アラビアのクネクネ

 

#母が認知が進んできて、実家の片づけをしている。最近実家の片付けタイトルの本も出るほどこの分野は活況を呈している。認知が進む前は手を出すと「勝手に手出しをするな」とか「私のものを盗んだな!」等と烈火のごとく怒るので手が出せなかったが、なんのかので自宅に帰らなくなり施設に居ることが殆どなので、最初は少しずつの「手出し」だったが、だんだん堂々と(笑)とにかく処分に走る。結局のところ母が死ぬとこの家にある通帳、株券などの書類、少しの貴金属と絵を除けば全部ゴミと借金。私の親は経済感覚が全くない夫婦だったので、冷蔵庫なんか外国製の上等なやつのはずだが、手を入れるとむっとする。(体温より高い)火事になってもおかしくないので母が家を空け始めた数年前のタッパに入った煮物とか、椅子に置いたまま溶けたチョコレートに小虫が湧いてそれらが育った抜け殻とか死骸とか、数年前母がトイレに置きっぱなしにした使用後紙おむつとか、もう腹立たしいのを通り過ぎて(以下省略)。

 

 

 

一部屋ずつ片付けた。認知症の人は例えばアルツハイマーの場合発症から10年後に大体死期を迎えると書物に書いてあるが、母はもう少しもちそうだし、それまで待つとこれらは一体どうなるのだろう。3年前のタッパの蓋を開けるのは相当怖かった。業者に頼めばいいのだろうが、間違いなく100万円は超える。この出費を回避するためには、自分たちで袋詰めし、2,3個ずつちまちま捨てるしかない。母の家が近いからできることでもあるし、一人ではなく妹か息子、夫が手伝ってくれているので出来たことだ。そうでなければいくらかかったとしても業者に頼むか、お金がなければ腐りきって形がなくなるまで放置するしかない。私は予言するが、今に日本各地で放置された古い住居が溢れかえることだろう。早く国が何とかしないと、そこに浮浪者とか訳の分からない質の悪いほうの外人が住み着いて、テロリストの巣窟になると思う。現在でさえこうした放置物件には時々、近所の不良高校生とか空き巣が入って仏壇に隠したまま認知症で忘れ去られた現金が盗まれ、つかまった泥棒の自白で分かったりしている。学校法人で騒ぐのもいい加減にして、保育所とか子供にお金がかかって産まないという事情とか、老朽化した家とか、早く何とかしないとという問題の根本的な解決ができる人を政治家にしてほしい。

 

 

 

 

まずトイレ、台所、母の部屋、納戸と片付けて、10年前に死んだ父の部屋に。ここは母が父関係のものをすべて詰め込んで、鍵をかけて聖域にした場所だった。実家の親は変な人たちで、どの部屋にも鍵があり、子供部屋と食堂以外はすべて鍵をかけていた。片付けがおくれたのも一つはこの鍵をどうするかで悩んで、(母しか持っていない)結局鍵屋を呼んで全部開けてもらった。鍵一つ開けるのに5千円かかった。

 

 

父の部屋の引き出しからは結構現金も出てきたが、いやらしいことに旧札(聖徳太子とか樋口一葉とか?)で、使うのにどうしようかなあ・・・ お店の人に変に思われないかしら? ということで、ATMに持って行った。もっと嫌らしいことにはコインが大きなカンカンにいっぱい入っていて(7,8キロあったと思う)、古い稲穂の模様の100円玉とか、昔の大きな50円玉、殆どが10円と5円と1円でかなりため息。これは事務所の女の子に頼んで銀行で入金してもらった。8万円近くあった。

 

 

父の背広とかもう死んで10年にもなるし、倒れたのは20年前だから、20年間一度も手を通さないままの背広は要らないだろうとは思ったが、母が捨てかねる気持ちも少しわからなくはない。私も夫のものならまあ、もういいかな、と思うが、好きな人のものならどうだろう(え?)(いや、例えばの話さ)母は父のことが結構好きだった。

 

両親は変な人たちだったので、私も妹もその価値観の原型を貰ってはいるが今や全く違うものになっている。平たく言うと親が嫌いだ。これは誠に残念なことである。何の因果かその父母の人生の撤退戦を私が引き受けている。私は、しかし逃げないと決めている。

 

父のひみつの書棚(勿論鍵がかかっていて、これも鍵屋を呼んだ)を開ける。

 

なーにーがーはーいっていーたとおーもーうーーーー??

