シャクヤクモドキ
#3月も中旬に入った。仕事的には消化試合といった感じ。4月からパートで代表と専属歯科医をやるというものすごく変則的な(笑)ことになるが、まあ諸般の事情でそうなる。自分って意外と器用だったんだな。どのパートでもこなします、というのが器用以外のなんであろうか。と、考えてから、いや、力仕事は出来ないなあ。
#妹が、「お姉ちゃん、この次生まれてきたらなんという苗字になりたい?」
やぶからぼうにLineが入る。
ナ「うーん・・・駄馬崎とか、御手洗とか水溜とかじゃなければなんでもいいかな(この名の方、ごめんなさいっ)」ちなみに、駄馬崎は、昔友人が、ものすごく素敵な人でハンサムでお金もあるんだけど、この名前に自分がなることだけが妥協できなかったとのことでプロポーズを断った、と聞いたから。その他は昔同級生に居た。個人的には名前はあまり意味がないもので音だけのが良いと考えている。
困っているのは ゴミ出し、灯油缶運搬、猫の世話・・・
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#小学校の同窓会、女子会をすることになる。連絡がつきやすい12,3人と担任とで集まった。私たちの日吉南小学校は慶応大学日吉キャンパスからバスで15分くらいのところに、かつて大きな公団住宅があったのだが(今はない)、団地とその周辺の子供たちが通っていた。
当時日本は太平洋戦争の終結に続くベビブーム1、所謂団塊の世代の、10年位後、日本の人口がまだまだ増えている時期だった。1年生の時は少し遠い小学校に通っていたが、増えすぎた生徒を吸収するため 3年生になる少し前、団地の近くに建った新しい分校に移った。その後すぐに、新年度から 分校は通常の小学校に昇格した。担任は若くきれいな女の先生で、2年生の私たちに
「私の名前はS.T.といいます。27歳です。T、なんて変わった名前でしょう?なぜ父がこんな名前をつけたのかわかりません。」と言われた。この先生に私は、2年、3年、4年と3年間を担任してもらった。
#5月に 学会で私の地元に友人とやってきたK子は、子供のころからライトノベルに出てくるようなカッコいい女騎士みたいな人。ラインでのやり取りはあったが、会うのは20年ぶりぐらいか。独身で酒飲みで、男と伍して遜色なく働いてきた。私たちの同期は今年65歳になるので、勤務者はほとんどが一旦退職する。そのあと雇用継続する人ももちろん居るが、みんな、もうガリガリはやらない。なので、私のように定年があるのかないのかわからない人とか、自営のうちの夫のような人がウロウロする。K子も今年で退職するという。
なぜ今回私が上京することになったかというと、一つは、私達の担任だったS先生が85歳。先生の家の庭には大きなレモンの木があり、たくさん実がなるという。レモンは今頃なるらしいが、すずなりのレモンの木が見たかった。私の住んでいるK県は柑橘類はなんでも育つが、そういえばレモンをあまり見ない。地中海沿岸、日本なら瀬戸内の温暖な気候でレモンは育つ。K県の夏はレモンがなるには暑さが苛烈で雨も多過ぎるのだろう。ナスカちゃんが見たいなら写真を撮りにおいで、と恩師は言われたという。5年後 恩師は90歳。どうなっているかわからない。
