夕暮れや 冬一面の 黒酢畑

 

鹿児島県霧島市福山町「黒酢壺畑」

 

#NHK総合で放送中の海外TVドラマで「This is us」というのがある。タイムトラベルものではないが、感覚的にタイムトラベルに近いところがあり、私の時間旅行感覚をくすぐる。主人公は三つ子で、三つ子の赤ん坊時代、子供時代、青年期、大人になった今とその親夫婦のあらゆる時代がしょっ中、一瞬で切り替わる。出てきた俳優が誰かで 視聴者は今がいつの話か判断しなければならない。だから人の顔が見分けるのが苦手だったり、話がきちんと時系列的に並んでいない話を自分の中で時系列的に並べ替えることが苦手な人はちょっと駄目かもしれない。

 

 

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あるカップルがいる。男のほうは親は離婚しているらしく、親の陰はない。

女の方の親は結婚に大反対だった。

カップルは貧しく先が見えない普通の若い夫婦として新生活をスタートし、普通に妊娠を喜んだが、子供は三つ子だった。生活は苦しかったけれど頑張って、喜んで三つ子を産むこと決める。

 

 

大きなお腹がはちきれそうになったある日産気づく。

 

 

ちょうどその頃、病院の近くの消防署の前に黒人の男の赤ちゃんが置き去りにされる。

拾った消防署員は自分たち夫婦で育てようと思ったが、妻の反対で

やむなく病院にケアを頼み、新生児室のベッドに保護された。

 

 

再びお産のママさんのシーン。主治医がもっとも悪いタイミングで盲腸の手遅れで腹膜炎を起こし、手術になる。急遽お産は、○科の(産科ではなかった)老医師がピンチヒッターで三つ子を取り上げることになる。

赤ん坊は一人は♂、一人は♀、もう一人は死産だった。

「お母さんは元気だ、一人は男の子、一人は女の子、もう一人はすまない、死産だった。どうにもならなかった。」

 

 

廊下で一人、悄然と座っている新米のパパに老医師が語りかける。

「実は私は最近癌で妻を亡くしたんだけどね、その妻との間に、15,6人の子供と孫がいる。でも最初の子は死産だったんだ。今日までこの子のことを忘れたことはない。毎日思い出すんだ、何かのたびに。この話はあまりにも辛くて、今日まで一度も人に話したことはなかった。」

そして、

「出来れば君もいつか私のように年老いたときに、自分の経験を若者に語ってくれるといいなと思うよ。

人生が君という人間に与えた最も酸っぱいレモンで 何とかレモネードを作った経験を。

そうなれば君はこの病院から3人とも家に連れ帰ったことになる。まぁ、予定とは少し違う形でも。」

 

そして老医師は自宅の妻の写真に、いつもそうしているように、話す。

「昨日、ある若者に亡くなった子の話をしたよ。あの子のことは長い間誰にも話したことはなかった。その若者にアドバイスをしたんだが、どうやら彼は聞いてくれたらしい。

人生の中で最も辛い経験をしっかりと受け止めて、前に進もうとしている。」

 

出来立てのほやほやのパパとママは、亡くなった3人目の赤ちゃんの代わり?に、消防署の前に捨てられていた黒人の赤ちゃんを引き取って育てる決心をする。(詳細不正確)

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とまあ、こんな風に始まるドラマなのである。レモンのところがツボにはまって、何回も録画のこの老医師のシーンを見た。

 

 

 

 

#「あなたの歴史のページの ちょっと酸っぱい、わたし思い出にしてね〜♪、」は多岐川裕美の「酸っぱい経験」、結構好きな歌だった。でもこの歌の歌詞には、「酸っぱい」だけで「レモン」は出てこないな。

またブログで鼻歌なんか歌って歌詞を書いたりすると誰かに怒られそうだから、これは後で消しておこう(>書くのか!)。

多岐川裕美なんて知ってる人いないかもなァ。

 

 

 

#ヨシコさん(仮名)という女の子が実習に来た。なんで盛り上がってるの?魔法使いのサリーのヨシコちゃんと同じ名前だから? と聞いてみたが、そもそも魔法使いサリーのヨシコちゃんをそこに居た全員が知らなかった。というか、魔法使いサリーさえ知らなかった。

 