聞いて驚けぇ?

 

古い100円札の帯封付き束。100円札なんか100枚あったって1万円だが、これはまあ許そう。

古い500円札の帯封付き束。これなんかも5万円だが、これもまあ、許そう。

 

なんで10000万円札の束が無いんだよう(泣!)

 

それから出資の証券と株券が数枚、父が死んで10年にもなるのに何の処理もしていない。(母のネグレクト)実は銀行からもずっと父名義の口座の利息のお知らせが来ていて、一つは首都圏の銀行なので、処理したがものすごくめんどくさかった。途中で挫けてもう捨てようかと思ったが、銀行の人が勿体ないですよ、100万近くあります、というので泣く泣く頑張った。飛行機代を払ってもお釣りは来る。ゴミの処分にだって小さいものはゴミの日にちょっとずつ捨てるとしても大きなゴミには一体いくらかかるか分からないし。

 

それから、帯だたしい数のエッチビデオ。エッチな本。これは母がそっち系が大嫌いな人だったので、それに走ったんだな。可哀想なやつ。そしてなんと大人のおもちゃが3つ。(3本と言った方が分かりやすいか)ピンクのプラスチック製で、外国の製品らしくあっち語で書かれていて、アラビアの女のハーレム的衣装をつけた女が煽情的な動作をする絵(下品にならないよう苦慮の表現です)がついていて、妹が、「お姉ちゃん! このアラビアのクネクネ、誰に使ったんだろうね!?」 もう娘たちは興奮状態(爆)

 

 

アラビアのクネクネを使われたのは母ではないと思う。じきに疑問は溶けた。もっと悲劇的なものが出て来たのだ。英語で書かれた2枚くらいの文書が出て来た。多少の英語が読めた私は、びっくり仰天。

 

それには、父とある女Sさんがお金を出し合い、アメリカのとある場所にヘアサロンを出す、という合意書。500万ドル、と書かれていて、すぐ横に居た息子に、「ちょっと!500万掛け110っていくら?」  

息子「えーっと、、、5億5千万?」 ウソっっ!!

息子「えーっと、、、あってるよ。」 あいつ!2億5千万も女に渡したのかよ! 私にこんなに借金残しやがって!!

 

腹が立って腹が立って、夫のところに飛んでいき、事情を話した。

夫「落ち着け! 5億じゃない。」  え? ナスキ! 計算間違えたねっ!

息子「えーっと、、、間違えてないよ! ぼく!」

夫「落ち着け!間違えたのはお前だ!」 え? だって500万ドルって書いてるでしょ?

夫「落ち着け! アメリカドルは下二けたはセントだ! つまり、500万じゃなくて5万だ。だから、550万円? 出資額はその半分だから、275万?」  がっくーん・・・・ もうちょっとで左団扇かと思ったのに。ちぇ!

