42年目の答え合わせ

 

 

 

#母をあんな形で入院させたことで、自分ではああするしかなかったと納得しているし苦にしているつもりもなかったが、心のどこかでは気にしていたのか罰が当たったのかタール便が出た。タール便とは黒いペースト状の便で、胃か十二指腸の潰瘍か癌が一番に疑われる。表面が崩れて出血しているとき出る。でも癌にしてはとにかくひどい腹痛で、夜中に救急車に乗るかどうか冷静に迷った。サイレンが深夜の住宅街に響き渡ることを考えると 救急車に乗るのはちょっと恥ずかしいかもと朝まで待つことにする。

 

結局救急車には乗らず、潰瘍の薬がうちにあったので飲んだ。薬はピタリと効き、痛みもタール便もなくなった。ひとまずこれでよしとする(>え?) いや、まあ、行くよ、そのうち。

夫「1ケ月後にもう一度血液検査して、やはり悪かったら胃カメラ飲むんだぞ!」  

は〜い。

 

散々な11月だった。

 

 

 

ここ数年同期の訃報がどっと増えた。

でも、私ももういいかなあ、そうだったらそれでも、と思う。

どのみちどこかで幕は引かねばならない。子供たちは二人とも何とか、まがりなりにも離陸していった。孫の顔も見た。悔いが残るかどうかはここが大きいと思う。

 

還暦の年まで(3月生まれなので来年なんだけど)よくここまで無事に来れたものだ。

神仏と関係各位のご協力に深謝する。

 

 

 

 

 

 

#タール便の騒ぎから10日ほど経った勤労感謝の日、高校の同期同窓会があった。一学年500人ほどで4分の1くらい来た。私は結婚してから出たことはなかったが、半年ばかり前、同期が近くの高校の先生をしているのを知って、就職希望者がいたら紹介してくれるよう頼みに行ったのだった、彼は快く引き受けてくれた。

ナ「私にできることは何でも言って?やるから!」

と言ってしまって、、、

「じゃあ同窓会出なさいよ。俺、母校に子供3人入れたので、今、父母会の副会長やってるのよ。」

えーっ。しまった・・・。

 

 

まあ、なんでもやるよと言った手前、しょうことなしに行くことにした。

行きたくなかった理由は、私のクラスは女子が4人しかいなかったのだが、既に2人亡くなっており、もう一人もお姑さんが今年亡くなって、何度も行き来したから今度は見合わせるとのこと。他のクラスに知っている顔はあるにはあるが、クラスのテーブルでは紅一点で出なくてはならない。

もう一つの理由は勿論、40キロ弱くらいだった体重が、相当増えていたからに他ならない。

皆私を私だと分かるかなあ??

 

 

 

席は担任の先生の隣にした。酔っぱらった男子の(今更男子という言い方もおかしいが)酒の相手なんかまっぴらだ。担任は京大卒の英語の先生で、私達を担任後35歳で退職して自分の母校の○サールに移られたので、私たちが彼の担任した最後の女生徒で可愛がって貰った。

 

概ね皆、太った私をナスカさんだと分かってくれて、遠慮深い人は「貫禄ついたね」と、あけすけな人は「一体どうしてそういうことになったの?」等大変失礼な挨拶をくれ、近況を伝えあった。

宴たけなわに、一人ずつスピーチすることになる。

 

 

なんと順番は私が大トリだった。

 

ナ「私のクラスは女子が4人でした。一人は私の紹介した人と結婚し、相模原に嫁に行きました。もう一人は28歳の時亡くなり、もう一人も一昨年亡くなりました。・・・・もし、元気で居たら今日は必ず来てここに居たと思います。」

何だか悲しくなり、少し声が霞んだ。私の話が止まってしまったので 見ていた人は私が最後まで話し切るか、心配になっただろう。

 

ナ「月並みですが彼女たちの分も頑張って一生懸命生きていこうと思います。

・・・・こんな風に湿っぽくなるつもりは本意でなかったので、もう少し話させてください。

 

一つ思い出を話したいと思います。

化学のK先生の授業の実習で、ある日私たちは王水を作ることになりました。王水は塩酸と硝酸と硫酸を混ぜて作る、何でも溶ける魔法?の水です。ところが、実験が終わってそれを捨てる段になって、どこに捨てるのか私たち女子4人の班は先生のおっしゃったことを誰も聞いてなかった。

普通に流しに捨てようとする私に、

 

U『待って!! ナスカ、そんなところに捨てたらダメよ!何でも溶けちゃうんだから、流しが溶けちゃうっ。』

 あ・・・・そうか・・・。

『誰か男子に聞いておいでよ』  私たちはネズミの相談になった。

『嫌よ、聞いてなかったのばれちゃうじゃん。』

うーむ。

 

