吉野桜@オカルト風味

 

#学生時代の友人たち(私ナ、とO子、P子 Q子)と吉野まで一泊二日で花見に出かけた。久しぶりに1日2万5千歩歩き、翌日はひどい筋肉痛に。でもまだ何とかみんなについて歩けるな。毎日この調子で歩いたらどんなに痩せることだろう。

 

 

花見を終え、帰りは伊丹17時だったので、13時前発特急で天王寺へ戻る。14時過ぎに天王寺着、1時間ほどあったので四天王寺、通天閣など周辺をぶらぶら散歩す。駅に戻ろうと歩いていると、今となってはどこをどう歩いたか分からないが、通天閣とあべのハルカスの道程で、人道用のトンネルに入ることになった。鉄道架線を東西に抜けるためのものだと思われる。細い入り口は人通りも少なく薄暗く 何となく入りたくなかったが引き返すほど時間も意味もなかった。

 

トンネルに入ると向こうから、猿の吠えるような声がする。ホウホウ、という薄気味悪い大きな声は数頭いる感じで こんな町中に猿なんかいるんだろうか?天王寺動物園が近くにあったから逃げ出したのかなと思いつつ、喋りに興じていた私たちは少し緊張して誰ともなく静かになった。

 

向こうから来た一団は猿ではなく、高校生だった。何人くらい居たかよく覚えていない。たぶん10名前後ではなかっただろうか。私たち4人は2列になって歩き、一団とすれ違った。前列に5,6人、中に3,4人、後列に3,4人、かな。猿の吠え声と思ったのは中の列の一人がホウ、ホウと猿そっくりの声で叫んでいるのである、すれ違いざまその少年と私は目が合い、不思議な狂気を感じ取った。例えるならばどっどどどどう、の風の又三郎のような。後列の3人は少し申し訳なさそうな表情を見せ、一団は去った。

 

暗いトンネルを抜け明るいところに出て、

Q子「今の ちょっと危険を感じたわね? 私、何かあったら踵を返してすぐ逃げようと心の準備をしていたわ?」

 ナ「えーーっ!? 私は、何かあったらやっつけてやろうと、戦闘態勢だったのにー・・・」 分からないものだ。

17,8の少年たち十数名を相手に戦っても考えてみれば勝ち目はないだろう、落ち着いて考えればそうなのだが、その時私は少しも退く気はなかった。

O子「O型(血液型)ってそうなんだよね、何かあったら戦闘態勢!ってなるの、血だよ。」(笑) そうかな。

 

 

 

#Q子と二人で歩いているとき、マンホールの話になる。

Q子「マンホールって街によってふたの絵柄が違うんだよ。私、よく写メるんだ。」

 ナ「私も! 私も!! そういえば最近、どっかで面白いの撮ったな? どこだっけ?(・・・と携帯の画像を探して)あ、そうそう、これ! こないだ私、出雲に行ったのよ、それでナンチャラ灯台・・・・日御碕、だ、そこと美保の関灯台に行ったんだけどね、日御碕の方かな、・・・ この絵は、、、」と見せると

Q子「えっ いつ行ったの? 私も同じの撮った! 待ち受けにしてた!」 えっ。

 ナ「えーっと、、、あ、ここに日付がある、3月20日だ。」

Q子「えっ 20日?? 私19日に行ったの、日御碕灯台・・・」

昨夜のおしゃべりの中で、そういえば夫の父親の納骨に出雲に行った、と話していたっけ・・・でも なんだか・・・ぞぞぞっとした。もう一足ですれ違ってしまったが、ばったり出くわしてもちっともおかしくないタイミングだった。もし番号札を渡していたら、彼女と私は数十番くらいしか違わないだろう。

 

日本には1億人いる。その中で示し合わせたわけでもないのにあんな鄙びた、出雲を訪れる人誰もが観光に行くというわけでもない灯台に、一日違いで私たちは訪ね、同じマンホールの写真を撮った。しかも、年に1回連絡を取るかどうかの間柄で、そのことが判明したというのもすごい。

 ナ「美保関灯台も行ったの?」

Q子「そっちは美保関神社にしたわ、私神社大好きだから。」

 ふーーーーーーん・・・・・

 

 