先生の家の庭になるレモンを撮りたくなった。
もう一つ、理由があった。同期のU子が、乳がんになったとラインでカミングアウトした。本人曰くこのときはステージ0だったそうだが、その後肺にみつかり、それもとれたが今度は仙骨に飛んだという。こちらも5年後、どうなっているかわからない。
U子と先生は近くに住んでおり、ラインでしきりに話をしているのを見て、この二人は会いたいのだと思った。私が行けば、会う段になるだろう。みんなは「ナスカちゃんの日程に合わせる」と言ってくれたので、集まる日は私が決めた。12月2日(土)。
#12月2日。10時K子と本郷3丁目で待ち合わせ。今日はこの近くの大学(笑)を見学する運びになっている。その後、恩師を迎えに行って会場のレストランで皆と合流。
恩師の家は行ったことがなかった。彼女は私たちを担任してくださっていた60年近く前から夫妻で同じ場所に住んでいる。子供はない。場所を動かなければ、年賀状も来るし、会いに来てくれる教え子もいるという気持ちも、あったかもしれない。御夫君と二人で暮らす日吉の駅近くに、レモンの木のある師の家はあった。
このレモンの木が私をここに呼んだ、はずなのに、なぜか今年はレモンは不作で、昨年は鈴なりだったというのに今年は1つもならなかった!! 残念。レモンは温暖な気候で育つ。今年は東京は夏暑過ぎ、雨は多過ぎたからか。いずれにせよ レモンに縁はなかった。
都合でぎりぎりの時間、11時過ぎに先生の家に辿り着いた。先生は私と女騎士K子に厚切りのレモンティを淹れて下さる。少し甘みを加えてレモンを効かせたレモンティは私が今まで飲んだどんなレモンティよりも美味しかった。しみじみしたかったのだけれど、時間が押している(笑・わたしいつも時間押すよね)。歩いてすぐ近くのパスタの店には既に同期が十数名集まって私たちを待っているはずだ。先生のご主人もご在宅で、話好きの方のようで、ナニカニ唸り出す。S先生が「話は短くね」 「話は短めにね」 「話は・・・」とやるので夫君は残念そうに黙った。きっとこの方も先生なのだろう。お願いして一緒に写真を撮らせてもらう。
先生と女騎士K子と3人で店へと急ぐ。この辺は慶応大学のお膝元で、大学ご用達の店が多い。景気の悪い時でも賑わう運のいい場所だ。私の覚えている店や町並みは一つもなく。(そりゃそうだろう、この町を離れてもう50年、半世紀以上だよ・・・)
このごろよく思うのだが、田舎の実家のあたりも昔の景色とは全く変わってしまっている。見慣れた景色はいつの間にか知らない景色になってしまう。あとでいくらあれが見たいと思っても、もう記憶の中にしかない。是非、見慣れている景色を、家の中も外も通勤路も、写真にしておくことをお勧めする。昔と違って今は、メモリーに入れればいくらでも残すことができるではないか。と、これは以前たばこ屋で書いた気がする。
店に着くと、みんな自分の言いたいことをやかましくかしましくうるさく必死に喋りまくり。人のいうことは斜めに聞き、また一生懸命自分のしゃべりたいことをしゃべる。時間はないのだ。場所は個室ではない普通の店。店長みたいな人に3回、「あの!一般のお客様もいらっしゃるのですから! お静かにお願いしますよ!!」と大きな声で窘められた。>アンタが一番うるさいよ!
