで黙っているだけというのが我慢ならないことのようだった。そのいら立ちを、私は良く理解できる。

私自身は相手がだんまりを決め込むことを許さないし、夫も私が攻め込むと丁々発止と受け止めてくれるのでのでこの夫婦のようになることはないが、スタッフの♂どもの言葉の足りなさには辟易する。男は、男に対してはどうだか知らないが、女に対して言葉が足りないのは致命的でさえある、どのようなことでも話題にし、つまらない話をすべきだ。女にとってそれはグルーミングに近い。お客様に対しても♂どもはそれをやってしまっていると思われ、今懸命に注意を繰り返している。


#本日のJUGEMのお題より。思い出の卒業ソングは? ハイファイセットの「フェアウェル・パーティ」
斉藤由貴の「卒業」かな。



#5日かかってやっとこの日記を書き上げた。何やらタスキを繋いで責任を果たしたかんじ?




| - | 14:09 | comments(0) | - | pookmark |
東京スタンダード

 
 
#夫が見ていたテレビを横からチラ見。リチャード・エマートなんて初めて聞いた名前だなあ。しかしこの人が変わったことをやっている。英語能。Unchained melody  は映画「ゴースト」の代表的なシーンで使われた曲なのだが、それを能風に唸っている。なかなか面白かった。ってか、能って日本人(それも特殊な血筋)じゃないと出来ないと思っていたけどそういう訳じゃないのか。
 


#事務所のI君は私とほぼ同世代で東京の大学を出ている。上京するまでK県を殆ど出たことはなかった。まあ修学旅行ぐらいだったろう。4月、大学でもバイト先でも、二言目には「田舎どこ?」と聞かれた。 I君「K県は田舎じゃないんだけどなァ、って思いましたよ。それなのに、『宗谷岬と佐多岬は、そんなところにも人って住んでるんだ・・・と思うほど田舎だったのに、そこから来た奴と一緒になるなんてなァ・・・』なんてしみじみ言われると頭にきましたよ、しょっちゅうですもん。FM放送の話になってですね、あのころはK県ではFMと言えばNHKFMしかなかったですが、クラッシックのみで歌謡曲なんて流れてませんでした。FMで聞く歌謡曲ってどんなんだろう?」って思いましたよ。でも東京の人たちの感覚って、東京のことが当たり前で東京でなければ人にあらず、東京の中に日本がある、アメリカの中に世界があるんだ、って思いましたよ。」


ははは・・・ 彼らしいまだるっこしい言い回しだが、なかなか味があるではないか。ナスカ的表現だと。もっと事務的な感じの・・・そう・・・トーキョースタンダード、かな。東京標準。どうだ!



#加藤登紀子 SONGS. 東大卒業式の日、東大紛争のまっただなかで、着物で卒業式に行くはずだったところをシャツとジーンズで加藤もボイコットする。「東大卒業式をボイコットした加藤登紀子」 週刊誌に書かれた。記事を見た学生運動のリーダー藤本と運命的な恋をする。

ある夜、藤本が歌を歌った。「知床旅情」。思いがこもったその歌声を聴き加藤ははっとする。
「私は歌手なのに、自分のいよいよっていうときに自分の気持ちを相手に伝える歌をもっていない この人はこんなにとうとうと空の下で歌う。自分の歌を持っていて人生を自分の歌にかけて歌っている。自分が恥ずかしいと思った」


ううむ・・・・ 加藤登紀子の歌も歌い方も、その実そんなに好きじゃないけれど「知床旅情」はいいよなあ、と思っていた。そういうエピソードの歌なのね。

私は、自分のスタンダードを持っているかしら。自分の、いよいよという時に自分の意思を相手に伝えられるような手段を。



#専門学校の卒業式に呼ばれて出掛け、受付で名前を言ってゲストのリボンを付けてもらっていると、「H山さん」と呼びかける声が。私をナスカさんと呼ばずに「H山さん」と呼ぶのは相当古い時代の知人のはず・・・

と、それは高校の同級生だった。うわっ!N上くん! 

一別以来かれこれ・・・三十ウン年! これだけ会っていないと彼がN上君だってことが分かることが不思議なくらいだ。まあ彼はあまり変わってなかったもんな。私のほうがあんなに痩せてたのにぶくぶく太ってよく私が私だって分かったよなあ。何しろ周囲に人がたくさんいるし、私のこととて時間に余裕をもって行ってるはずもなく、もたもたしていると式典が始まってしまうのでわあわあ言いながら別れてきてしまったけれど。懐かしかった。


彼は同窓会の幹事をしていて、同窓会に顔出しなよ、って言われたけど いやんだ。行くなら10キロは痩せないとねえ・・・・。



#梅はもう散った。早咲きの桜が咲いている。ソメイヨシノは月末の予報。


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