 

 

話は進んで、これを取り返しに行くかどうか、という段になる。夫は取り返しに行くことには消極的だった。弁護士を立ててアメリカへの行き来を考えると数十万はすぐ吹っ飛ぶ。「労多くして益少なしだよ。」夫の弟は法学部を出ているので相談する。これも、「この合意書には条項がついていて、『益が出たら折半、損失が出たら折半と書いてありますよ。もしも損が出ていたらこれから請求されることもあるわけです。』

 

加えてアメリカとは恐ろしい国で、インターネットに名前と住所を入力すると最近使ったカードの履歴とか犯罪歴が出る。より詳しい情報が欲しければお金を払え、という画面が出るのだが、その女Sの娘はどうやら麻薬、窃盗などの犯罪歴があるらしかった。それって個人情報じゃんねえ。アメリカの方が個人情報保護は行き届いているイメージがあったが、とんでもなかった。これを見ると日本は保護しすぎなのかもしれないよなあ・・・・。

 

 

ちうわけで・・・・・。

ナスカ家はお金持ちになりそこねましたん。。。

また 平常通りの毎日です。

 

めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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任意保険

杖立温泉(筑後川源流 杖立川)

 

#車屋の担当さんと話す。デザインが好きでずっとマ◎ダに乗ってきたが、今度は◎ツダでも小さい車で、馬力がある車に乗りたいが、マツ◎には適当な大きさのがない。他社も考えていた。

 

話は今度この車(アクセラ)を息子にやるつもりなので、次のをどうしようかという話で。ナスキは5万でも10万のポンコツでもいいからくれないなら自分で買う、と宣言していた。まあ、もう22歳だからなあ。乗りたいかもなあ。そんなお年頃なんですね。

 

 

「5万、10万のポンコツはともかく、任意保険には必ず入るよう言っておいたほうがいいでうすよ。実は・・・・自分は大きな事故をしたことがありましてね。正直、死なせちゃったと思いました。相手は意識不明の重体で、ICUに1ヶ月はいってたんです。毎日病院へお見舞いに行きました。いつ死ぬか分からない状況だったので、向こうの家族、親せきがみんな居て・・・激しくなじられました。僕は19歳で、マツダに入ったばっかりだったんです。新聞にも載ってあることないこと書かれてしまって・・・。世の中ってそういう風になってるんだ、って思いました。母と私と二人きりの家族だったので、母には苦労をかけました。家庭裁判所への出頭命令が来たんですが、行ってみると髪を赤く染めたヤンキーがいっぱいいて、「ぼく、違うんだけどなあ・・・・」って思いました。若くてやんちゃな頃でね。スピード違反とかもしてて、事故で一発で免許取り消しです。

 

 

でも、何とか仕事はクビにならずに済みました。車の営業の仕事だったので、自分で車が運転出来ないと肩身が狭かったです。運転免許の試験場で受験するだけでも良かったんですが、ちゃんと自動車学校から行って、魂を入れ直しました。でも、任意保険に入っていたので助かりました。ICUが一ヶ月で500万でしたからね。今ならもっとでしょう。先方のご家族も僕が任意保険に入っているというとほっとした様子で、空気も少しは緩みました。とりあえずお金の心配があるのとないのとでは大違いですからねえ。

 

僕は昔、毎日お見舞いに行きましたが、今だったらもうそこまでしないほうがいいですよ。1回は菓子折り持ってお見舞いに行かないといけませんが、後は保険屋に任せております、で電話は切って構わないと思います。」

 

 

 

 

 

 

ナ「ふーーーーん・・・・」  辛かっただろうなあ。自分が悪かったとはいえ。

 

 

 「ええ。今でも頭のここのところが真っ白白の白髪なんです。その時からもう黒い髪は生えませんでした。」本人もだろうけど、私にはお母さんの立場が思いやられて、更に母親を見て辛かった彼の心細い気持ちが私の心に流れ込んできて、涙が出そうだった。(我慢したけど)(最近はナスカさんも年を取ってね。涙もろくなってきたのよ)

 

 

ナ「貴重なお話を話してくださって、本当にどうもありがとう。それにしても。ま◎だって、なかなかいい会社だなあ。懐が深いところがある。そこで切られてしまってもおかしくはなかったですよ。誰かがあなたに、チャンスをやろうと思ってくれたのよ。」

 

その状況では辞職に追い込まれる場合もあった

 

