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突然の来訪者

 

 

#夫の事業所のスタッフから連絡があった。「市の●●会事務局のkさんという方から連絡があって、韓国の方が窓口に来ていらっしゃるそうで、お父様に会いたいと連絡先を探していらっしゃるそうです。小学校、(旧制)二中、七高(旧制第7高等学校)でナスカさんのお父様と同級生だったそうです。●●会の事務局のKという方ですので連絡をお願いします。」 む? なに??? なんだって???

 

 

とにかく●●会事務局に連絡を入れる。

事務局K氏「来られたのはナスカさんのお父様のお友達のJeeさん(仮称)とおっしゃる方で、『ナスカさんのお父さんは亡くなって、事業所はもう閉鎖されて無い、従って行方は分からない。』と申し上げたのですが、『奥さんも娘さん(妹)も医者だったはずだ、彼が死んだとしても事業所が無くなったはずはない、何とか探してもらえないか』とおっしゃってですね。いろいろ当たって、やっとナスカさんに辿り着きました。昔お父様とお親しかったようで、お墓参りなりとも、されたらどうかと思うのですが。」

 

 

ナ「そうですか。了解しました。ソウルに旧友がいる話は確か父から聞いたことがあります。今そちらにいらっしゃるんですか?」

K「それが、1時間ほどいらっしゃったのですが、先ほど諦めて帰られました。」  「え。じゃあ携帯電話とかは?」

K「それも、向こうの携帯電話は日本では使えない設定のものなんだそうです。宿泊先は聞いてあります。Rホテルだそうです。」

ナ「分かりました。ありがとうございます。ホテルに連絡を入れてみます。」

 

というわけでホテルに連絡する。不在だったので、フロントにメッセージを残した。

 

 

 

 

#15時頃彼本人から連絡あり。16時にホテルのロビーで会う約束をする。少し遅刻してエレベータを降りフロントに入ると、それらしい長身のお爺さんがこっちを見た。この人だ!

87歳にしては動作の敏捷な、6、70歳代の感じの身のこなしだった。

 

ナ「Jeeさん(仮称)ですか?」 

Jee氏「はい。H君の娘さんのナスカさん?」 

ナ「はい。」 

耳が遠くもないし、受け答えも60才代の雰囲気。

 

 

Jee氏「僕はH君とは小、中、高とずっと一緒で仲良しだったんです。H君のご自宅に電話をかけてもかけても繋がらなかったので・・・とうとうここまで来たよ。お医者さんだったから●●会に行ったらきっと何かわかると思いました。一旦は、『そのクリニックはなくなっているからわからない、』と言われたんだけど、『奥さんも娘さんも医者だった、何か手掛かりにならないか、』と食い下がったら、『ああ、それなら何かわかるかも、』と言って非常に親切にいろんな資料を探してくれました。1時間くらいかかってやっとあなたの旦那さんの事業所まで電話がつながったんだけどそこから分からなくて。でも、連絡ついた。皆さん、非常に親切だった、非常に、親切にしてもらいました。来た時もね、飛行機で隣に座った人が加治木の人だったんだけど、天文館まで行くから送ってあげるよ、と言ってホテルまで送ってくれたんですよ。有難い。僕はとても運がいい人間なんですよ。

 

 

というわけで、父の墓参りに。台風が来る前の非常に蒸し暑い日で、花を活けてもすぐにしおれそうだと思いながら、ともかく彼を案内し、花を活けて線香を供える。それからホテルまで送りがてら父や彼の子供時代住んでいた家の場所、通った小学校、駅など案内し、父がいつ、どんな最期だったかを話した。

 

ナ「父は、67歳の時、間質性肺炎という予後の悪い病気にかかり、一旦心肺停止の状態になりました。しかし丁度その時母や私の夫が居合わせて、二人とも医者だったので人工呼吸したり気管挿管したりして蘇生し、ICUに入って何とか持ちこたえました。以後10年間、何とか生きたのですが、重い麻痺症状が残り、それでも家には帰れて静かに暮らしていました。数年後、今度は脳梗塞を起こして寝たきりになり、意識がないまま3年ほど生き、最後は敗血症で、77歳で亡くなりました。2007年2月8日の朝のことです。」