U『いいこと考えたわ! 万物は土に帰るのよ。土に捨てましょう。』

 

それはいい考えだということになって、私たち4人はこそこそと廊下に出、(校舎は1Fでオープンの廊下で外だったので)その辺の手近なところに こそっと捨てた、ところが手元が狂って植木の葉っぱにちょっと液がかかった。緑濃い木の葉はあっという間にじゅうっと音を立てて真っ白になり、残りの液は土に落ちてやはりじゅっと音を立てた。

 

私たちは魔法の水のあまりの威力に驚いて、

『なんで木にかけるのよ』

『手元が狂ったのよ』などと、もしゃもしゃ話す。

何事が起きているかと気づいた男子がパラパラ見に来て、ぞろぞろ見に来て、とうとうK先生まで見に来て『コラ! 何やっとる! あーあ!』(笑)

 

私たちはキャーっと逃げたんですが、懐かしくて楽しい、鮮烈な思い出です。」

 

話し終わって、私は彼女たちの死を今でもとても辛く感じているのを、改めて思い知った。

 

 

 

 

 

#担任「ところで、君たちは同級生同士で付き合うとか好きなやつとか居たのかね?」

ナ「私は付き合うとかはありませんでしたねえ。

そりゃあの子かっこいい、と思うことは数人いましたけど。父が厳しかったから何かあると面倒臭かったし、進学しようと思っているから その先に結婚があるわけでもないのにまだ17才、18才でABC?(古っ)そしてどうなるの? 結婚するまで長すぎない?とか、男のために弁当作ったり編み物したりって柄でもないし? 

 

それに、クラスメート同士どっかで付き合うとかあると他の子とバランスを取るのが難しくなるじゃないですか。

 

男の子たちもどっちかというと同格で打ち込んでくる私たちよりも可愛らしく従って自分を立ててくれる普通科とか下級生の女の子が良かったみたいですよ。私たちはあくまで同格でしたからね。」

 

でも 本当は、同級生のK君と隣のクラスのSさんがキスをした、というのをSさんの口から聞いて、まだねんねな私はセンセーショナルにショッキングだった(笑)、しかしそれは先生には言わなかった。

 

担任「でも、O君とSさんは好きあってただろ?知っとるぞ。あの頃先生たちは引き離すのに躍起になってたんだから。」(爆笑)そうだったんですね…なるほど。先生たちにしてみればそうか。42年ぶりの答え合わせ。

 

 

 

脇で聞き耳を立てていたNが口を挟む。

N「O君は今やうちの学年の出世頭じゃないかなあ。東北のA大学の医学部長になってるよ。今日 来いよ、って言ったんだけど、今日はA大のAO入試で面接担当なんだってさ。」

 

ナ「へえ! NくんとO君は200点満点の数学の試験で、平均が60点とか70点とかいう時に、二人並んでいつも200点満点だったよね。数学のD先生が、Oの答案はものすごく綺麗な字で行を揃えて丹念に書いてあり、一目見てマルがつけられたがNのやつは字が汚くてどう見てもマチガットルと思うんだがまあ読んでやるか、と思って判読しながらようよう読むと、あってるんだよ。」って変に感心してたよね。」

 

N「数学って面白いと思わないか?俺は家が許してくれたら浪人して東大で数学やりたかったなあ。うちの子たちが高校の頃、『分からない問題があったらお父さんがやってあげるから持ってきなさい』って言うのに、ちっとも持ってこないんだ。とうとう俺Z会に恥ずかしいから偽名で入って、×がついてくるとこれはあってるはずだ、こういう理由だ、って書いて送り返すんだ。すみませんでした、ってマルがついて返ってくるよ。趣味なんだ。」 アハハハ・・・  変なやつ!!

偽名で、というのは全国の成績上位者の表に名前が載るってことだ。それが趣味か! アホ!