時々、既に自分の感覚は時代の主流からいつの間にか外れてる? と思うことがある。

 

博多の祭り、祇園山笠は、御神輿を担いでいる男達がある距離を走ってバテた頃、次の担ぎ手がどこからともなくやってきて、伝統のやり方で担ぎ手を交代する。御神輿はいつの間にか全く違う人々によってしかしその前と全く変わらないような勢いで担がれていく。

 

私の常識は皆の常識ではなくなっている。流行の歌とかも、どこもいいとは思えんけどナァ、と思うし、時々出てくる私たちの世代の歌手が、年取ったなあ、歌下手になったなあ、老けたなあ、と感じる。有名な持ち歌なのに全然別の人が歌っている。もうテレビに出られないような状態なんだろうか。神輿はもういつの間にか、担いでいたはずの私の手を離れて、別の人に担がれ、私はただ、遠ざかる神輿を見ている。

 

私の作ったレモネードは誰かの役に立つことがあるだろうか。私はレモネードの経験を誰かに話すだろうか。ファミリーヒストリーでは自分の人生を子孫に一切話さなかったり、戦争体験を誰にも言わず死ぬ人が多いけれど、本当に辛かったことはなかなか口には出来ない。

 

 

 

 

#なんてことを考えながら。

 

高校の同期のK子さんの訃報を知る。去年の夏頃体調不良になり、病院に行ったら手遅れの癌で秋には亡くなったとのこと。私の人生も今は日暮れて道遠し、と思えるけれど、先のことは分からない。朝には紅顔ありて夕べには白骨となる、というのは要するに覚悟せよ、ということだ。いつそれが来ても良いように。

 

・・・なかなか出来ないよなァ。

 

 

 

 

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さよなら叔母さん

 

#甥と叔父さん、姪と叔母さんが似ていることは世の中には割と良くあることらしい。私は子供の頃から、母の妹に当たるF子叔母に顔や雰囲気が似ているとよく言われた。しかし、祖母に言わせると、F子は少し寂しげで弱い性格だから心配だ、それに比べるとナスカちゃんは芯が強いから心配要らない、とも。祖母が私ではなく叔母を気遣うのを残念に思ったこともあったが、大人になって考えてみると確かに叔母より私の方が強いかもしれなかった。

 

私ほどもの柔らかで弱々しい人はいないと自分では思っているけれど、人にそう話すと誰も同意してくれないのは誠に残念なことだ(笑)

 

叔母は薬剤師で、彼女に倣って薬科大に行こうと子供の時は思っていた。叔母は二つ年下の医学生と結婚して、生活のために薬局を開いていて、遊びに行くと叔母の家にはいつも販促品のケロヨンの指人形があった。黄緑色のケロヨンは持っている人が多かったが、ピンクのと空色のケロヨンはめったにお目にかかれない。時々ねだって貰った。プレゼントの上手な人で、いつも印象に残るもののをくれた。まだ中学生の私にはハイティーンのお姉さんが持つような木の実で作ったペンダントだったり、大学の卒業の時はパールのイヤリングだったりした。

 

 

叔母の婿さんは、加山雄三を平凡にしたような永遠の若大将っぽい人で、破れ鐘のような声でオペラを歌い、家族は結構恥ずかしい思いをしていた。壁紙はクラッシックなビクトリア朝のくどい柄が好みで、品があるとは言えなかったが、姪の私のことも可愛がってくれ、私とは対照的に穏やかな家庭の育ちの従兄弟達が羨ましかった。昔祖母に、「F子叔母ちゃんはとっても穏やかなセンスのいい叔母さんで、K叔父さんは若大将みたいでいい人だとは思うけど、二人揃えるとどうしてこの二人?っていう位合ってない気がするな、」と言ったら、祖母は「私もずっとそう思ってたよ!」(笑)そうかい。

 

 

ちょっと失礼かと思ったが本人達にも同じ質問をしてみた。叔母はただ、ふふふ、と笑うだけで、叔父は「僕もね、叔母さんみたいに上品にやりたい、って気持ちがとってもあるんだよ。反対のものに憧れるのさ。叔母さんもそうなんじゃないかい?」

 

 

 

 

#母、叔母の二人きりの姉妹も齢80を過ぎ、私の母に少し年齢による寄る辺なさが見えてきた頃、ナスコの結婚式があった。亡くなった祖母に初めてナスコを見せに行ったのはナスコが2歳半くらいだったと思うが、祖母は、