 

 

Jee氏は、自分の妻は去年の暮れ、12月31日に筋ジストロフィーで80歳で亡くなった。立派な女だった。見目好く、優しく、センスもスタイルも良くて・・・ 見合いして翌日結婚を決め、60年連れ添ったんだ。そういう連れ合いに死なれると、非常にダメージが大きい。ずっと病気一つしなかったのにあんな病気にかかるなんて・・・。というような話をした。愛妻を病院や施設に入れてしまうのが嫌で、大変だったけれど自宅で看病した、最後気管切開して人工呼吸器を入れるか、という話になったとき、彼が拒否した。それで良かったと思っている。悔いはない、と。そんな話をした。

 

 

つまり彼は妻に死なれた後の自分の心を持て余し、旅に出たのだろう。

 

Jee「運命だよ。私は多くのことは運命だと思う。運命を信じています。」

 

 

 

 

#ナ「それで、子供のころはいつ、どんな事情で日本に来られたんですか?」

 

Jee「7歳の時です。母の父親が、つまり僕の祖父が鹿児島に居たんですよ。それでね、母が日本に行くと言い出したのです。小学校、二中、旧制七高と進学して、九州帝国大学に行くつもりだったのに母が、独裁者ですよ、ああなると。 突然帰国すると言って聞かなくて。僕の父は紳士的な人だったもんだから押し切られたんです。僕なら、家内を押さえられるけどね。僕は、鹿児島で男尊女卑を教えられましたから。これは大変良い思想だ、僕はとてもいいことを日本に教えてもらったと思います。そして僕の男尊女卑に妻はよくついてきてくれました。」(・・・・?。 それって、、、いいのか?)

 

 

Jee氏「お父さんも私も、本当によく勉強しました。僕はね、成績は良かったんですよ。英語が得意で、(旧制)七高でも学年で1番を何度も取った。先生に『Jeeなら、(旧制)1高でも十分上位に行ける』と言われたよ。嬉しかった。韓国に帰ってから、大変苦労しました。働いて一家を支えなくてはならなくて、学費も自分で稼がなくてはならなくて、大学は4年間で通算4ヶ月くらいしか行ってない。行けなかった。でも試験だけは必ず受け、いつも1番だったよ。僕は、試験向きの頭らしくて(笑)どんな試験でも突破する自信があったんだ。(えーっ!)でも、試験向きの頭はお金儲けには全然駄目だったですよ。(あはは)大学を出てね、貿易の会社に就職したんだけど、大卒で英語が出来る人、という条件だったんだ、200人弱の応募で、合格者の2人に入ったよ。」(へえっ 凄い! もう一人通ったんですか? その人はどうなりました?)

 

Jee氏「うん。もう一人合格した。その人は早稲田大学を出た人だった。でも1年後死んだんだよ。肺病でね。」ふーーん・・・。時代だなあ。

 

Jee氏「旧制高校で英語を学んだのは人生のいろんな局面で何度も助けられたですよ。英語を教えて稼いだこともあったしね。その頃、英語ができる人は韓国にはあまりいなかったし、貿易をやるとすれば、日本語、韓国語、英語と3か国語出来るのは非常に力になった。」(ふーん・・・)

 

 

Jee氏「僕にも大学の頃好きな人がいてね。実は振られちゃって、失意のあまり腐って兵役に行ったんだ。(アハハ・・・)その人は40くらいでやもめになって、子供3人連れてアメリカに渡ったんだって。今どうしているのか分からない。

(連絡してみないんですか?)