 

 

帰宅してOの話を思い出し、秋○大医学部長、で検索してみた。昔のままのK君が眉根に縦皺を寄せた写真が冒頭に出てきた、まるで秋○県出身者のように語っているのが、少し寂しくまたとても嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

| - | 09:59 | comments(0) | - | pookmark |
ノーサイド

 

 

 

#とうとう私にも介護の波がやってきた。何だかんだ言ってる割にはうまくすり抜けて他人事で来たが、残念ながら私たち夫婦とも長男長女で、私の父は76歳で亡くなったがあと3人の「親」が残っている。

 

 

母は、最近は下の失敗も出てきた。スイッチが入っているときは攻撃的で怒った顔をしている。どうも私の夫を分かっているかどうか場合によっては怪しいことがある。「ヒロシですよ」というと、「あ、あんただったの」と言ったそうだけど分かっていたかどうか怪しい。私のところは要介護度3がつかないと入居できない。不便なもんだ。

 

義父母は博多に住んでいるが、非常にゆっくりしか歩けず、50メートル、100メートル歩くのもきついらしい。義弟に言わせると「100メートル歩くのに30分かかりますよ。」

買い物が大変になってきて、食事を作るのが大儀になった。

訪問給食や宅配を頼んでみたが、

義母「私はあんなもの食べるの嫌ですよ。」

義妹が市内にいるが、小金をせびる癖に暴力があり、

義弟「玄関にお父さんの血のりが生々しくついてたよ。」

というわけで義父母がK市への移住を希望してきた。

 

 

長男夫婦(つまり私たち)と暮らしたいとは言わない。私がフルタイムで働いていて同居の介護は仕事を辞めないと無理と分かってくれているのだろう。義父母は夫婦仲は悪くはないがよくもない。義母は最終的には義父に従うと言うが、それまで激しい喧嘩をする。私が嫁に来た頃は義父は義母を殴ることもあった。それでも義母は1ミリも負けていない。激しく言い返し、喧嘩は更に激しさを増した。それ以外の時は仲良さそうにしている。ま、あんなものだろう。

 

 

ともかく、あとはよろしく、どこでもいいから入れてくれと言ってきたので近くの知り合いのホームを押さえ、入居の段取りをする。残った実家の後片付けは4兄妹好きなときに行って好きなだけ取ってくる、早い者勝ち。残りは私たち夫婦と下の義弟夫婦で12月の連休に片付け、業者に全部持っていって貰い家を空にして新年早々家を引き倒す段取りに決まった。更地になった土地は下ぶの義弟の勤務していた三菱系列の不動産部門で一般市場に出る前に売れることが決まった。

 

 

義弟夫妻も共働き、夫も平日は無理、しかしホームが「平日に入居してください。」というわけで、

100メートルを30分かけて歩く義父母を博多から当地まで連れてくるのはひとり私の仕事になった。気の遠くなりそうな量の荷物で、義母は持っていくつもりでいる。一体誰が、どう説得するんだい? と思ったがこっちは義弟が担当してくれた。

 

 

この義弟は(義弟は二人いる)割に頼りになる人で、この人を指令にし、私が実働して無限に続く些末な仕事を今はこなしている。無限の仕事がどこまで消化出来るのか分からないが、私の好きな方言で、「できたひこ」というのがある。出来ただけだ。出来ただけで良いと思っている。

 

 

 

 

 

 

#「せごどん」で戊辰の役が出てきた。今でも会津では薩摩憎しの感情が生きていて、K県から嫁に来たとか婿に来たというと悪い感情をぶつけられるらしい。恨みは今も生きてるのか。その後の日清日露太平洋戦争をはさんだとしても。そのせいか戊辰の役はあっという間に終わってしまった。あの場面に出てきた西郷隆盛の弟西郷吉次郎と最後まで一緒に戦って死んだ先祖が私には一人いる。

 

一族は彼の死を深く悲しみ、その思いは代々継がれているから、会津の方々が薩摩憎しと思うのも無理はないのかもしれない。

 

長岡城に河井継之助という人物が居た。幕府の家老だった牧野家の家老で、若いが優れた人物だったらしい。官軍との戦いを優位に進めたが、最後流れ弾に当たって破傷風になり亡くなった。このとき長岡城を攻め、負傷して死んだ西郷吉次郎のすぐ近くに居て、同じ野戦病院、医王寺に運ばれ、私の先祖の直左衛門は亡くなっている。

 

父が今の私くらいの年齢の時、「一緒に長岡へ行かないか」と言ったことがあった。当時の私には全く持って無理な話で、100年以上前に死んだ先祖参りに行くなんて考えもしなかった。しかも父とは嫌。(母ともだけど)

でもあの時の父と同じくらいの年になり、なんとなく父があの時考えていたことがわかる気がする。そして行ってみたくなった。

 

 

 

 

 

#Decade は10年という意味。日本には10年ひと昔という言葉があるが、Decadeをネットで引いたら、「ひと昔」と出たサイトがあった。いやいや、Decadeはあくまで「10年」という意味で「ひと昔」ではなかったと思ったがなあ。こういう時はネットではなく辞書を引きたい。

 

今 袋小路の苦境にある人に。今はどうにもならないと絶望するかもしれない。

 