「はあ、・・・あなたがナスコちゃんですか。・・・・でも、私は残念ながらあなたがお嫁に行くところを見ることは出来ないなあ。」としみじみ言ったのを思い出す。

 

 

ナスコの結婚式で母に、

ナ「F子叔母ちゃんとママが、お互い体も頭も健康で会えるのは今度が最後かもよ。」と言った。

弱ってきた母にF子叔母ちゃんと生きて会えるのはこれが最後になるかもという予感がしたので、(二人は数年に1度しか会わないし、母が83歳、叔母が81歳ではこの予測は不思議ではない。)

しかし私が思っていたのは母が先に呆ける認知症になるか死ぬかということだった。

 

 

 

 

#12月7日、朝礼から事務所に戻った頃携帯が鳴った、親しかったがここ何年か連絡していなかったF子叔母の娘、従兄弟のMちゃんから。

「ナスカちゃん、お母さんが死んだの。昨日家に帰って普通に話をしたばっかりで、何がどうなのか、私も今仕事場で連絡が来て事情は全然分からないの。」 

 

 

その日叔母は朝ご飯を食べてから風呂に入り、体を伸ばして入っていた。何かの拍子につるっと滑って湯に沈み、普通なら体を支えるところを筋力が落ちてひっくり返ったカブトムシになったか、心臓か脳がどうかしたか、沈んだ拍子に水を吸い込んで肺に入ったか、正確なところは分からない。昨日まで元気だった叔母は誰も予期しない事情とタイミングであっという間に死んでしまった。

 

向こう隣は夫と息子が診療所を構えていたが、皆が気がついたときはもう息がなく、救急車で運ばれたが亡くなっていたので変死ということになり、警察で行政解剖に2日かかった。それから、都会の焼き場はこの頃死ぬ人が多くて火葬が捌ききれず、4日ほどドライアイスを抱かせて待った後に通夜、葬式、荼毘に付された。母の混乱を恐れて叔母の死は話さず妹と上京し、母の名代で骨まで拾って帰ってきた。

 

 

 

#人が死んでいるのに通夜も葬儀もないまま1週間を過ごすというのは、田舎のテンポの私にとっては変な感じだった。叔父は叔母より二つ年下だったのだから、自分より先に死なれることを想定していないというのは全く馬鹿だったと思うが、本当に想定していなかったらしく、いつも自信の人の叔父には考えられないほどおろおろという感じだった。

「全部叔母さんがしてたから、葬式に着るYシャツのありかも分かんねぇんだよ」

 

 

 

#死に方として悪くはない。しかし解剖の結果溺死、というのはどうだっただろう、苦しかったかなあ。それだけが心残りだ。

 

 

#妹と別れて郷里へ戻る日、少し時間があったので二人で成田山に行くことにした。遠かったが、祖母が生前「何か困ったことが起きたら成田山新勝寺にお願いに行きなさい。一生懸命お願いしたら成田山はきっと力になってくれるから。忘れるんじゃないよ、必ず、覚えておくんだよ。成田山だよ!」と言っていたので、きっと叔母と祖母は成田山から連絡がつくところにいるはずだと思ったのである。今年も成田山に写経の奉納を済ませていた。

 

 

それにしても、どうして祖母は成田山をあれほど信奉していたのだろう? 聞いておけばよかった。お参りをすると、なんだか少し荷物を下ろした気がした。美味しそうなウナギの蒲焼きのにおいがぷんぷんする。食べていきたかったが妹が太るよ、と反対するので諦。

可愛がってくれた叔母は、白い骨になった。心から手を合わせた。

成仏出来ますように。南無阿弥陀仏。

 

さよなら、F子おばちゃん。お世話になりました。

 

グッバイ、東京。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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教育の結果

 

#最近出来た国の制度で、障害者を雇用しなければならないという法律がある。私の事業所では股関節の手術をした人がいて、この人は延長後の定年でで近々やめる。新たに誰か探さないと法定数に達しないということでお金を払わなければならない。罰金ではないが、体のいい罰金だ。逆に雇用していればお金をくれる。罰金?まだ税金で取ってくれた方が気分がいいというものだ。

 