ナ「そういえば、私たち昔よく先生に怒られたわねえ? 静かにしなさいっ!って。」 先生も含め みんな一様に苦笑い。あまりに五月蠅くて、先生が怒って授業をボイコットしたこともあった。ボイコットとは、学生(反体制側)がするものかと思っていた。さすがに私たちも困り果てて数人の代表が先生を職員室まで呼びに行き、謝ったことがある。先生だって、ボイコットできるものなんだ・・・とその時思った。
#電車で先生の隣に座る。話は卒業して先生とお別れした後の 私の若いころのことになる。大学に入るとき、父に浪人させない、県外には出さない、祖母の家か叔母の家に住まう以外許さない、etc…。 いろんな意味で私には選択肢はなかったが、就職したときも田舎に帰ってこいの帰らないので父と大喧嘩して、とうとう家出・・・(以下黒歴史ゆえ省略)
とにかく、大学を出た時、私は人生最大のピンチ(いくつもある)のうちの1回に突入した。田舎には帰らないと決心して就職を探したら、楽観視していたところ、あてにしていた就職先から「女は採用しない」と言われて(そういう時代だった)いよいよピンチに陥った。その時、「僕は女だからって気にしないよ」と言って採用してくれたところがあって、
ナ「(先生の家のある日吉の隣の駅の)綱島なんですが」
S先生 「・・・・それはK歯科ではなくて?」
ナ「えっ!? 先生、(なぜそれを!・・・)」
S先生「私のね、親しいお友達の先生(教師仲間)に、日吉にはいい歯医者がないのよ、って言ったら『私の教え子にものすごく手先が器用な子がいて、お父さんの後を継いで綱島で歯医者さん開業しているのよ。ものすごく器用だったから、この子歯医者さんとしてはすごくいいんじゃないかって思ってたんだけど行ってみたら?』って言われて。それでね、今その歯医者さんに行ってるの。それが、K歯科。」
ナ「まあ・・・! 男の先生ですか?」」
師「いいえ、中年の女の先生よ。」
ナ「え!じゃあ、K先生のお嬢さんだわ! ゆかちゃんね。私が居たころ、2歳くらいでした・・・それか、息子のヒデキ君の奥さんかしら・・・まだ赤ちゃんだったけど・・・」
鳥肌が立つというのはこういうのだろう。
S先生「・・・・縁があった、ということよ。」
なるほど。そういうことか・・・。
日吉と綱島ならそう遠いわけじゃないけれど、歯医者ははっきり言ってたくさんある。よりによってなんでそういうことに???
神様はいるんだな、と感じる、それは全く普通の空間に、動いた神の服の裾が、何かの加減でちらりと見えた瞬間だ。
あれっ? 今のなに??? 何だった?? みたいな。
#ホテルにて。品プリの部屋はピンキリ。高級もあればビジネスクラスもある。私はそこのNタワーというのが割と好きなのだ。床が日本式に立ち上がってフローリングになっていて、靴を脱ぎ、上がるようになっている。コロナ前は1泊1万5千円しなかったと思うが、今は軽く2万超える。ホテルはどこも上がってるよねえ・・・・
このホテルも、朝食レベルは前はスープが美味しいと思ったけど、コロナ後の今は、まあ普通かなあ・・・。 しかし、朝から晩まで好きな時間に行って一人でも、友人とおしゃべりしてもよい部屋があって、コーヒー他ドリンクフリー。その部屋で朝食が出される。
パンを焼こうとしてオープントースターに入れる。私と同じような年恰好の婦人がパンを焼きに来た。
ナ「あの、よろしければパン、一緒に焼きます? どうぞ?」と声をかけた。先方も ありがとう、と言って一緒にオーブントースターにパンを入れる。
しかーし。パンを焼く2分の間、何もしゃべらずに立ってるっていうのはちょっと・・・(笑)
思い切って声をかけてみた。
ナ「どちらからです?」
先方「鹿児島です」
ナ「えっ!?(一都一道2府43県、確率は1/47だ!) 私も!私も鹿児島です! 鹿児島のどちらです?私、市内だけど。」
先方「えっー? 私、日置! いつ帰られるの? 私は今日の夕方4時過ぎの便だけど。」
ナ「えっ? 私も! 4時過ぎの便・・・」
先方「えーーーっ? じゃあいつ来られたの?」