しかし 全く動かないように見える現実も、実は少しずつ、どんな堅結びでも緩む。実は万事、万物は全く止まっているように見えても、一日にほんの少しずつ動いているのだ。

 

10年という時間は平均寿命の8〜9分の1になるだろうか。0歳の子は10歳になり、10歳の子は20歳になる。長いとも短いとも言える長さのこの時間を自分のこととして考えると、私の環境は10年で全く違っていた。家族や友人等周囲にいる登場人物も、暮らしている場所も、経済状況もその他の条件も。

 

 

0歳の時は私と若夫婦とお手伝いさんとで博多で暮らしていた。10歳の時は祖父母と横浜で暮らしていた。20歳の時は横浜で、友人やボーイフレンドと楽しい学生生活をしていた。30歳の時は夫と鹿児島にいて、子供が一人、平穏な専業主婦をしていた。40歳の時は二人の子供を抱えてスタッフに囲まれ職場で死にもの狂いで働いていた。50歳の時、上の子は大学に県外に行き、下は中学生だった。60歳が目前の今、二人の子供は独立し、孫が生まれて婿がいる。どの時も、別の時とは全く別人のように、違う生活、別の、と言ってもいいほど違う人生を生きている。

 

10年、辛抱してみたらどうか。必ず状況は変わっていると思う。誰の人生も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 15:28 | comments(0) | - | pookmark |
下灘駅にて。

CMで有名になったJR下灘駅にて

青春を羨む

 

#水浸しの空港を見て。(ニュースとしてはもう古くなってしまった何個か前の台風の件。)

埋め立て地に作る空港ならいっそ沈下橋みたいに、一定以上の潮位になる場合滑走路は沈下する空港にしたらどうだろうか。高波が来たら、別に水没してもいいや、というスタンスにする。敢えて沈むところまで水面下に沈める。それならちっとも怖くない。滑走路が水没するのなんか、当たり前だ。沈下式なんだから。

 

福島でも津波の堤防に今までのより数メートルの高い防波堤を築くと言っていたが、景観を台無しにしてまで自然を相手に戦っても限界がある。津波や高波に早く気付くようにシステムを整え、海の近くに逃げ込める高い建物を建てるほうが合理的だと思う。柳に風、糠に釘(ちょっと違)というではないか。力のあるものに対抗しようとすれば、勝つには相手以上の力が要る。柳に風式なら、相手より弱くても生き残ることは可能だ。

 

 

と、夫に言うと、「福島の堤防はともかく、空港の滑走路にはいろいろ電気設備があるだろ?それを全部防水にするとなるとそれこそ金かかるんじゃないか?」 そうかなあ。いい考えだと思うけどなあ。とかく人は新しいアイディアに対しアンチを言い立てる。当地の言葉で「故障を言い立てる」という、できない理由、その理論の不備をあれこれ言ってしたがらないという意味である。

 

 

 

 

#職場で。割と大きな改革をすることになり、業者を探す。ネットその他で4つ選び、メールで接触を図る。4社と話しても1社1時間かけたとして3社目くらいになるとだんだんくたびれてくる。

 

やっとすべて説明を聞いて頭がごちゃごちゃになり、デスクに戻ったところに、呼んでもいない、聞いたこともない名前の業者のパンフレットがあった。「これどうしたの?誰がここに置いた?」

聞いたが誰も心当たりがないという。・・・・不思議な話だ。

しかし直感的に、さんざん探しても決め手を欠く今度の仕事に、今の今というタイミングで舞い込んできたパンフレットに興味を抱いた。こういう話は神様が一枚かんでいて、まとまるものだ。何となくホワイトボードに貼ってある祐徳稲荷の札をちらっと見る。ご加護か。

 

 

 

やってきた営業の男は年のころは30半ば、背が高くがっちりした体つきで、顔は明石家さんまに似ていた。歯並びの感じがそっくり。頭が切れそうな感じではない。見ると手の指の皮が水泡になってめくれていた。手をよく診よ、とは学生時代に受けた教育の賜だ。

ナ「昨日はゴルフ?」

営「あ、いや この手すか? 昨日子供のあいご会で子供載せてボートを漕がなきゃならなかったんですよ。」へー。

ナ「あなた、何か運動をしてたの?」

営「はい。学生のとき、陸上をしてました。」 ほう。一番いい戦績は?

