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花見山ピクニック

 

#振り返ってみると、人生で一番屈託無く楽しいのは30代と40代だと思う。だからこの時期が充実せず過ぎた人は、人の一生としてはかなり「残念」が残るだろう。20代はまだ仕事が修行中で、結婚その他の悩ましい問題が多く、50代は親の介護が重くのしかかって相当足を引っ張られる。今や90才代の人は全然珍しくない。そしてお約束のように解決がつかない問題を抱えている。病院や老人ホームに入ればいいが、多くは介護する側が殺気立つような苛立ちをどうすることも出来ていない。ただ、以前と違うのは以前はどれもこれも胃瘻を作っていたが今はどれもこれも胃瘻は断り、施設は医師も看護師も介護職も足りない中、難しい介護に苦戦している。水も全く取れず食事も取れなければ人間は3〜5日しか生きない。穏やかに看取る全身管理のために胃瘻を作るのはありなのではないかと私は思っている。

 

もはや懐メロになってしまったフォークやニューミュージックと呼ばれたジャンルの人々が時々、または希にテレビに出ているが、みんな声が出ないし下手になった。この人達でさえこうだから、私が下手になったのもむべなるかな。

 

 

 

#今年もお約束の花見に出かけた。ここ数年京都で花見をしたが、今年は私が上京し、とりあえず千鳥ヶ淵周辺で花見をする予定だった。私のスケジュールの関係で年度末3月はきついので、4月に入ってからということになり。残念ながらのサクラチル。もう散ってますやん。。。

 

 

#4月4日、とりあえず千鳥ヶ淵で5人で花見をした。(殆ど散ってたけど。遅咲きのが少し残っていた)仕方ないので花があるつもり。お喋りは、花があってもなくても盛り上がった。夜。昔の美女たちの玉の声音も今はイビキの大合唱。

 

翌日、桜を求めて新幹線で福島まで北上する。行く先は花見山。私はみんなの後を付いていっただけだからあんまり良く覚えてないけど、新幹線に乗ったのだから東京駅から行ったと思う。お喋りに夢中であんまりよく見てなかった。駅でお茶と、昼ご飯用のおにぎりを銘々好きなものを選んで買っていった。私のは焼きたらこ。おにぎりは何と言っても焼きたらこ!!

 

 

福島の地を踏んだのは初めてだった。関東以北には殆ど縁が無い。実は、鹿児島人は未だに福島の人々に恨まれていて、その原因は戊辰戦争だというのだからたまらない。

以前にも書いたが、鹿児島から嫁に来たというと露骨に嫌な顔を、今でもされるから黙っている人が多いという。鹿児島はその後薩英戦争やら西南戦争やらもちろん日清日ロ太平洋といろいろあって、戊辰の役を覚えている人はあまり居ない。こういうのは勝った方は例え被害があっても忘れ易いのかもしれない。太平洋戦争の広島長崎や沖縄が、なかなか忘れられないように。

 

 

 

実は私の数代前の太郎左衛門(仮名)が、戊辰の役に従軍し、激戦となった長岡城に若いが優秀な家老、河合継之助 という人が居てた。太郎左衛門はこの人にやられて腰に被弾し、越前高田で西郷さんの実弟と一緒に亡くなっている。 NHKの大河ドラマせごどんを見ていると、私の先祖も似たような苦労をともにしただろう、と見ていて辛くなる。実家には太郎左衛門氏の資料が残っていて、「禁門の変で京都の警護にあたった」とか、「黒船が来て神奈川の防衛に行く」とある。具体的にその足跡が残っていると、その存在自体が強く感じられてどうやって越後まで行っただろう、船か歩きしかないだろうなあ、とか、どんなものを兵糧にしていただろうと考える。京都御所に行ったときも禁門の変の舞台となった蛤御門の前に立つとまた、別の感慨がある。今までは墓石の名前でしかなかったものが、確かにここに居たんだ・・・というような。140〜150年前のことだから、30年を1世代と考えると5,6代しか経っていない。会津のあたりにまだ恨みに思う人がいることも当然なのかもしれない。

 

 

途中で焼きたらこを食べた。あまりに美味しくて もう一個買ってくるべきだったとちょっと後悔。

 

 

花見山の団子屋の露店の前で一人が足を止め、皆一個ずつ買う。「どこから来たね?」とおじさんに聞かれて。

「ほら! ナスカちゃん、どこから来たのってよ? 言ってあげなさい。」  

 小さな声で

「鹿児島です」と言ったが、何故私の声が小さかったのか彼は察しただろうか? 

「かわいこちゃんに、僕はしんせつなのよ〜」と明るく返してくれた団子屋氏に、曖昧に微笑んでこそと背を向けて帰ってきた。

 

 

 

#帰鹿して数日後。メインバンクの支店長がやってきた。花見の件を少し話し、東京のインフラ整備は目を見張るものがある、東京一極集中と地方の有り様を比べると残念だという話から、

支店長「しかし、沖縄は違いますよ。東京と同じくらい潤ってますねえ。」 

ナ「基地か・・・。鹿児島もやればいいのにねえ。馬毛島なんて吹けば飛ぶような無人島、飛行機が落ちる心配もしなくていいし、それで鹿児島が潤うんだったらやればいいのに。」

支店長「おおー 話が合いますな! 私もそう思いますよ。一体どこの誰が反対してるんですかねえ?」

 

数日後、業界の寄り合いに行ってきた夫が、そのどこの誰と会ったと話した。

「種子島のT先生は反対派の首長らしいよ。今日、たまたま隣り合わせに座って向こうが反対派だというから聞いてみた。

『先生、どうして反対なんですか? 種子島から5キロも離れているし、どうせ宿舎も何もかも種子島に作るだろうから人がたくさん来て島は危険もなしに相当お金が入るのに?』って聞いたけど、『絶対反対』の一点張りだったよ。むっとしたから『種子島の人って貧乏が好きなんですね』って言ったらあっち向いたきり全然話しなかった。」

 

アハハハ・・・ エー そんなこと言ったの・・・大丈夫かしら。

 

結局、種子島は元々平家落人の里として有名であり、自分たちの生命を守るためによそ者が来ることを拒んだDNAが多く生き残っているせいだろう、という結論に達した。言い出しっぺがあまり信用されていない議員だったりしたのもいけなかったのかもしれない。あの話には運がなかった。

 

 

#たばこやダイアリーは、あと12回、一年間書こうと思う。後はツイッターやfacebookでぶらぶらやろう。(もう限界らしい)

 

 

 

 

 

 

 

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