ま、そうは言ってもね、というわけで一人パートさんを探した。この春普通の大学を出、仕事を探しているという。子供の頃病気で立てなくなったという人で、大学まで出ているというなら電話番とか簡単なパソコン入力、仕分け業務くらいなら何とかなるかな。

 

・・・・・しかし、国がどう考えているか分からないが、普通の戦力として「子供の頃からの障害者」を何の訓練もなしに雇用するというのは、無理がある。冒頭のように人生の前半は普通に暮らし、普通に就職したような人は問題は少ない。

 

 

足以外全部普通なのである。能力的に可能な仕事を与え、懸命に引き立てようと頑張った。しかしこの子は普通の人間関係のルールの中で生活してきていない。本人は知らないところで庇われ支えられ、腫れ物に触るように扱われ、感謝の心を教えられないまま来てしまった。この子たちを普通の枠で働いて貰おういうならば、「常識」を、まず教えねばならない。しばしば連絡なしに遅刻し、連絡なしに休み、責任を持たせた仕事が期限に済まなくてもほったらかし、特に期限が近づくと休む、権利意識が強く、非礼や無責任に対する挨拶やふるまい方を教えても、従う気持ちがない。結局誰かがその仕事をかぶるので、かぶることになる人が嫌がる。当たり前だよね。

スタッフ「仕事をやる人がいないならいいんですよ、喜んで私がやります。でも担当がいるのになんで私がしなければならないんですか。出勤しているときでもやっているときもあるんですが、ぼーっとして雨だれ打ちくらいしかやってないことがしょっちゅうです。あれで給料出すんですか?」 ・・・・ですよね。

 

 

来たその日から3時間も、フロアに1つしかない別の会社も使っているトイレに立てこもる、迷惑をかけたのだから待っていた隣の会社の方に「すみませんでした」と言いなさい、というと「ふんっ!」。

挙げ句「こんなことを言われる会社には勤められません。」とおっしゃる。「ここの人達は誰のことも信用できない。」ということでふらりと辞めてしまった。

 

結局障害がどうのこうのではなくて、性格の問題だろう。性格の悪いのは、・・・悪いと言ってまずければ性格の未熟なものは使えない。組織はどこもチームワークで、チームワークに入れなければどうしようもない。日本はこんな教育の仕方でいいのか? 本当に? なぜ誰も言わない? うちのケースはたまたま障害を負っていたが、それは関係ない。今はこの手合いが多い。「私はこの能力でこの性格です。あなたの会社は私に何を教えてくれて、どう使ってくれますか?」  いいのか?日本はこんな人間ばかりこしらえて。劣悪な環境で、激しい競争を勝ち抜いてくる人口13億の中国やインド、アジア諸国に淘汰されて呑み込まれてしまうぞ。

 

 

 

#生まれたけど育てられないで虐待されて死んでしまう赤ん坊は何とか出来ないのだろうか。日本は人口が減って困っているのに。社会で育てる仕組みは作れないのか。

 

 

 

 

#NHKファミリーヒストリー。好きな番組で毎週見ている。よく取材してるよなあ。っていうか、分かるものなんだな。それからみんな親から何も聞いてないんだなと思う。戦争中凄惨な経験をしたひとは余計、何も言わないのか。私程度の人生でも、私はかなり子供に何でも話しておく方だが、とても辛い経験を子供に話すことはないもんなあ。前後の事情を1から話さないといけないのでめんどくさい。私は高祖父母までは大体、家が抱えた事情を聞いているが、父方の祖父は私が生まれたときは既に亡くなっていたし、頭は良かったが何もかも中途半端な人生だったこともあって、この人の実家のことは殆ど知らない。高祖父以上になると名前が分かっているだけだ。

 夫に至っては「母方のばあちゃんの名前も知らないよ?だって、母方の本当の祖母は母親が子供の頃死んで、後妻が来たんだもん。後妻の名前なら知ってるけど、ほんとのばあちゃんの名前なんか知らない。そのまた上の高祖父母なんて誰も知らないや。知りたいとも思わない。僕には何とか家族を養って生き抜かなきゃならない未来があるだけだ。」

 

ふーーーーん・・・・・。

 

 

この人の血を引いた子孫達は、「別にばあちゃん(私)の名前なんか知らなくていいや。」と言うのだろう。ちょっと寂しい。私が頑張って今を繋いであんたが生まれたのにー のにー のにー