と思う。まだ新人で何も仕事は出来ない上に、車屋の営業で運転が出来なければ話にならないだろう。人事と上司の胸先三寸で決まることもある。彼にチャンスをやろうと思うほどの何かを、彼が持っていたとしか思えない。私は人事を扱うことがあるのでその空気感が少し理解できた。人智を超えた存在の意思を感じる。

 

 

 

・・・・次もマ◎ダにするかぁ。

 

 

 

#職場にて。

Z氏「Aさんが、ですねえ・・・交通事故を起こして。双方けがはなかったようですが、先方の修理費その他借金がかさんで、任意保険に入っていなかったらしくて・・・。怪しいところからも借りてしまい、もうやっていけない、お水に行きたい、って辞表を持ってきましたよ。」

 

うーーーーーん!   しかし、なんで任意保険の話ばかり今日なの?

 

 

 

#仕事的には繁忙期に入り、6月はキチガイみたいに忙しい。少し疲れたと思っていたら持病の大腸憩室症が出て腹痛で1週間死んだ。薬が手に入りやすい環境に生きて本当にありがたい。でもそろそろ仕事、何とかしたいなあ。私、いくつまで働くんだろうか?サラリーマンしている同期は来年、定年らしいんだけど。

 

 

 

 

 

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吉野桜@オカルト風味

 

#学生時代の友人たち(私ナ、とO子、P子 Q子)と吉野まで一泊二日で花見に出かけた。久しぶりに1日2万5千歩歩き、翌日はひどい筋肉痛に。でもまだ何とかみんなについて歩けるな。毎日この調子で歩いたらどんなに痩せることだろう。

 

 

花見を終え、帰りは伊丹17時だったので、13時前発特急で天王寺へ戻る。14時過ぎに天王寺着、1時間ほどあったので四天王寺、通天閣など周辺をぶらぶら散歩す。駅に戻ろうと歩いていると、今となってはどこをどう歩いたか分からないが、通天閣とあべのハルカスの道程で、人道用のトンネルに入ることになった。鉄道架線を東西に抜けるためのものだと思われる。細い入り口は人通りも少なく薄暗く 何となく入りたくなかったが引き返すほど時間も意味もなかった。

 

トンネルに入ると向こうから、猿の吠えるような声がする。ホウホウ、という薄気味悪い大きな声は数頭いる感じで こんな町中に猿なんかいるんだろうか?天王寺動物園が近くにあったから逃げ出したのかなと思いつつ、喋りに興じていた私たちは少し緊張して誰ともなく静かになった。

 

向こうから来た一団は猿ではなく、高校生だった。何人くらい居たかよく覚えていない。たぶん10名前後ではなかっただろうか。私たち4人は2列になって歩き、一団とすれ違った。前列に5,6人、中に3,4人、後列に3,4人、かな。猿の吠え声と思ったのは中の列の一人がホウ、ホウと猿そっくりの声で叫んでいるのである、すれ違いざまその少年と私は目が合い、不思議な狂気を感じ取った。例えるならばどっどどどどう、の風の又三郎のような。後列の3人は少し申し訳なさそうな表情を見せ、一団は去った。

 

暗いトンネルを抜け明るいところに出て、

Q子「今の ちょっと危険を感じたわね? 私、何かあったら踵を返してすぐ逃げようと心の準備をしていたわ?」

 ナ「えーーっ!? 私は、何かあったらやっつけてやろうと、戦闘態勢だったのにー・・・」 分からないものだ。

17,8の少年たち十数名を相手に戦っても考えてみれば勝ち目はないだろう、落ち着いて考えればそうなのだが、その時私は少しも退く気はなかった。

O子「O型(血液型)ってそうなんだよね、何かあったら戦闘態勢!ってなるの、血だよ。」(笑) そうかな。

 

 

 