営「実は九州大会でハードルなんですが、優勝したことがあるんです。そのとき、僕は為末(陸上で有名なあの!)と同期なんですが彼が故障で出られなかったんです。よし、優勝出来るとしたら今度しかないと思って、初めから狙いました。決勝の試合で僕の前に一人居たんですよ。こりゃダメかなと思ったんですが、それなら一人でいい、一人だけ抜こう、って思って。

そしたら抜けたんです。抜いた、と思ったらもう前には誰もいなくてゴール、優勝でした。」

 

ふーーーん・・・。

そんな気分が味わえて少し羨ましい。

 

あなた出身はどこ?

「隣のK県です。k県には40くらいの島があるんですが、人が住んでいるのはそのうちの4つだけなんです。大体どの家も小さいエンジン付きの船を持っていて、僕の同級生もみんな18になると船舶の免許を取るんです。帰省するとみんなで近くの無人島に出かけて、そこで魚を釣って捌いて刺身にし、バーベキューするんです。」

へえ・・・・ いいなあ。そういう暮らしってあるんだ・・・・。

 

「僕は島を出てK市内に住んでて、船舶免許は持ってないんですが、素潜りも出来るので潜って魚を突いたり、アワビとかイセエビとか採ります。僕の母はタコを取るのが上手で、タコって潮が引くと岩場とか上がってくる習性があるんですよ。でも保護色になってて岩と色がそっくりで動かないと全然分かんないんですよ。でも、目だけが動くんだそうです。眼だけが動いて、『あ、あそこ!』ってスタスタ歩いて行って手づかみで採るんです。だからすぐ10パイとか採れちゃうんですよ。」  へえ!!

血が騒ぐ。私は昔、海の狩猟の民だったかもしれない。

 

タコの話はいたく気に入った。

 

さて。

 

仕事の話をしようか。

 

 

 

 

 

#人手不足の折、やむなく派遣さんというのを頼んでみることに。産休代用なので、有期、ということになる。

 

面接にやってきた人を見て一番驚いたのは、まあ派遣会社の人が同席するのはいいとして、履歴書がない。

「当社の既定の紙がございますのでそれを参照していただいて、」というのだが、その当社の紙には学歴は何も書いてない。

年齢も住所も電話番号も家族構成も何もなし。見たところ30過ぎの女のひとだった。

初見でこれを見せられて何を聞けというの??? なんだか馬鹿にしている。

意味が分からない。

職歴も会社の名前は何も書かれていない。ガス業、金融業、などと書かれているだけ、仕事の内容の欄は 「事務、受付、電話取次、司会」 司会???

10分間の打鍵数614字?  

ナ「私、10分だったら2000字は打てるよ?」

 

まあ、先方にも個人情報保護とかいろいろあるんでしょう、と気を取り直し、

「ええっと、学歴は?差支えなければ中学校、高校を教えていただいていいですか?」

「大隅の○○中です。」

ナ「高校は?」 「○○高校です。」

進学したのかどうか聞く元気はもうなかった。

 

ナ「それで、この福岡のガス屋さんに高校出て就職されたんですね?」

 「いえ、短大に2年行きました。」 そんならそう自分で言ってよ!

どこ短大ですか、というのはもうメンドくさくて聞かなかった。

それで私に何を聞けというのか?

 

 

ワードエクセルが使えると書いてあったので聞いてみた。

「例えば、縦書きの文書を打ってと言われたとして、どうしますか?」と聞いてみた。

「え。やったことないし。わかりません。」

履歴書出したくなければ履歴書の内容はそっちが喋れよ!と言いたいのは我慢した。

仕事ができなさそうなのはともかく、面白さのカケラもないような女だった。

 

 

スタッフT子「ナスカさんあの人断り入れておきますか?」なんで私が嫌いだってわかった?

スタッフT子「分かりますよ。この人にはもう何も聞かなくていいわよ、って雰囲気でしたもの。」

あら。

スタッフM「いつもナスカさん、『とにかく、みんなにも私たちにもチャンスを、って感じでどっちかっていうと一生懸命いろいろ聞いて救うところを探すじゃないですか。今日は初めてじゃないですかねえ、こんなこと。全然聞こうとしてませんでしたよ。」

・・・・そう。

 

初めてお付き合いしようかと思った会社だったから、大概なのを出しても私が分からないだろうと思ったか、どうせ今回だけの話だからいい加減な奴でいいから誰でも出しとけと思ったか、本当に人材がないのか。

 

幸い断って数日、ハローワークの求人を見たという、いたくワタシゴノミの可愛い子がやってきた。

 

 

#9月の連休で宇和島に行く。途中下灘駅に立ち寄る。残念ながらこの日は曇りで、海は明るい灰色だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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コッチニイル?アッチニイル?コチニール。

 

#久しぶりに日高敏隆先生の本を開く。「動物にとって社会とは何か」(ランダムハウス講談社)

漠然と、私が考えていたことが、まとめられていて、このことを考えついた私は天才ではないかと思ったが、勿論私が考えつくことくらいは様々な世界の第一人者が考えついて論文にまとめているのだった。。。ちうか元々、日高先生の受け売りだったのかも?