ナ「金曜日、昨日の朝1便で。」
先方「えーーーっ 私も!」
ナ「えーーーーっ!離陸直前、飛行機に駆け込んできた人いたでしょ、あれ私です。」
念のため申し添えると、パックとかツアーではない、普通にネットで飛行機もホテルも別々に予約した。
#(閑話休題)
離陸直前、手荷物検査所で拡声器でスッチーに、
「8時10分 鹿児島発 東京羽田空港へおこしになる ナスカさま、ナスカさま、いらっしゃいましたら大至急お近くの係員にお申し出ください!」
とやられ、ハイ、と手をあげたらスッチーが飛んできて、
「何やってるんです!離陸までもう10分切りましたよ!(ナ、おもむろに腕時計を見て・・・あ・・・ほんとだ・・・8時3分・・・)
何度もアナウンスしたのにっ!!(ナ、聞いてない)」
言い訳をする暇はなかった。手荷物検査をして飛行機に転がり込んだのは5分前を切っていた。飛行機で出迎えたスッチーは ゼイゼイいいながら駆け込んで、つま先をひっかけて転びそうになった私に、
「お急ぎいただきありがとうございます」(にっこり)
私が座って5分しないうちに飛行機は動き出した。
ここで言い訳をしたい。コロナ前、鹿児島空港は空港周辺に沢山の民間駐車場があり、そこで車をとめてカギを預け、荷物ごと送迎してもらうシステムに長いことなっていた。ところが、コロナと人手不足でみんなコインパーキングに変わり、送迎はしなくなった。ということを私は知らなかった。
私のお使いつけの駐車場は今年の7月から新しいシステムになったと張り紙がしてあり、事務所は倉庫になっていた。青くなった。元々朝の弱い私はあまり予備の時間をみていない。とにかく、ゴロゴロ引くトランクを引きながら、空港へ急ぐ。すぐ近くに見えているけれどなかなかに遠い。空港まで歩いて5分と駐車場の看板には書いてあるが 信号待ちも長いしトランクを引きながらの私の足では15分かかった。
手荷物を預けるのに5分。都合20分のロスになってしまった。
だけど、ここで怒るのならさぁ、空港の駐車場システムが変わっていると、ネットやラジオやテレビでアナウンスしてくれても良くない?>スッチー
と思ったけど、勿論お行儀のいいナスカさんは申し訳なさそうに はい、と言って俯いた。
#(場面はホテルの朝食会場に戻る)
ナ「飛行機にぎりぎりで駆け込んできた人が居たでしょう? あれがわたしです。」
先方「うーーん それは気が付かなかったなぁ。」 そうか・・・それはそれで良かったケド・・・。
またまた微妙な間(笑)
ナ「ご用向きは?観光ですか?」
先方「娘がね、港区に住んでるの。それで主人と二人で娘のところに。あなたは?」 港区・・・ってまたすごいところに住んでるね・・・
ナ「わたし、小学校がこっちなんです。中学で鹿児島に行ったんですけどね。恩師が健在なので、一度集まろうか、ってことになって。」
先方「へええ・・・・」
ここで オープントースターがチン! と鳴った。
先方「じゃ、また空港で。また会えるかな」
いや・・・別にまた会えなくってもいいんだけど・・・(笑)。
#空港は多くの人でごったがえしていた。シウマイなど、帰宅してすぐ夫とおかずに食べられるようなものを買ってゲートに向かう。69番ゲートって何よ?一番端っこじゃん。ひどーい! 大都市を除けばドル箱のはずなのに! 4月に一度3年ぶりに上京したけど、その時はまだコロナの影響が残っていて、土産物屋は全部格子が降りて施錠されていた。しかし、今回は一番奥の店まで一応開いている。もうコロナは終わるのだ・・・。
開いている椅子に座る。来しながあの騒ぎだったので、今回はたっぷり予備の時間をとって空港に着いた。iPadであれこれ見ながら時間をつぶしていると、
「こんにちは!」 と声をかけてくる人のあり。
顔を上げると、今朝ホテルで一緒にパンを焼いた婦人だった。
また、会ったんだ! ほんとに同じ飛行機だったんだ(笑)
話好きな人なのだろう、、、って向こうもそう思ったのかなぁ。
私も思ったからたぶん向こうも思っただろう、名前や住所を交換するかどうかどうしようか?