#Q子と二人で歩いているとき、マンホールの話になる。

Q子「マンホールって街によってふたの絵柄が違うんだよ。私、よく写メるんだ。」

 ナ「私も! 私も!! そういえば最近、どっかで面白いの撮ったな? どこだっけ?(・・・と携帯の画像を探して)あ、そうそう、これ! こないだ私、出雲に行ったのよ、それでナンチャラ灯台・・・・日御碕、だ、そこと美保の関灯台に行ったんだけどね、日御碕の方かな、・・・ この絵は、、、」と見せると

Q子「えっ いつ行ったの? 私も同じの撮った! 待ち受けにしてた!」 えっ。

 ナ「えーっと、、、あ、ここに日付がある、3月20日だ。」

Q子「えっ 20日?? 私19日に行ったの、日御碕灯台・・・」

昨夜のおしゃべりの中で、そういえば夫の父親の納骨に出雲に行った、と話していたっけ・・・でも なんだか・・・ぞぞぞっとした。もう一足ですれ違ってしまったが、ばったり出くわしてもちっともおかしくないタイミングだった。もし番号札を渡していたら、彼女と私は数十番くらいしか違わないだろう。

 

日本には1億人いる。その中で示し合わせたわけでもないのにあんな鄙びた、出雲を訪れる人誰もが観光に行くというわけでもない灯台に、一日違いで私たちは訪ね、同じマンホールの写真を撮った。しかも、年に1回連絡を取るかどうかの間柄で、そのことが判明したというのもすごい。

 ナ「美保関灯台も行ったの?」

Q子「そっちは美保関神社にしたわ、私神社大好きだから。」

 ふーーーーーーん・・・・・

 

 

 ナ「なんだか特別な縁を感じるな・・・」

 実は私は同期同士の、Q子とKのキューピット役をやっているので、(KとQ子の話になって、Q子は相当いい子で頭もいい。あんたが相手じゃ彼女が何と言うかは分からないが、カップルとしては非常にいいと言ったと思う)実際 彼らは非常にいいカップルになった。しかし、Q子夫婦だけでなく、私も、P子も、O子も、どれも楽な人生ではなかった。大学を出たときは前途洋々、未来はどこまでも楽しく好意的に迎えてくれたと思っていた。食っていく、というのは何と大変なことだろう。人生とは、なんと難儀なものだろうか。

 

そういえば、さる日記友達も一日違いで吉野に出かけている。縁とはそういうものなのか。

 

 

#その、Q子は、最近高野山に友人と出かけたそうな。

 

Q子「不思議な体験をしたのよ。宿坊に泊まったのね。階段の途中に廊下があって、廊下沿いにいくつか部屋があるの。廊下の一番階段側の部屋で、障子を開けるとすぐ階段を上がり降りする人が見えるのよ。隣も同じような感じの女性二人連れだったの。友達と夜寝る段になって、明かりを消して布団に入って、疲れていたのですぐ寝付いたんだけど、一晩中階段を上り下りする音がドンドン、ドンドン、って聞こえるの、すごい音なのよ。五月蠅くて五月蠅くて。奥の部屋の人が階段下のトイレに行くんだろうと思ったんだけど、あんまり五月蠅くて『ちょっと静かにしてください!』って怒鳴ろうかと思ったくらい。

 

 朝目が覚めて友達と、『昨夜五月蠅かったねえ!まあトイレに行くなら仕方ないけど、すごい人数だったよね、』って話になって、隣の部屋の女性二人連れとも顔を合わせたので『夕べ足音が五月蠅かったですね』って話したら、向こうは『え?すごく五月蠅かったけど足音は全然しなかった、人の話し声がすごく五月蠅かった』って言うの。お互い顔を見合わせて 『え?』ってなってね、私あれ、と思って廊下に出て奥の部屋を見たら、奥には二人部屋が3つしかないの。でも夕べ聴いた足音は何十人って感じなのよ。一晩中だもん。なんだかゾーッとした。」

 

ふーーーーーーん・・・・

 

 