 

 

しかし、それを日本では「ご先祖さまが草葉の陰で見ている」と言うのだよな。ご先祖さまは黙ってみていないといけんのだよな。だからきっと、それをなだめるために先祖供養をするんだろう。

 

私も、孫のことを思うとき、そう思うもんな。

「Aちゃん! 前だけを向いて、進んでいけ! 振り返るな。おばあちゃんは必ず見守っているからね(涙)」

 

 

 

 

 

 

 

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風呂は服を着て入る。

 

#婿のお母さんにごく初期の大腸がんが分かった。手術をしたくないと言っているらしいが、とにかくそうも言ってられないので捕まえて手術することに。しかし気持ちはよくわかる。私ももしそっちの立場だったらどうするだろう。私はもう既に3回も切っているのだ。(帝王切開が2回と胆石症による胆嚢摘出)麻酔が切れるとき頭痛がひどくて、死ぬのとこの頭痛とどっちがきついだろう。

 

近頃冬場の風呂のヒートショックとかで、入浴中に死ぬケースが取りざたされるが、わざと風呂場を寒くしてヒートショックを起こして、入浴中に死ぬというのも悪くない。

 

事務所のK子「でもですよ、・・・裸ですよ? ちょっと恥ずかしいですよ、見つかった時・・・。」

 

なるほど。婆さんになると言われるまでそんなことも思いつかなくなる。っていうか痛くて苦しいより裸で恥ずかしいほうがいいんじゃないかなあ・・・・。

 

だって死んでるんだもん。何の恥ずかしいことがあろうか?

 

やっぱちょっと恥ずかしいか・・・・・。

 


服を着て風呂に入ったらどうだろう? 良い考えじゃない? それ用のデザインを考える。裸になったら体はちゃちゃっと洗い、湯に飛び込んでさっと羽織るように着るバスローブ。

うっかり死んでしまったときのための入浴服。  ・・・・どうだ? 

 

こうなるともう、湯灌も死に装束も要らない。最初から白くしておけば乾いたらそのまま棺に入れてよし! どうだ!

 

 

 

 

#夫と結婚するとき祝いをくれた職場の先輩の奥さんが亡くなったと聞く。

ナ「少しずつ、一つ上の世代に死の波が来て、私たちの足元も波打ち際って感じ、するね。」

夫も同じような感想だったらしく、ただ うん、と頷く。今まで近い年齢の人が亡くなったと聞いても 早世する運だったんだな気の毒に、と思ったけれど、そろそろその運になくてもみんな等しく起きるほど年を取ってきた。

 

 

 

 

 

#事務所のK子さんと話していて。この人は30才過ぎで 一人娘をシングルで育てている。養育費は一銭も貰っていない。

 

K子「ナスカさんは娘さんを薬剤師さんという立派な資格を持たせたのに、それでも万一離婚したとき、やっていけるかどうか心配なんですか?」と聞かれて。

 

ナ「うん。だって・・・・」と言いかけて、はっとした。

 

この時までつきつめて考えたことはなかったが、私はもしもナスコが結婚に失敗して帰ってきたら、その子供たちは自分で育てる気でいる。育てる気まんまんだ。そうしなくてはならないと、思い込んでいる、というか私の中で腹は決まっている。私の心の奥深いところで。ナスコは必ず子供を(向こうにやらずに)連れて帰ってくるだろうし、一人では無理だ。私は物心両面で必死で補佐するだろう。

 

しかし、ナスキの子に対してはそうは思っていない気がする。私が、ナスコの子は私が育てなければならないと強く思えば思うほど、ナスキの子は(離婚することになる)ナスキの奥さんの実家が面倒を見るはずだと思っている。まあ順当に言って子供は母親につくからそう感じるんだろう、と思ってから。

 

あっ、と思った。

 

私はナスコの夫には頭がいい人じゃないと絶対にダメだと言い聞かせてきた。健康で、頭が良くて、性格もよくなければ絶対にダメだ、と。たばこ屋の古い読者はそこのところをよくご承知だろう。