そして、両方ともそれはせずに、またいつか、素敵なCoincidenceを期することにしよう、と考えたところまで同じだったらしい。
縁があれば、また 会える。
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セプテンバー・クライシス
#9月は飛ぶように過ぎ、振り返る暇はなかったのだが、こんなことはなかなか無いだろうという事件があった。。
#私が乗っているのはマツダのデミオで、油種は軽油。ディーゼルだ。気に入ってマツダを使い続け、気に入ってディーゼルにしている。車一台でも落っこちそうな山道を走りたくなるので、大きい車はダメだ。しかも倒れた竹や木化した雑草の茎なんかで傷になるので、おしゃれな車はダメだ。今風なエンジン音のしないマシンも嫌い。自分ではあまり考えないが、私は好みがはっきりしていて、受け付けないものは受け付けない。車に関して言えば父はベンツが好きだったが、私は外車は絶対に乗らない。流行りの電気自動車の 音もなくスーっと近づいてくる車も気持ちが悪い。
それはともかく、今回の事件は私のその性格も一因だった。もしも、私がプリウスやレクサス大好き!だったら、この一件に巻き込まれることはなかっただろう。それでも、これでいいのだ。
#その木曜の夕方の仕事帰り、ナスコが週末子供を連れて泊りに来ることになっていて、月曜日までを考えるとガソリンが心もとない。万一があると困ると思い、スタンドに寄る。ご用達のスタンドは昨今の事情で店をたたんでしまい、近辺で安いところに行った。前のスタンドはセルフだったが、そのスタンドは旧来のタイプの、お兄さんが入れてくれるスタンドだった。
通常通り入れてもらい、走り出す。片側3車線の大きな道路を左折、片側2車線の道に入って2,3キロ進んだところで車は立体交差の地下に入った。地下を抜けたところで赤信号。そこで止まって、青になって進もうとしたらいきなりエンジンが止まった。
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・。
7,8回エンジンをかけたがエンジンはウンともスンとも言わなかった。6月に整備に出したばかりだから、バッテリーということはない。感覚的にはエンジントラブルのように思えた。とすると、たぶんエンジンはかからない。夕暮れであたりは薄暗くなってきており、大きな道路を曲がって間もないその辺りは、それでなくても年中渋滞する。地下から上がってくる車線は1車線しかなく、私がここで詰まると後方の渋滞がどうなるかは考えたくなかった。
仕方がない。
ギアをニュートラルにしてサイドブレーキを下ろし、非常点灯表示を点け、意を決して車を降り、ドアを開けたまま私の力だけでハンドルを握ったまま 車を押し始めた。何とか左車線に寄らなくてはならない。
一体何を始めたんだ!!という白い目を痛いほど感じながら、この婆さんの力でウーーーーーン!と押すと、10?くらいずつ車は動き始めた。車はコントロールしにくい。後続の車が縁石側の車線に寄って私を追い越そうとすると押している私の車とぶつかりそうだった! 手で制止するが、薄暗いし私の意図する意味が分からないらしい。立往生しながらなんとか押していると、知らないおじさんが声をかけてくれた。
「あんた! 何やってんの?」
ナ「エンジントラブルです。エンジンがかかりません。」
「どうしたいんだい?」
ナ「左車線に寄りたいんです。ここでは後続の車が大渋滞になってしまうので。」
「わかった。俺が押してやるから、あんた車に乗ってハンドル握りな。」
えーっ・・・ とっても申し訳ないけど、おじさんが乗って私が押すというのはちょっとチカラ的に無理かも、と判断し、お言葉に甘えることにした。
車は彼の力ですぐ左車線に寄せることが出来、彼に感謝して慌ただしく別れた。
「ありがとう。ほんとにありがとうございました。ここで助けを呼びます。」
#18時前でマツダはもう閉まる時間だった。担当の営業さんがいなかったら諦めてJAFを呼ぼうと思ったが、担当さんは4,5回のコールで出てくれた。
「産業道路から警察の角を曲がって2キロくらいのところで車が止まって動かなくなったの。」
心細くてひっくり返りそうだったが、なんとか場所と症状を話すと、2,30分で行くと請け合ってくれた。