#私たちが泊まった吉野の宿は、秀吉が利休に命じて作らせたという古い宿で、古い金屏風や立派な道具が飾ってあった。間際に決めたのでどこも宿はいっぱいで殆ど選択の余地はなかった。部屋は十二分に広かったが外廊下にトイレ臭がして、なんだか出そうな宿だな・・・と内心びびりん(笑) しかし、吉野の中に泊まるべき、という旅慣れたQ子の判断は的確で、翌日私たちが下山を終えた頃数十メートルに及ぶロープウェーとバスに乗る人の列が出来ていた。天気はぎりぎり持った感じで帰る頃青空が広がった。

 

Q子がここの柿の葉寿司は美味しい、というので、列車の中での昼食に柿の葉寿司を買った。柿の葉寿司は確かに非常に美味しく、何度も食べたことあるのに今までで一番美味しい。美しい桜と、山ほどのおしゃべり、柿の葉寿司と想い出の圧倒的な重みを引きずって週明けの仕事をこなしている。旅の話は今後も、少しずつ出てくると思う。

 

 

 


 

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朝霧の向こうに

 

#3月、連休で出雲に出かけた。名もない浦にて。どうして絶景本にこの風景が載らないかな、と思うくらい美しい。海に朝霧が出ていて、その向こうに風車が穏やかに回っている。思わず車を止めた。絶景かな。

 

綺麗だなあ・・・。生涯独身だったり、子供がいなかったりしたら、こんな津々浦々の絶景を回る旅もいいなあ。本当はいつまでもいつまでも、ここに座ってこの光景を見ていたい。こんなとき、ただのiphoneのカメラではなく、一眼レフのデジタルカメラ欲しいなと思うのだけど重くて買う気にならない。このサイズの風車では、ダイアリーを携帯画面で見ると点だろうなぁ。

 

最近の私は、絶景を探して回っている。感動と言う言葉は好きじゃないけど、絶景の中には永遠がある。

 

 

 

 

#学生時代同期だった坊や(!!)と話す機会あり。最近事業を整理して新たにおしゃれなグッズの店を出店したという。行ってみたが、面白いことは面白いが、さてこれがこの地方都市で売れるかな、この値段で、と思う。しかしおしゃれはおしゃれ。彼曰く、「自分は今回の商品仕入れには一切口を出していなんだ。こんなのが売れるととても思えないものが売れるんだよ。」

 

うーむ。家の近くの30年来のスーパーが、最近リフォームして大掛かりに手を入れ、新装オープンした。商品の品ぞろえもかなり模様替えになっている。以前はこんなもの誰も買わないのに誰が商品の入れ替えをしているんだろうと思っていたが、無駄なものはかなり消えた。ここは地元の大手デパート系列なので、スーパーの商品を仕入れるのに頭の固い年配の男がやってもダメなんだけどなと思っていた。ダイエーも「何でもある、でも欲しいものがない」なんて言われていたのはそこらへんが影響していたのだ。世の中の主流についていけてなかったのだ。

 

件の同期の男の話に、自分たちがだんだん社会の年配のほうになってきていることを痛感する。

 

 

 

 

#先日街に出かけて(繁華街に行った、ほどの意、方言)献血をしてきたナスキが、ビックリすることを言い出す。うちは姑、夫、ナスキ、ナスコともB型、私だけがO型という恐ろしい構成なのであった。この日までは。

 

ナスキ「僕、血液型O型なんだって。」  ナ「えっ? そんなわけないでしょ、B型だよ? あんた。生まれたとき調べてくれたんだったと思うけど。」

ナスキ「それが、違うんだよ。今日献血をするために検査したら、『あ、あなたO型ですね、』って言われたもん。」

えーっ えーっ えーーっ?