住所も分からないし、連絡先も分からないよ。正直言ってあなたのお父さんの次に(?)会ってみたい人だなんですよ。でもね、その人の姉弟は4人女、一人男という構成なんだけど、姉妹4人は全員40代でやもめになっちゃってるんだ。韓国には息子が早死にするとそれは嫁の責任だ、ケアが悪いせいだ、という根強い考え方があってね。それは一つには正しいと僕は思ってる。僕はあの人と結婚していたら、きっと今頃もう死んでいるよ、だって4人とも夫が早死になんだからね(笑) 

夫のケアが悪い家なんだよきっと。僕も50くらいの時仕事がとても大変な時期があって、痩せてね、病気になって、体重が50キロを割ったことがあったんですよ。でも妻が本当に優しく懸命に、献身的に世話をしてくれて、やっと治りました。妻が悪かったらあの時死んでると思う。妻には本当に世話になったんだ。

 

 

 

その日はそれで別れた。ナスコが赤ん坊を連れて夕方やってくることになっていたからである。いつ帰国か聞いたら5日水曜の昼の便、とのこと。何とかそれまでにどこかで都合をつけたい。

 

夜、ナスコに会って今日の話をした。

ナスコ「ままってさぁ、本当にその日何が起きるか分からない人生を送る運の人だね。だって、私なんてきっと死ぬまで生きても、ある日突然見ず知らずの外人がやってきて『お父さんの親友です、』なんてことは起こらないと思うよ。」  

 

ギャハハ・・・・うん。私もそう思う。

 

 

 

 

 

#5日水曜の午前中何とか時間を空けてホテルへ迎えに行く。空港まで送ると連絡をしてあった。父から継いだ今の事業所を時間の許す限り簡単に案内する。

 

Jee氏「お父さんこんなものを作っていたんだ・・・。素晴らしい遺産だね。社会に貢献する仕事だよ。見せて貰って本当に良かった。お父さんと会えなかったのは本当に残念だった。僕らは本当に仲良しだったんだ、君のお父さんはおばあさんと二人で大きな家に暮らしていた。よく夜遅くまで喋り、将棋をしたよ。その後帰国した僕はついに70年、今回まで日本の地を踏むことはなかった。

 

お父さんは38年前に一度ぶらっとソウルに来たんだよ。突然電話があって、ちょうどあなたが大学に入ったころだ。『娘が大学に入って仕送りをしている。細かい家計簿をつけて毎月送るように、そして納得できないものにお金は出さない、と言ってある』と言ってた。厳しいけれど、慈愛に満ちたお父さんだったよね? 僕は貿易の仕事をしていたが、なかなか思うに任せず、お金儲けは出来なかった。・・・しかしお父さんはあの時どうして急にソウルに来ようと思ったのかな。何かあったかい? 彼はあの時何も言わなかったが、突然電話がありぶらっとやってきて、一晩酒を酌み交わし、語り明かしたんだ。」

 

私には父のことはよくわからなかった。ただ私が家を離れたので子育てが一段落した感があってほっとしたのだろうと思う。父がソウルに行ったことは母からちらっと聞いたことがあった。

 

 

今にして思えばJees氏は19歳で帰国してソウルで生き、父は鹿児島で生きた。38年前ソウルで1度だけ会い、別れたのが結局Jee氏と父との今生の別れとなった。

 

 

彼は言葉にしなかったが、タイミング悪く日本と韓国を行き来しなくてはならなくなり、損失感を終生抱えて生きることを余儀なくされた。頭も良かったし努力家でもあったから、そのまま日本に残ればそこそこ成功しただろう。無念な気持ちは隠せない。戦前、太平洋戦争を日本で経験し、生き延びてさてこれからという時の引っ越しは言葉に尽くせぬ不本意があったと思う。変なタイミングで国を動いた、そのディスアドバンテージからはなかなか回復出来なかった。日本にいれば異邦人という、国に帰れば日本で育った奴という根強いdiscriminationがあったと思う。

 

 

 

父は、幼少の頃 両親と生・死別して祖母と二人寂しい不遇の生活を送っていた。

Jee「お父さんの家は、敷地は広く、大きな家だったよ、1000坪はあったろう。」

Jee氏はそう言ったが、父は後年、田畑、貸家はあったがお金はなく、もう年でいつ死ぬか分からない無学文盲の年寄りの祖母と二人とても寂しく、婆さんが死んだら俺は本当に一人ぼっちだ、どうなるんだろうと思うととにかく心細かった、親のいる人が羨ましくて羨ましくてたまらなかった、と言っていた。異郷の少年の孤独と親がいない少年の孤独が微妙にシンクロ、共鳴したと思う。そして二人は励ましあって、不退転の覚悟で必死で勉強したのだろう。身を立てるために。

