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さよなら叔母さん

 

#甥と叔父さん、姪と叔母さんが似ていることは世の中には割と良くあることらしい。私は子供の頃から、母の妹に当たるF子叔母に顔や雰囲気が似ているとよく言われた。しかし、祖母に言わせると、F子は少し寂しげで弱い性格だから心配だ、それに比べるとナスカちゃんは芯が強いから心配要らない、とも。祖母が私ではなく叔母を気遣うのを残念に思ったこともあったが、大人になって考えてみると確かに叔母より私の方が強いかもしれなかった。

 

私ほどもの柔らかで弱々しい人はいないと自分では思っているけれど、人にそう話すと誰も同意してくれないのは誠に残念なことだ(笑)

 

叔母は薬剤師で、彼女に倣って薬科大に行こうと子供の時は思っていた。叔母は二つ年下の医学生と結婚して、生活のために薬局を開いていて、遊びに行くと叔母の家にはいつも販促品のケロヨンの指人形があった。黄緑色のケロヨンは持っている人が多かったが、ピンクのと空色のケロヨンはめったにお目にかかれない。時々ねだって貰った。プレゼントの上手な人で、いつも印象に残るもののをくれた。まだ中学生の私にはハイティーンのお姉さんが持つような木の実で作ったペンダントだったり、大学の卒業の時はパールのイヤリングだったりした。

 

 

叔母の婿さんは、加山雄三を平凡にしたような永遠の若大将っぽい人で、破れ鐘のような声でオペラを歌い、家族は結構恥ずかしい思いをしていた。壁紙はクラッシックなビクトリア朝のくどい柄が好みで、品があるとは言えなかったが、姪の私のことも可愛がってくれ、私とは対照的に穏やかな家庭の育ちの従兄弟達が羨ましかった。昔祖母に、「F子叔母ちゃんはとっても穏やかなセンスのいい叔母さんで、K叔父さんは若大将みたいでいい人だとは思うけど、二人揃えるとどうしてこの二人?っていう位合ってない気がするな、」と言ったら、祖母は「私もずっとそう思ってたよ!」(笑)そうかい。

 

 

ちょっと失礼かと思ったが本人達にも同じ質問をしてみた。叔母はただ、ふふふ、と笑うだけで、叔父は「僕もね、叔母さんみたいに上品にやりたい、って気持ちがとってもあるんだよ。反対のものに憧れるのさ。叔母さんもそうなんじゃないかい?」

 

 

 

 

#母、叔母の二人きりの姉妹も齢80を過ぎ、私の母に少し年齢による寄る辺なさが見えてきた頃、ナスコの結婚式があった。亡くなった祖母に初めてナスコを見せに行ったのはナスコが2歳半くらいだったと思うが、祖母は、

「はあ、・・・あなたがナスコちゃんですか。・・・・でも、私は残念ながらあなたがお嫁に行くところを見ることは出来ないなあ。」としみじみ言ったのを思い出す。

 

 

ナスコの結婚式で母に、

ナ「F子叔母ちゃんとママが、お互い体も頭も健康で会えるのは今度が最後かもよ。」と言った。

弱ってきた母にF子叔母ちゃんと生きて会えるのはこれが最後になるかもという予感がしたので、(二人は数年に1度しか会わないし、母が83歳、叔母が81歳ではこの予測は不思議ではない。)

しかし私が思っていたのは母が先に呆ける認知症になるか死ぬかということだった。

 

 

 

 

#12月7日、朝礼から事務所に戻った頃携帯が鳴った、親しかったがここ何年か連絡していなかったF子叔母の娘、従兄弟のMちゃんから。

「ナスカちゃん、お母さんが死んだの。昨日家に帰って普通に話をしたばっかりで、何がどうなのか、私も今仕事場で連絡が来て事情は全然分からないの。」 

 

 

その日叔母は朝ご飯を食べてから風呂に入り、体を伸ばして入っていた。何かの拍子につるっと滑って湯に沈み、普通なら体を支えるところを筋力が落ちてひっくり返ったカブトムシになったか、心臓か脳がどうかしたか、沈んだ拍子に水を吸い込んで肺に入ったか、正確なところは分からない。昨日まで元気だった叔母は誰も予期しない事情とタイミングであっという間に死んでしまった。

 

向こう隣は夫と息子が診療所を構えていたが、皆が気がついたときはもう息がなく、救急車で運ばれたが亡くなっていたので変死ということになり、警察で行政解剖に2日かかった。それから、都会の焼き場はこの頃死ぬ人が多くて火葬が捌ききれず、4日ほどドライアイスを抱かせて待った後に通夜、葬式、荼毘に付された。母の混乱を恐れて叔母の死は話さず妹と上京し、母の名代で骨まで拾って帰ってきた。

 

 

 

#人が死んでいるのに通夜も葬儀もないまま1週間を過ごすというのは、田舎のテンポの私にとっては変な感じだった。叔父は叔母より二つ年下だったのだから、自分より先に死なれることを想定していないというのは全く馬鹿だったと思うが、本当に想定していなかったらしく、いつも自信の人の叔父には考えられないほどおろおろという感じだった。

「全部叔母さんがしてたから、葬式に着るYシャツのありかも分かんねぇんだよ」

 

 

 

#死に方として悪くはない。しかし解剖の結果溺死、というのはどうだっただろう、苦しかったかなあ。それだけが心残りだ。

 

 

#妹と別れて郷里へ戻る日、少し時間があったので二人で成田山に行くことにした。遠かったが、祖母が生前「何か困ったことが起きたら成田山新勝寺にお願いに行きなさい。一生懸命お願いしたら成田山はきっと力になってくれるから。忘れるんじゃないよ、必ず、覚えておくんだよ。成田山だよ!」と言っていたので、きっと叔母と祖母は成田山から連絡がつくところにいるはずだと思ったのである。今年も成田山に写経の奉納を済ませていた。

 

 

それにしても、どうして祖母は成田山をあれほど信奉していたのだろう? 聞いておけばよかった。お参りをすると、なんだか少し荷物を下ろした気がした。美味しそうなウナギの蒲焼きのにおいがぷんぷんする。食べていきたかったが妹が太るよ、と反対するので諦。

可愛がってくれた叔母は、白い骨になった。心から手を合わせた。

成仏出来ますように。南無阿弥陀仏。

 

さよなら、F子おばちゃん。お世話になりました。

 

グッバイ、東京。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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