 

今時そんなことがあろうか? 実は私も生まれたとき、「お祝いに調べてあげましょう」ということで父の同僚が調べてくれて、「AB型ですね」と言われた。父はOで母はAだからABが出るわけもなく、母はすぐにおかしいと思ったらしいが、自分は思い当たる節はないので多分間違いだろうと思ったという。父は赤ん坊が生まれたのが嬉しくて、そこまで頭が回らなかった(←おバカ)らしい。「そうか、そうか、」と喜んだという。

 

母は、「あの時問題のある赤ん坊で、もしも血液交換をしないといけなかったら、死んでたよ。運が良かった」と言っていたけれど、あの当時ならともかく今時、そんなこと間違えるなんて事あるだろうか?? うーむ。私が医療をあまり信用していないのはこの辺のことがある。人のやることは分からない。間違いが、あるのである。

 

気の毒なのはナスキだった。視野が狭く一本気な子なので、「あんた、B型だもんね。」で片づけられていたのだ。あれって一体・・・。やっぱり血液型診断学って、全くガセなのか?と思う。

 

 

 

 

 

 

#夫の両親が両方とも86歳。実家の母も86歳。何とかぎりぎりで自立した生活をしているが、いずれも虚弱老人になって久しい。義父は何もしなくても自然骨折(背中の圧迫骨折)が起こるほど骨粗鬆症が進んでいる。今2度目の圧迫骨折で入院中。今週退院する。義母は股関節と膝関節の人工関節置換の手術を受けている。心臓も心筋梗塞があって2度ほど血栓を溶かしたりステント(血管の狭くなっているところにコイル状のものを入れる)を入れたりしている。他にみる人が近くに居ないので、近くに居る身内(300キロも離れているのに)としてちょくちょく私たちが呼ばれる。先日は九州では珍しい雪の日に行くことになり、九州自動車道が八女から先不通ということで下道、国道3号をとぼとぼ北上した。

 

 

舅姑の家の中は私と夫から見れば捨てなければならないものだらけで、しかし捨てると怒るので出来ることは殆ど無い。アドバイスしても言うことはまったく聞かないし、もうどうしようもない。置かれているのは絶対に開くことはないであろう「源氏物語」全集とか、ドイツ文学の何チャラ? 見るだけでもうんざりする。要りもしないバケツが庭に5個も6個も置いてあって、更に新しいバケツを買うという。意味が分からない。

 

 

相当弱っているけれど自覚がないし、自分たちがあと何年かしか生きないかもしれないとは考えていない。我儘でプライドが高く、介護保険や業者の配食等使って要領良く生きていくことは出来そうにない。弱り切って動けなくなるまで放置プレイ・・・・?

 

義父母は、実は博多に末っ子の娘がいて、役に立つこともあるのだけれど、ステッキや箒で親を殴ることもあって、酷い青あざになっていたりする。しかし、虐待の子が親と暮らしたがるのと同じで両親は「やっぱり自分の子はかわいい」と言う。私には良く分からないなあ。私なら親を殴るような子は家には入れないけど。義母は耳が遠いので補聴器を勧めるけれど、私が勧めても嫌がってつける気はない。でも電話では意思の疎通が図れないくらい聞こえなくなっている。そのうち自分もこうなるのかと思うと暗澹たる気分になる。

 

 

やむなく300キロの道のりを見に行く。仕方ないから行くのだけれど、博多まで出かけてまっすぐ帰るのでは行く元気が出ない。ちうことで最近我が家は福岡近郊の遠出が増えた。今週の日曜日も博多まで日帰りする。

 

 

 

#桜だけは今年もハイライトで見に行こうと思っている。私自身、自由に行きたいところへ遠出が出来るのって、たぶんあと10年くらいなんだろうからなあ。今年は吉野の予定。

 

近頃の私の旅はテーマに沿って行くようにしている。テーマは、橋、灯台、神社、ロープウェイ、そして桜・・・、かな。

 

 

#もたもたしているうちに3月の日記は飛んでしまい、はや4月も5日。

 

 

 

 

 

 

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僧帽筋のゆくえ

 

ジグゾーパズル「イレーヌ嬢の肖像」

 