 

私がこの人の考えに賛同し未来を心配するのは まさにこの人口問題についてだ。

 

一部を要約するとこうなる。

------多くの動物は本能的な個体数の調節機能を持っている。食物が減れば自然に妊娠しなくなり新しく個体は生まれない。食物が増えれば一度に沢山の子を妊娠する。そういう風に出来ている。個体数が増えると天敵の餌が満ちあふれ、天敵が増える。すると捕食されて元の動物は減る。自然にはそういう数を調整する機能が働いている。

 

 

ところが、人間はそれがない。人類は出生を抑える効果を持つ宗教上の戒律、社会的な掟やタブーは作った。しかし宗教の戒律から自由になりつつある現在、それ以外に人類の個体数を調節するものはないのだろうか。

 

2つある、それは、伝染病の大流行、もう一つは戦争だ。

伝染病の大流行が収束すると、人口は大幅に減る。生産はかなり打撃を受けるが多くは回復可能であった。1348年のペストの大流行の後のように地下や家賃が下がり、小作料も安くなり、賃金が上がるという現象が起こる。つまり年は伝染病のおかげて「人口の重荷」を下ろしたのである。

 

 

 

戦争の人口学的研究者によると、戦争は過剰人口、特に人口の中で若い人間の率が著しく高いときに起こる。これは過剰人口ならかならず戦争が起こるという意味ではない。戦争の直接の原因は主として経済問題で、それがつもりつもってゆくうちに、多くはかなり些細な事件をきっかけに戦争が起こっている。

 

 

太平洋戦争当時のドイツでは子供を産むことが奨励されていた。子供の数が増えるほど、税金その他に大きな恩恵が与えられたからだ。人口が過剰になり20歳前後の人間の数が多くなってきて、しかも産業、住宅、食料その他の生活条件の改善のテンポがそれに追いつかないと人々の間に何とかならないものかという気持ちが出てくる。

 

それが必ずしも戦争による削減を求める気持ちに発展するわけでは無いが、結果的に戦争が起こった場合、生殖年齢にある男子が大量に減る。それに伴い、多くは伝染病、飢えなどの因子にっより、戦場以外での死亡も増える。こうして人工的な重荷が下ろされる。その後当分の間戦争は起こらない。人工的な緊張状態は昔からこうして戦争によって自己弛緩に達することが多かった。だから戦争は一定の年月に一度繰り返して起きるのである。

 

 

 

戦争の結果人口が減り、とくに戦争が正職力の高い若い男を選択的に死に追いやることによって人口の増加は一時的に緩くなる。少なくとも戦争の継続中は出産が減る。---------要約終わり

 

 

私が心配するのはこのくだりである。要するに、日高先生の意見では、戦争が起きるのは人口過剰になった場合だという。人類の最も原始的な部分が働いて起きる、ということになる。そういえば日本が昔戦争をしたのも、富国強兵で産めよ殖やせよのスローガンのもと、人口が増えた時期では無かったか?

日本は今人口は減っているが、隣に13億とも14億とも言われ、更に一人っ子政策がなくなってどんどん増え続ける国がある。この後この隣国はどうなるのだろうか。日本は巻き込まれずに済むのだろうか。戦争は、戦争反対、と叫んでみてもしょうがないのである。誰だって反対に決まっている。でも世界の人口を調整しないとどうしても起きてしまうことなのだ。

 

どうか孫、ひ孫の時代に、この先日本の行く末に影が落ちませんように。

 

 

 

#婿が、コチニールという食用色素の話をナスコにした。名前を最近あまり覚えない。コッチニイル、アッチニイル?ドッチニイル? って覚えれば良いね! 