しかし、ナスキの嫁にはほとんど注文がない。「ナスキが良ければそれでいいんじゃない? ただ、頭の悪い嫁からは頭の悪い子が、行儀の悪い嫁からは行儀の悪い子が、体も心も弱い嫁からは弱い子が、浪費家の嫁からは浪費家の子が育つことだけは覚悟しておきなさいよ? あんたは男なんだからうまく行かなければとっとと別れて、次のを探せば?」とだけ言ってあった。

 

理由は 自分でも分からなかった。ただ、そう思った。

 

 

しかし今こそその理由が分かった。今の日本の社会では高校までの学歴で良ければかなり何人でも育てられる。ピアノ、公文、サッカーなどのお稽古ごと、専門学校や私立大学など上の学校にやろうと思ったとき、一気に厳しくなる。年を取った私たち夫婦には、引き取った孫を私立の大学に行かせる余裕はたぶんない。自力で国立大学に入ってもらうしかない。身の回りの離婚した奥さんに聞くと癪に障るほど別れた子供の養育費を払う父親はいない。みんな女が一人で被っている。私の孫が自力で上の学校に行くには、丈夫な心と体と頭を持って生まれてきてくれなくては、誰より私が困るのである。だから父親の資質を要求する。

 

 

しかし、ナスキの子は嫁の実家が見ることになるから なんの、私はそんなことは心配しなくていい。あっちの孫はサヨナラだ。どうでもいいは言い過ぎか。だから、「嫁さんはあんたが気に入った誰でもいいよ」になるのだ。男はいくつになっても子供は出来る。納得のいく奥さんと子供に会えるまで、何度でもやればいい、・・・・と考えて私は心底自分の遺伝子判断の冷たさにびっくりした。こんな複雑なことを頭で考えず、脊髄反射でここは右、左、と決断していたのだ。人間とはなんと本能的な動物なのであろうか。

 

可愛い可愛くないは別にして、ナスコが子供を連れて帰ってくれば私はその子が独り立ちするまで必死で育てるしかない。

 

 

 

 

職場の女の子「じゃあ、娘さんが帰ってきたらナスカさんは一緒に暮らして面倒をみるんですか?」

 

「うん。私が引き取るわ。私が引き取って、娘には次の男に行け、と言う。勿論次の男が見つかってその人が一緒に育ててくれるといえばそうしてもらうし、駄目なら私が一人で(夫と)育てるわ。娘には全力で支えるから、何度失敗してもペケは全部引き受けるから、幸せになるまで(結婚でも独身で仕事でも)、何度でも挑戦せよ、というつもり。」 そうでなければ可愛い娘を他家へ嫁になんかやれない。

 

そういえば私は自分の時も、ここはとにかく来た船に乗ろう、駄目ならやり直せばいい。何度でも。と思っていたっけ。何度でも、何度でも何度でも!

 

 

 

 

 

#孫のA君は、今1歳3ケ月。この年のナスキと比べると少し足が弱い。ナスコにもっと歩かせるよう勧める。色白でひ弱な感じがする。ナスキは1歳の時、100メートルくらい走っていた。言葉はちっとも話さないが、同じ頃のナスキより理解している気がする。天気予報の番組が大好きで、お母さんと一緒、と天気予報が始まるとテレビの前にかけつける。ママが大好き。ババはやきもち焼くくらい。でも彼の実家のお母さんが病気でしかも遠いので、あまり私ばかり仲良くなるのもどうか、と思い、少し離れている。ガラクタが沢山あるので、ママの実家は宝の山だと思っている。かわええ。

 

 

 

 

 

 

 

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よう来た!

天橋立

 

#このところ少し旅行が続いていた。9月の終わりは日本三景の一つ、天橋立、城崎温泉に行く。なんで天橋立があの地形なのかもう少しちゃんと勉強して行くべきなんじゃないか?>自分。

いろいろ考えたことがあった気がするけど もう忘れたやー(情けない)

 

#五十肩は、年齢が40歳でも60歳でも70歳でも五十肩というんだそうだ。しかしやはり今頃の年が一番痛いのかのう。とにかく肩が痛い。首と、背中と腕も。

 

 

#解散するときに、「負ける気がしない」と言った人いたが、本当にそうだろうか。自民党がどうなのかは分からないけれど、安倍さんはもう飽きられてるよね。良いも悪いもない。飽きたんだから。いずれにせよ安倍は終了だ。

 

 

 