 

 

 

 

同じような痛みを分かち合い、彼らは親しくなったのだろうと想像に難くない。父は大学の友人の名前はたくさん話したが、小、中、高の時の話は殆どしなかった。大学はみんな親元を離れるが、小、中、高はみな親元から学校に行くので、あまり思い出したくなかったのだと思う。ただ、私には自分が子供のころ親がなくてどんなにか辛かったということを、祖母と二人の暮らしがどんなに寂しく心細かったかを何度も何度も何度も繰り返し話した。

「お前はいいなあ。お父さんとお母さんが揃っていて、いいなあ。」 私の耳にタコが出来るくらい口にした。

父に子供のころの写真を見せてほしいと言ったとき、

「俺には写真を撮ってくれる親はいなかったんだよ」とポツリと呟いたのを今もはっきり覚えている。

 

 

 

 

 

#空港。12時00分発の飛行機を待つ出発ロビーにて。あまり広くないロビーのソファに座り、最後に少しJee氏と話す。

 

 

 

ナ「どうか、お元気で。また来て下さい。長い間、父と仲良くして下さって、本当にありがとうございました。」と言ったとたんに、急に胸がいっぱいになり、涙が落ちた。父が降りてきた気がした。この人がいてくれて父の孤独はどんなにか支えられたはずだ。父の気持ちを代弁するとすれば、あの寂しかった子供時代にJeeが居て仲良く遊んでくれて本当にありがとうというに尽きる。父の形見に、渡そうと持ってきた元気なころの父の写真と事業所の写真、父が大切にしていた第7高等学校造館「北辰斜めに」が載っている旧制高校の寮歌集を渡した。

 

 

年を取ると、この人と会うのはこれが最後かもという気持ちが胸を突く。ネットやメールを使う人なら、続きはネットでね、と別れることができるけれど、この年の人ではそれも出来まい。


 

 

私は普通の日本人で、今の韓国が日本のことを攻撃してくるのを苦々しく思っている。しかし彼のような韓国人もいるのだと改めて思う。ソルトレイクシティでジーサン・ハンと仲良くなった時のように。

「僕は日本と韓国は仲良くしていかなければならないと思うよ。同じアジアで隣同士なのだから。」 

 

 

 

 

 

#この人にまた会うことがあるだろうか。90歳近い年齢のこの人に。

 

ナ「お、お別れが寂しくて涙が出てきました。」

 

この人には、もう会えまい。

 

 

Jee氏「君に会えて、本当に良かった。旅の目的は100%果たせたよ。会えていなかったら本当に寂しい、哀しい気持ちの帰国になっていただろう。君は私の娘のようだよ。私の娘にもよく似ている。ではまた。元気だったらまた来るから。」

 

ナ「時々は、手紙を、下さい。」

 

Jee氏「うん。では、ね。」

 

 

別れに涙は不吉なり。

 

 

彼はハグして立ち上がり、デッキに向かう。

私は伸ばした両腕を大きく振り続けた。

 

「さようなら!さようなら!お元気で。」父の代わりに。ここに父が居たらほんとに良かったんだけど。

 

「さようなら!さようなら!お元気で。」本当にありがとう! 

 

出国のゲート。青いヤッケ姿の彼は一度振り返り手を振って、次の部屋へ消えた。

 

 

 

 

 

 

 

#3時。事務所にいると携帯が鳴る。家に着いた彼からだった。

 

なんだ。もうお家に帰ったの??? 永遠の別れをしたかと思ったのに(爆笑)

 

たった3時間しか経っていないのに、ほんのさっき一緒に居た彼が、もうソウルの自宅にいる。不思議な気がした。アジアは本当に狭いのだ。

 

 

「あなたの事業所も見せて貰って本当に良かった。お父さんは立派な、社会貢献する仕事をして行ったんだね。きっと天国に行けたな。人のために働いたのだから。彼は地獄にはいないよ。お父さんに恥じない仕事をしていきなさい。では、さようなら。さようなら。」

 

 

・・・・・さようなら。

 

 

 

 

 

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