ほっとして待つが、みんな見ていくし、左車線に寄ったとはいえそこもほんとはかなり邪魔な場所だった。どうしようもない。更に進めば大きな交差点にかかってしまう。
焦ってもしょうがない。
すると、今度は男の子が車から降りてきた。
「どうしたんですか?」
まだ、17、8じゃないだろうか、整備工のつなぎの服や手は油で汚れていた。
「ここだと通行に邪魔になりますから道を一筋入りましょう。ボク、牽引用のロープ持ってますから引っ張ってあげます。」
よたよたの婆さん(私)と、まだ子供のような整備工君とで、何とか急角度の交差点を曲がり、一筋入った。
「ありがとう。ここで待つからいいよ、応援は呼んであって、あと20分ほどで来てくれるそうだから。」というと、振り返りながら彼は去っていった。
ほどなくマツダの担当氏は、チャラい感じの友人営業マンを連れて車を積むトラックと乗用車、2台で来てくれた。追い越していく車が止まり、窓を開けて口汚く罵っていく。私は何と言われたか分からなかったが、担当氏は非常に厳しい顔で俯いた。言い返したいのを我慢したのだろう。
担当氏は私の車をざっと見て、「これは油種の間違いのような気がする。」という。
あ。
ナ「今、スタンドで給油したばかりです。私が給油したんじゃなくてスタンドのお兄さんがしたの。それから3キロばかり走ってここで止まりました。」
私がしたなら絶対に間違えない。もう何年も自分で給油している。そこを使ったのは、前のスタンドが潰れて近隣で探したら一番安かったからだ。
すぐスタンドに電話する。
ナ「お宅で給油したんだけど、ガソリン間違えられたんじゃないかと思うの。私のは軽油じゃないといけないのに、レギュラー入れられたみたい。故障して立往生してるんだけど。」
スタンドの店長はすぐレシート番号を聞き、録画したビデオを見て確かに青のデミオにレギュラーを入れているビデオで確認したとのこと。詫びの言葉と共に スタンドはこういうための保険会社に入っていて、そこから全額弁償すると請け合ってくれた。>当たり前だ
#翌日、職場にうなだれた店長がやってきた。彼が入れたわけではない。曰く、
「本当に申し訳ありませんでした。お客様のお車に給油したスタッフは、いつもトラックを運転しているんですが、半年ばかり前からバイトしたいと言ってきて・・・。必ず油種を確認するんだと、何度も注意していたんですが、全く確認せずレギュラーを入れていました。」
うーーーむ。店長を締め上げるのもちょっと違う気がした。代車にブレーキの利きが悪いおんぼろのFitが来たが、マツダの車は車検のために出払っているとのこと。車がないと困るので妥協した。
#その後、私の車の件はなかなか帰ってこない。マツダからは何度か連絡があり、ガソリンスタンドが契約していた保険会社が、どこまでみるかで結審せず、まだ修理にかかれないでいるとのこと。ちなみにどこの保険会社か聞いたら「東京海上」とのこと。東京海上はやめようと思った(笑)
#私はもともと、変なアクシデントに捕まる運を持っている。理由はわからない。しかし、そこから からくも逃げ切る運も持っていると感じる。
振り返って考えると、窓を開けて罵声を浴びせて行った人もいたが、自分の車を降りて何とか助けてあげようという人が二人もいた。世の中捨てたもんじゃないよ。ねえ? 連絡した担当氏はまだ事務所に居たし、すぐ来てくれた。都合3週間も修理に時間がかかり、東京海上は大手のくせにどうかと思うが、とにかく代車は手に入り、仕事に支障はなかった。結果的に保障の対象になり、私の手出しはなしに車は治って帰ってきた。
もしもあのアクシデントが地下道の底や登坂の途中で起きたなら、私の力ではとても押せなかっただろう。マツダの担当氏は
「よくエンジン停止で動きましたねえ!? ナスカさんが乗った初代のファミリアなら600?くらいでしょうが、昨今のは1トンはありますよ。」
そうなのか。
#それにしても。
「大変でしたね、」と言われたが、なんとも返答に困る。一番困ったのは事件のあとマツダに連れていかれ、タクシーが捕まらないので夫を呼んだが、「僕が行くの?」と言われた時にはもうこいつ要らない!と思った。
ナ「あなたが来なければ私はどうやって家に帰るんですか? タクシーは捕まらないし、ここから家まで歩かせたら絶対に離婚だからねっ!」
というわけで彼は仕方なくやってきた。
もうこいつ要らないよ!