ネットで調べてみた。潰した体液はまるで口紅色で、ハム、いちごパフェ系、かまぼこなどあらゆるものに入っているらしい。婿は結構神経質なたちで、これを見たら赤い物は食べたくなくなった、という。どれどれ? ちうわけで私もそれを見てみた。なんと、南米ペルーで養殖?されているカイガラムシの一種なんだそうだ。一目見ると気持ち悪くて、口紅はつけたくなくなった。しかーし。そういうわけにも行かんぞなァ。こんな婆さん顔ではせめて唇だけでも乙女色にしたいもんなあ。

 

 

 

#世の中の人は認知症を分かっていない。分かっていたら自己申告で運転免許証を返納、という話にはならない。返納しているのは、結局、別に取り上げなくてもそう問題の無い人で、本当に取り上げなければならない人は(つまり病識が無いほど認知症の進んだ人は)決して自分から返納するとは言わないものだ。

 

しかし、私は決して未来を諦めてはいない。私の目の黒いうちに、介護用のロボットが出来て、かなり認知症が進むまでは在宅で独居でも暮らせるようになる。車はタッチパネルで地図を触ると自動的にその場所に行くようになり、車が車を追い越すときはバッタのようにジャンプする。私が乗るには間に合わないかもしれないが、遠からず将来、人間用ドローンが出来る。透明な風船の中に人間が座って乗れるようになっていて、人は空を飛んで移動するようになる。見たいものだ。

 

 

 

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ノーブレス・オブリージュ 

ノーブレス・オブリージュ

〜入試での男女差別を考える

 

 

手水鉢の中のカエルの卵

 

#東京医大の入試で男女差別をして、女子に係数を掛け、合格者数の調整をしていた話で。

 

ナ「どうしてバレたのかな?」

夫「裏口入学の収賄容疑で調べが入って、一人ずつこの子はどうして合格した、どうして落ちた、を確認したら、自然と女子のこの子は点数がいいのになんで落ちたの?ってことになったのよ。」

ああ。そうか。

 

 

また乱暴なやり方をしたものですね、受験生に(男女で合格点が違うという)説明は一切されていませんでした、と言っていたが、では説明し納得して貰っていればいいのか? 

 

#裏口入学はともかく、東京医大の入試で無くても男女に差別があるのは今に始まったことでは無い。

 

 入試現場では私も自分や子供たちの学校を見て男女比の差はあったが、ここまで多いかなと思うことはあった。能力的に男女でそう差があるわけではないから、普通に考えると男女の受験者数の比率が大体男女の合格者数の比率と相関していると見るのが普通じゃないだろうか。

どこの塾の偏差値だったか忘れたが堂々と女子の偏差値はこれこれ、男子のはこれこれ、と出ていたのを見たことがある。理由はいろいろだ。当該学校の近くに優秀な男子校があると男子の1番手はそっちに取られる。共学の最優秀校には男子の2番手と女子の1番手が来るから、女子の偏差値が高い。また、共学の学校が県内1番手の場合、ライバルは県外校になる。すると今度は大学入試で東大や医学部がすぐ週刊誌に載るから、そういう所を志望してくれる子、つまり男の子が通りやすくなる。通りやすくなるということは操作方法は知らないが、偏差値は下がる。元々諸般の事情で男子と女子は偏差値が違う部分がある。


公務員だって政治家だって一流会社だって男女差別はある。県庁や市役所の正月や暮れの仕事納めがニュースに写るとこりゃびっくり不思議なほど男が多い。っていうか、男しかいない。私が結婚するとき、仲人さんは某大学の教授だったが、この人は「うちの医局には女は入れない」と公言してはばからなかったし、私が就職するとき、教授に紹介された最初のところで「うちは女の人は採用しないんです」とはっきり言われた。曰く、「女は育ててもすぐ結婚して辞めちゃうから。」
私にとって社会は初めてのところだったので、はあ、そういうもんか、と思った。
男女雇用機会均等法、とか、求人の時に男女で採用してはいけません、等と法律を作って叫んでみても、根本的なところを何とかしないと事態は変わらないと思う。
歴史的にそういう風になっており、それはまだ1ミリも改善されていない。
#では根本的なところ、とはどこか。
それは、女が結婚や出産、現代では介護で退職するかどうかのところだ。
もう結婚で寿退職なんて骨董的な人はあまりいないと思うが、それは止めて貰いたい。問題外だ。
私も最初の子の時は8ヶ月くらいまで働いていた。最初の子の時はぎりぎりまでやれる。でも二人目の時は上の子を
みる人が必要になる。それと、夫が多少は育児に動いてくれないと親が近くに居ない場合どうしようもない。
この辺のところを、もう少し社会で何とか出来ないものか。いくら人手不足の、税収減のと言ってみても、子供をみてくれる人が見つからなければ働くことは出来ない。
私の母は生涯現役で、出産も私の時は数週間、妹の時は1週間しか休まなかった。そしてずっと、お手伝いさんを雇うか、自分の母親に近くに引っ越して育てて貰った。考えてみれば女親だけに、全てお任せしている。そうでないと仕事は出来なかった。
働けないと退職する、退職すると税収は減り、女はどうせ(子供を産んだら)辞めるから、せっかく育てても戦力にならない、夜の勤務や残業に就いて貰いたくても子供が子供がで戦力にならないよね、じゃあ初めから女の採用をやめよう、女は入試で落として男をとっとけ、という話になる。
実際現場は相当困ったのだと思う。現場は動いてくれれば男でも女でも良い。でも女がやらないという以上、男を養成しておかないとシフトが組めない。救急車でも手術室でも患者は死ぬということになる。

