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沈下橋

 

 

#6月の日記は、途中まで打っていたのが保存のミスで消えていまい、吹き飛んだ。更に打つ元気なし(笑)

 

 そして7月ももう終わり。

 

#写真は宮崎県西都市にある速川神社。夫と日帰りでひまわり畑を見に行ったがほぼ終わっており、残念なので近所の観光スポットに行くことにする。速川神社は階段を降りて一ツ瀬川にかかる沈下橋(潜水橋;増水したときは水没する)を渡り、対岸870メートルと書いてあった。870メートルならたいしたことないやと思い、行くことにしたがたいしたことないどころではない。870メートルはほぼ全行程急坂で、ナスカさんは死んだ。

 

 

 

#デパートに出かけてトリーチャーコリンズ症候群の子を見かける。よくこの名前を覚えていたな、と自分でも思ったが、たぶん思い出したのは学生時代勉強したとき以来だ。出現率は10000人に一人だから相当数いるものと思われる。一度だけこれはそうではないか?と思ったことはあったが、明らかに間違いなくそれだ、と思ったのは初めてだった。ダウンのように特徴的な容貌になる。

 

 

ググる相談室で「どうして子供を産まないといけないのですか」「障害のある子を産んだらどうしようと思うと怖くて妊娠したくない」というのがあった。

 

こういう問いをぐぐる相談室に駆け込んで相談する人とはどういう人であろうか。 子供を産み育てるとは腹をくくらないと駄目だ。くくれないのなら止めておいた方がいい。

 

「私はにんじんが嫌いです。親や周囲に食べろ、食べた方が良いと言われますが食べないといけませんか」とか、「「交通事故を起こしたらどうしようと思うと怖くて運転したくありません、でも親は就職に必要だから運転しろというのです、どうしたらいいですか」私はたばこ屋で何度も叫んだが、自分の事は自分で考え、決めることが出来ない人のなんと多いことか!

 

 

ナスカ先生に聞くのであれば答えはこうだ。「ニンジンはカロチンを多く含み、肌も白くなるし扁平上皮癌を予防する効果もあります。食べた方がいいと思いますが、食べるかどうかはあなたの意思次第です。」

 

とか、「車は便利だと思いますが、事故が心配で運転したくないなら運転の必要の無い職につけるよう努力し、他の交通手段を使いなさい。」

以上終わり、かな。

しかし 子供のことはそうはいかない。

 

 

私は、結婚はしなくてもいいと思うし、嫌なら無理に子供を産まなくてもいい。しかし、結婚しない、子供を産まないのであれば社会に参画して貢献できることを考えるべきだ。その状況で専業主婦は周囲の理解が得にくいだろうと思う。

子供を産むのは本能だ。病気が心配だから産まないというのはそちらの本能が弱いか、腹をくくり切れていないのだろう。強い部分で勝負していけばいいんじゃないか?

 

家も、国家も、子供が生まれないと維持していけない。少子化で絶える家が多いから墓の跡見がいなくなり、墓じまいという話が出てくるのだが日本国には出来れば残って欲しい。こんなにいい国が 子供が生まれないと言うことで絶えるのは残念だ。日本が維持されるために最低限の赤ちゃんは生まれて欲しいと思っている。

 

 

 

 

 

#どうして親戚や親が子供を産んで欲しいか。それは集団が大きい方が個人が生き残り易いことにあると思う。ペンギンを見よ。コウテイペンギンは南極で極寒の真冬、卵を産む。卵がかえり、少し大きくなって餌が沢山必要になる頃、海に食べ物が豊富に溢れているようにするためだ。そして巨大な(数万〜数十万羽)コロニーで零下60度の中、身を寄せ合って暖を取り、みんなで生き延びる。

 

 

ネアンデルタール人とホモサピエンスは最近の研究で同じ時代に生きていたと言われている。日本人の遺伝子の2〜3パーセントはネアンデルタール人のものが入っているらしい。ネアンデルタール人は絶滅した。最後の一人のネアンデルタール人が残したと言われる岩に掘った#のマークがどこだかに残っているらしい。

 

 

 

このネアンデルタール人と生き延びたホモサピエンス、どこが違っていたか。ホモサピエンスは400戸くらいのかなり大きな集落を作り集団で暮らしたが、ネアンデルタール人は習性として家族だけで暮らし、その遺伝子は交雑が内輪だけで行われたため、ウイルス、天災、あらゆる災難に出会ったとき、乗り越える遺伝子が単一で弱かった。ホモサピエンスは遺伝子に多様性があり病原菌に強かったり、集落を形成したため、天災、その他あらゆる場合に助け合って生き延びることが出来た。社会性があり、協調出来る社会は生き残る確率が上がる。社会性があり、協調出来る社会とは何か。それは全体のことを考えて個人が動き、個人を考えて全体が動ける集団である、ということだと思う。中学の時教室に「ひとりはみんなの みんなはひとりの ために」と額に入った書がかけてあり、当時はそれが説教臭くて嫌いだった。しかしこの年になるとその本当の意味に気づかされる。

 

 

赤ちゃんを産み、子供を育てることは社会に貢献できる。

産まなくても社会に参画して仕事をしていく、それもまた、社会に貢献することだ。

産んでも産まなくても 社会に貢献する ということを一義に考えて生きればそれでいいのではないだろうか。

 

 

 

 

#年をとることの本当の寂しさは味わったものでないと分からない。多分私も、90才の人の寂寥感は理解していないだろう。

 

 

 

 

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