#というわけで最近は 一人暮らし用の手ごろなマンションのチラシを熱心に眺めているナスカさんなのでした。
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#土曜日、JR九州ウォーキングで立野(阿蘇)をやるらしいと分かって、日帰りで行ってみようかと考えたが、腹痛で体調不良が続いていたため結局家でゴロゴロ。昼前、ピンポンが鳴る。はて?今日は誰か来るのだっけ?
出てみると黒猫のお兄さんが箱を持って立っていた。「お届け物です。」 ?。中を見ると、なんとスイカ! そういえばふるさと納税の返礼品にスイカを希望したのだった。
ナスコ「なんで長崎のスイカ??? イクラとかにすればいいのに。」 ほっといて。8月に、私はスイカが食べたかったのだ。こんな雨の寒い日に届かなくてもねえ。さすがにスイカ大好きの私でさえ、10月のスイカは今一つ食欲がわかない。
しかし。割ってみると、こんなに美味しいスイカってないよね、っていうくらい甘くて美味しかった。夫はスイカは別に好きでないので、まるまる一個、私が食べることになる(笑)
#ナスキは、大学のローテーションでK県内の勤務に入っている。体は丈夫だし、なかなか落ち着いた若者になった。付き合っている人はいないらしい。私自身はまだ親の結婚しろ圧力が半端なく強い時代、しかも自分の設計したキャリアとは程遠いものになってしまったために、あまり人に結婚を強制するのもどうか>よく言うよ ナスコの結婚何度も大反対しておいて、というツッコミはなしね(笑)
#帰宅して仕事場での話はほとんどしない夫が帰るなり「昨日、T君のところの娘(4歳女児)が、急死した。」という。はて?病気だったとは聞かないが?
アマゾンで買ったというミニカーのシリーズの家畜運搬トラック。哀れな感じがいいのかもしれない。
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]]>同じ靴、色違いのズボン
#帰宅した夫に「今日なんか面白いことあった?」と、彼が一番嫌いな質問をする。
少し考えてから、
夫「今日じゃないけど、少し前にものすごく太った人が来たよ。125キロなんだそうだ。」
ナ「ひぇーっ」
夫「でもそれでも随分痩せたんだって。もとは180キロあったんだってさ。」
ナ「ひぇーっ」
夫「でもそこから『(ダイエットでおなじみの)●いざっぷ』にはいって半年で75キロまで痩せたんだって。でもやめたら125キロまで戻っちゃったんだってさ。」
ナ「ひぇーっ」
「甘いものは一切!絶対に!食べたらだめらしいよ。運動と、すごく厳しい食事療法で管理栄養士がついて箸のあげおろしまでやかましく指導されるんだってさ。あんたじゃ無理だね。本気の人じゃないと。」
ずずーん。そうか・・・やはり甘いものと糖質か・・・・・・・・。
厳しいのか・・・ 結果が出るということは、そういうことだもんね・・・それなりの厳しさが要求される。
#4月、大学の同期の間で例年の花見をどうするか問題になった。最も問題になるのは老人を預かる仕事に携わっているわたしなのであった。
・・・・・・・・・・・・・。