大学に残らない(研究・教育をしない) 外科など激しい現場を希望しない(最近は稀に女性も見かけることがあるようになった)

救急など激務の現場での医師不足、関連病院の派遣医師不足、などがあるだろうか。

 

 

しかし、医師不足と言われているが、実はそうでもない。居るところには居る。余っているところもある。要するに偏在している。昔は医学部は卒業したら一旦どこかの医局に入り、そこから教授、医局長の命令で関連病院に派遣されていた。この方式だと大学が責任を持って派遣してくれるので、どんなに田舎でも行く人が居ないという事態は起こらなかった。しかし最近インターン制になって大学入局方式は某省に睨まれ、ズタズタにされてしまった。若い医師はみんな都会に行き、地方には誰も居なくなり、地方の公立病院は診療科をなくしたり病院を潰したりしている。では医師が居ないかというと、例えば福岡市内などクリニックが山ほど出来、どんどん潰れている。

 

 

 

医者の場合、例えば脳梗塞や心臓病で救急車で運ばれる人に対し、深夜でも早朝でも担当の夜は非常招集がかかる。子供が居る人は夫がみてくれねば、夫が仕事に出る時間なら保育所がみてくれねば女が仕事に入ることは出来ないだろう。結局、社会が見てくれるのが一番合理的だ。勿論、産むだけ産んで、育てるのは女性的なイクメン君でもいい。産休1ヶ月くらいあればそろそろ現場に戻れる。その場合今までのように妻が能力的に自分より上、というのではなく、ちょっと社会的には頼りなく稼げないが家事はよくやってくれて、妻の転勤につきあって自在に動いてくれる男が良い、ということになるだろうか。とにかく社会のシステムと皆の価値観を変えねばならないのだ。

 
#そしてもう一つ。東大に行ったような女子(勿論比喩的表現です)や医大なり優秀な人が行く学校を出た人は、専業主婦になって仕事をしないという選択肢は無いと思って欲しい。あなた方には公費、税金が投入されていることをご存じだろうか。一人医者にするのに1億以上かかると言われている。私立いっても1億も教育費はかからないから、残りは国が出している。主婦になるならその分は返して欲しい。奨学金だって防衛大学の授業料だって、任官拒否すれば払わなくてはならない決まりになっている。主婦になるだけなら高学歴は不要なんじゃないか? 勿体ない。主婦を育てるのにふさわしい、しかし優秀な学校はいくらでもあるじゃないか。
男子でも女子でもいいが、生涯働く覚悟がある人に、その席を譲ってあげて欲しい。逆に言うと自分が高偏差値の大学や医大等を卒業したならば、生涯働く覚悟を持って貰いたい。社会のお金を使って学業を修めたのだから、社会に貢献し、お返しするのが当たり前じゃないか。そのことを、教育はあまりにも何も言わなさすぎる。
この人たちにやる気を出させやる気のない者には遠慮して貰い、仕事をしていけるようにインフラを整備し、頭の固い人々が変な主張しないよう全体が変わらねばならない。
女も自分の頭、技量を磨いて自分は自分で食えていくようにならないと いつまで経っても男女差別は無くならず、男に負けて生きていかねばならない。ふくれているだけでは駄目だ。
#古い西洋の考え方に、ノーブレス・オブリージュ というのがある。
ウィキによると、「直訳すると『高貴さは(義務を)強制する』を意味し、一般的に財産権力社会的地位の保持には責任が伴う

 

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー英語版)」を要約する際に、しばしば用いられる。最近では、主に富裕層有名人権力者高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。」とある。

 

 

 

私はこの言葉が大好きだ。この場合でいうと高学歴である者は、それなりの振る舞いをしなければならないという社会的責任を持つ。T大に行ったとしても多くの人に迷惑をかけ、刑務所に入って、しかしそのことを自慢げに本に書いたりする、というのは高貴さはカケラもない。少し前に有名人というだけで模範的でない行為があると袋だたきに遭う、理不尽だとテレビでこぼしている人が居たが、当たり前だ。お陰で儲かってるんじゃないのか。そこには責任が伴う。

 

持てる者は社会に貢献していかねばならないというエリートの矜恃について もっと関係者は教育をすべきだ。

 

 

 

 

 

 

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