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散文的に。

 

#最近雑誌の表紙の見出しによく「実家の片付け」が出ている。ご多分に漏れず私もせっせと片付けていると懐かしいレコードが出てきた。大好きだったものなのに母が捨てたというので諦めていた「みかんの花咲く丘」と「山の大尉」は、4歳くらいの私の大のお気に入りだった。

 

 

 

しかし、長じて「山の大尉」を聞き直すと、どうだろう、この歌詞は。国境警備を主な任務とする山岳部隊の大尉は重傷を負い、部下の山岳兵たちにもう一度山で会いたいと言づけてほしいと依頼する。山岳兵が山へ行って何の命令か聞くと、自分の体を5つに切り、1つめは忠誠の印に皇帝へ、二つ目のは連隊へ過ぎた日の想い出に、、3つ目のは母親に息子の兵の想い出として、4つめのは愛人へ初恋の想い出に、5つめのそれは山に、山を薔薇で覆うために、それぞれ届けてくれという意味の歌詞。

 

小さい子が歌うには少し意味がシビア過ぎるし、きつすぎるよね。一体何を考えてこの歌が大好きだったのか今となっては分からない。4つ目を愛人へ 我が初恋の想い出に、の「愛人」「初恋」の(4歳児にとっては)退廃的な響きと、5つめの山を薔薇で覆うため、というのがロマンチックで4歳の子の心をくすぶったのだ。たぶん。近所に聞こえるような大きな声で「靴を履いても履かんでも」と歌うので母が「うちはそこまで(裸足で外を歩き回るほど)貧乏じゃない、靴は履かせてあげてるはずだ」と怒っていた。

 

二木紘三のうた物語「山の大尉」(歌詞・大筋こんな歌です)

 

ある日の山日記から「牧野四子吉さん、文子さんのこと」(このサイトで牧野文子翻訳のイタリア民謡だと知る。歌の翻訳者の素顔が分かることってあまりないから、面白かった)

 

youtube「山の大尉」

 

 

 

 

 

#ピッチをトイレに落としたスタッフが居た。手回し良く 蓋を外して電源を入れずそっと乾かし、乾ききった頃電源を入れたらうまく動いた、という話があって。今度はノートパソコンに、砂糖をたっぷり入れたコーヒーをひっくり返したやつがいて、ピッチの話を聞いていたのでそっと乾かし、1週間くらい経ったころ電源を入れてみたらうまく動いたという。うーーーん これって、トイレに落とした奴は汚い水ではなかったらしいので、まあいいとして、(いいのか?)ノートパソコンの方はどうなんだろう? コーヒーが乾いてねっとりくっついた砂糖が、焦げたり発火したりしないだろうか?と思いつつ、離れるときは必ず電源を落とすように言って、取りあえず使っている。

 

 

 

 

#体が硬くなって、夜寝ているとき寝返りを打ちにくくなっているらしく 目覚めに体のあちこちが痛い。一晩中全く同じ姿勢でいるとも思えないが・・・・。首、肩、腰、腕、とにかくどこもかしこも痛い。湿布を貼ったり薬を飲んだりせんねん灸やらやってみたりしたが、一番効果があったのがストレッチだった。侮るなかれストレッチ。結構即効性もある。痛いもので毎日朝となく夜となく親の仇のようにやっている。昔、体育の先生に 今自分がどこの筋肉を使っているのか意識してやれ、と言われたが、今になって分かる。こういうことだったんだな。(遅過ぎ!)今は痛いから、間違いなくそこの筋肉を意識してストレッチする。私の理解は何十年も遅いんだなあ・・・。若い時のようにぐっすり眠り、爽快に目覚めるということが絶えてない。

 

祖母が「60歳前後は本当にきついけど人の体の調子には波がある。しばらく待てば次の上昇気流が来て、楽になるからね、覚えておきなさい。」と言っていたのを思い出す。「あんたなんか若い人は体のあちこちが痛いって、どういうことか全然分からないだろうねえ」とも。でも何十年も過ぎてその言葉を思い出すと、祖母もこうだったんだなと共感する。祖母は、「しばらく待て」と、これをやり過ごす方法も教えてくれていっている。

 

 

#年度の定例監査が終わり、今年の山を越えた。さて、何しよう?(笑) まず遊ぶ計画を立てなくては。どこへ行こう? 恒例の来年の花見の日程だな、まず。それからこの半年の繁忙期に落とした雑事を片付けておこう。私はあと何年くらい働くのだろう?

 

 週刊ポストの今週号表紙見出しには「政府は75歳からの年金支給にする気」だからそれまでは定年せず働く体制に政府がしようとしていると書いてあった。しかし、働き盛りの30代、40代と肩を並べて働くのは難しいと思う。体は痛み、目も耳も働きが落ち、頭も鈍っていることを日々痛感する。多くの人々の老いていく姿を見ていると老醜という言葉が身につまされる。老美という言葉は、残念ながら無い。

 

 

#孫は可愛い。孫は本当に可愛い。でも私があまりにくっつきすぎて婿の、距離的に遠い実家のご両親よりも孫に近くなり過ぎるとまずいだろうから、近くなり過ぎないようにとも考える。祖母が私にどう感じていたか今は推察できる。ただ、私が生まれた時 私の父方の祖父母は亡くなっていたので、私にとってはたった一人の祖母が 私を可愛がるには 誰の遠慮も要らなかった。

 

その、思い切り可愛がってくれた祖母に、「私とママ(私の母)とどっちが可愛い?」と聞いたら、「私はあんたには責任がないからただ可愛い、可愛がればいいだけだ。あんたに何かある時は親が面倒を見るだろうからね。M子はとても気になる。気になるんだよ、子供だからね。あの子に何かあれば私が何とかしなければならない、私が母親だから。」と言った。

 

なんだ、結局母の方が可愛いのか、とかなりがっかりしたが、単純にそういう意味ではなかったことが、今は分かる。私はどうだろうかと考えれば。 可愛いのは孫の方が可愛い。娘や息子は広義では可愛いと言えるだろうが、可愛いというよりも、彼らのことは私の手とか足とかのように繋がっている体の一部のように感じる。だから可愛いとかいう感情ではないな。自分の手足は別に可愛くはないけど傷むと私が痛い。そういうことなんだ。ナスカ風に言うと。

 

 

 

#ローニャのエンディングテーマの出だしを聞いて、すぐに答え合わせをしたがった妹との夏休みを思い出す。答え合わせをしたい、というよりは答えを見たい、かな(笑)。答えを隠して回るのは私の役目だった。紙を隠さば紙の中、答えを隠さば答えの中。(哲学的!)8月の下旬はいつも、夏休みの宿題の日記の文章を私が考え口述筆記させ、絵は私が描いた。めんどくさかったなあ。天気だけが、どんな天気か思い出せず7月下旬からの新聞のお天気欄を探し回った。分からない日は全部晴れにした(笑)。

 

 

ローニャ エンディングテーマ YouTube

 

 

 

I'm a player 答え合わせは 最後の最後で・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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