#NHKで「マサとワンボイスクワイヤー」という番組があった。ソルトレイクシティという名前を聞いて思わず番組に見入った。私は5歳と32歳でそれぞれ1年ずつ、父や夫の留学についてその地を訪れた。その、私が去った後のソルトレイクシティに大阪生まれの3歳からピアノを習ったマサという男の子が15歳で留学し、大学生の時、ソルトレイクシティの冬季五輪の際に募集されたテーマ曲が採用され、多くの子供たちによる合唱となった。その後合唱団は子供たちの強い希望により存続し、現在150人の団員を抱え年間40公演を行っているという。全米の合唱コンクールで優勝し、ホワイトハウスで歌った。

 

番組のあとネットで情報を集めてみたら、なんとこの合唱団が10月2日に福岡サンパレスホールで、コンサートに来るという。筑紫女学園110周年記念祭として。なんと。縁があるとはこういうことを言うのだろう。ゆかりの深いソルトレイクシティで、日本人が率いる合唱団が、姪の学校の110年記念祭に来る!・・・・・行かねば!(笑) 呼ばれているような気がした。私はソルトレイクで本当に楽しく過ごさせてもらった。これは是非ともS席を押さえて前列で鑑賞し、子供たちに「よう来た! よう来た!」と拍手喝采してやらねばなるまい。コンサートは月曜日だったので、有休を取ると言いにくかったがどうしても行きたかった。手の空いている友人を誘い、博多まで出かける。

 

コンサートは大変面白く、私は人生の休日を楽しんだ。

 

 

 

#入れ替わりに夫が博多へ出かけた。「高校の最後の大きな同窓会」なんだそうで、帰宅した夫に感想を聞く。

「楽しかったよ。幼稚園から高校までずっと一緒で、家ぐるみ仲良しだったMは、50前に(大手出版社を)辞めて博多に戻っていたよ。不本意な辞め方だったかもな。

K大医学部に行ったTは、2011年の東北大震災の後、開業してたのに病院を閉めて、陸前高田に行ったんだって。僕は医者になってずっとつまらなかったけど、今初めて充実している、って目をキラキラさせて話すんだ。でもそこの院長と喧嘩して、今は岩手のQ市にいるらしいよ。東北の医療事情も少し聞いた。元々医学部は西日本に多くて東日本には少ないんだよ。ところが、今度東北薬科大に医学部ができることになって、医者が教員として沢山引っ張られ、それでなくても少なかった公立、私立の大きなところの病院が手が足りなくなって、小さいところがどんどん閉めてそっちに回ってるんだって。病院を閉めることを奥さんに納得してもらうのに1年かかったって。しかも奥さんは博多に残ったんだってさ。

人はどんどんいなくなっているのに、10メートルも地盤をかさ上げするんだって。大きなマンションをいくつか建ててそこに住めばいいのに、みんな1軒家じゃないと嫌なんだって。子供がいる家はまず戻って来ない。空き家ばかりになって、しばらくぶりに我が家に戻ってみると家財道具が盗まれて無くなってるんだって。報道も、そのままの状況を言えよ、と思うけど、今あの辺を悪くは言えないんだろうね。」

 

うーむ。私なら、東北の桜を見るためだけでも行くがなあ。あの辺りは桜が本当に綺麗ならしい。私の郷里は桜には暑すぎて、あまり良い花は咲かないのだ。人口が減ってなるべくインフラにお金をかけず、人をまとめた方が効率がいいだろうと言われている時代に、イノシシやタヌキや猿のために地盤をかさ上げする政治って、どうなんだろうか。

 

夫「まあ、(奥さんも)春から秋までだけでも付き合ってやればいいのにね。冬は、寒いよ。」 そうか。寒いか。

 

 

そういえば昨日今日、東北以北は最高気温が10度台でびっくりした。こっちは暑くて暑くて、昨日も9月上旬の気温とかで31度の公式発表だったが、車の温度計は35度だった(死んだ)。

 

 

 

 

#ナスコが家を建てるという。うーん もうちょっと郊外に考えればいいのに。(不満)そんな場所に狭い家、借金しょってどうするんだ・・・・。そうこう言ってるうちに彼(ナスコの夫)のママンに重病が見つかり、手術することに。彼は泣いたそうだ。私と似たような年なので、私も心中複雑。家の話は一旦棚上げかな。

 

 

城崎にて

 

 

 

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