#ヨガは、続いている。ハード系じゃないヨガ(ストレッチとか、リラックス系)先生が面白いのだ。年は70前くらい。南方系の濃いめの顔立ち。ある日、先生が「首をすっきり立ててながーく、ながーく、そう! そこは、ゾウボウキンという筋肉があってね、・・・」 私は回転の良い方でない上に少し年を取ってきたので、一瞬 何のことか分からないほど年を取ったかと焦った。・・・・違うよ、自分。

彼女が言いたいのは「僧帽筋」だよきっと。

 

帰宅して、どうしてそんな間違いが起きたか夫と話す。

 夫 「僧帽筋、の 僧 のつくりは、憎む、という字の作りと同じだろう?あれは音読みだと愛憎などと、ゾウと読むからじゃないか?」

ああ。なるほど。

ナスキ「増、も 贈 もゾウだよ。」  

・・・・・なるほど。

 

それからこんなこともあった。「さあ、腕を伸ばして指先までいっぱいに開いて。胸の筋肉は指先から始まっているんだよ。」 えっ!? うそっ!? そんな馬鹿な! もう頭が驚きでいっぱいになって、体が何をやってるかわからなくなる。

 

教室は大学病院のお膝元にあり、お客には医療系のスタッフが沢山いると思う。みんな変だと思いながら、黙っているのだろう。昔、高校の時の体育の先生が授業の時、「お前たちは受験勉強で疲れているだろうから、」とおっしゃって自分で保健体育の教科書を読んでくれた。ところが、どうしてだか忘れたがその章には「凝固」という言葉が何度も出てきたが、先生がギョウコをギコ、と読むので、聞いていていたたまれなかった。しかしやっぱり、誰も言わなかった。もう亡くなってるかなと思うが、今でも私はあのギコちない空気のギコを忘れない。

 

夫「あんたも、結構しょっ中変なことばっかり言ってるよ。」

・・・・そうなのだ。確かに私は変なことばっかり言ってる。しかし、自覚はある。自覚があれば、罪一等減じられないか?

 

 

 

#その、ヨガで。いろんなポーズを取った後、最後の方で瞑想とか死のポーズと巷で呼ばれるのをやる。(教室では死の、などとは言わない)せっかく貴重な教室の時間をただ横になって目をつぶり、じっとしているだけなんて勿体ない、と思っていた。中には鼾をかいてほんとに寝た人もいた。(お疲れですね?)そこまで来るとやめて教室を出、帰ってしまう人も時々いる。

 

しかし、このポーズは一連の教室のポーズの中で最も意味がある。

 

 

どこが、というと、5分ほどの瞑想のあと、先生が「では目を覚まして、手の親指を中に入れて握りなさい。はい、今度はいっぱいに開きます。」とおっしゃったとき、私の手は力が入らずに握ることができない。あれ? どうして?

 

何回かやるうちに、ああ、これは副交感神経優位の状態になってるんだと気が付いた。気が付くと、意識してその状態に持っていけるようになった。

 

人間は交感神経と副交感神経とあって、仕事中の戦闘モードは交感神経、家でリラックスモード、特に寝る前みたいな時は副交感神経支配になる。これらは普通意識して切り替えることは難しいと思っていた。どちらかと言えば、戦闘モードに切り替えることは可能だが、リラックスモードは意識しては難しい。だから眠れない人がいるのだ。しかし、瞑想をやるようになってこの方、私は自分で意識してこの状態を作れるようになっている。瞑想とはどういうことか、頭を無にするとはどういうことかを強く意識した出来事だった。

 

 

 

#イレーヌ嬢の肖像。昔から好きな絵で、ジグゾーパズルを見たとき久々にやってみたいと思った。

 

アップにあたって検索してみたが、(ここ)本物のイレーヌ嬢はユダヤ人で2次大戦に巻き込まれ九死に一生を得た後、波乱の生涯を91歳まで生きた、とある。本物は現在スイスにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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