 ナ「なんだか特別な縁を感じるな・・・」

 実は私は同期同士の、Q子とKのキューピット役をやっているので、(KとQ子の話になって、Q子は相当いい子で頭もいい。あんたが相手じゃ彼女が何と言うかは分からないが、カップルとしては非常にいいと言ったと思う)実際 彼らは非常にいいカップルになった。しかし、Q子夫婦だけでなく、私も、P子も、O子も、どれも楽な人生ではなかった。大学を出たときは前途洋々、未来はどこまでも楽しく好意的に迎えてくれたと思っていた。食っていく、というのは何と大変なことだろう。人生とは、なんと難儀なものだろうか。

 

そういえば、さる日記友達も一日違いで吉野に出かけている。縁とはそういうものなのか。

 

 

#その、Q子は、最近高野山に友人と出かけたそうな。

 

Q子「不思議な体験をしたのよ。宿坊に泊まったのね。階段の途中に廊下があって、廊下沿いにいくつか部屋があるの。廊下の一番階段側の部屋で、障子を開けるとすぐ階段を上がり降りする人が見えるのよ。隣も同じような感じの女性二人連れだったの。友達と夜寝る段になって、明かりを消して布団に入って、疲れていたのですぐ寝付いたんだけど、一晩中階段を上り下りする音がドンドン、ドンドン、って聞こえるの、すごい音なのよ。五月蠅くて五月蠅くて。奥の部屋の人が階段下のトイレに行くんだろうと思ったんだけど、あんまり五月蠅くて『ちょっと静かにしてください!』って怒鳴ろうかと思ったくらい。

 

 朝目が覚めて友達と、『昨夜五月蠅かったねえ!まあトイレに行くなら仕方ないけど、すごい人数だったよね、』って話になって、隣の部屋の女性二人連れとも顔を合わせたので『夕べ足音が五月蠅かったですね』って話したら、向こうは『え?すごく五月蠅かったけど足音は全然しなかった、人の話し声がすごく五月蠅かった』って言うの。お互い顔を見合わせて 『え?』ってなってね、私あれ、と思って廊下に出て奥の部屋を見たら、奥には二人部屋が3つしかないの。でも夕べ聴いた足音は何十人って感じなのよ。一晩中だもん。なんだかゾーッとした。」

 

ふーーーーーーん・・・・

 

 

#私たちが泊まった吉野の宿は、秀吉が利休に命じて作らせたという古い宿で、古い金屏風や立派な道具が飾ってあった。間際に決めたのでどこも宿はいっぱいで殆ど選択の余地はなかった。部屋は十二分に広かったが外廊下にトイレ臭がして、なんだか出そうな宿だな・・・と内心びびりん(笑) しかし、吉野の中に泊まるべき、という旅慣れたQ子の判断は的確で、翌日私たちが下山を終えた頃数十メートルに及ぶロープウェーとバスに乗る人の列が出来ていた。天気はぎりぎり持った感じで帰る頃青空が広がった。

 

Q子がここの柿の葉寿司は美味しい、というので、列車の中での昼食に柿の葉寿司を買った。柿の葉寿司は確かに非常に美味しく、何度も食べたことあるのに今までで一番美味しい。美しい桜と、山ほどのおしゃべり、柿の葉寿司と想い出の圧倒的な重みを引きずって週明けの仕事をこなしている。旅の話は今後も、少しずつ出てくると思う。

 

 

 


 

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朝霧の向こうに

 

#3月、連休で出雲に出かけた。名もない浦にて。どうして絶景本にこの風景が載らないかな、と思うくらい美しい。海に朝霧が出ていて、その向こうに風車が穏やかに回っている。思わず車を止めた。絶景かな。

 

綺麗だなあ・・・。生涯独身だったり、子供がいなかったりしたら、こんな津々浦々の絶景を回る旅もいいなあ。本当はいつまでもいつまでも、ここに座ってこの光景を見ていたい。こんなとき、ただのiphoneのカメラではなく、一眼レフのデジタルカメラ欲しいなと思うのだけど重くて買う気にならない。このサイズの風車では、ダイアリーを携帯画面で見ると点だろうなぁ。

 

最近の私は、絶景を探して回っている。感動と言う言葉は好きじゃないけど、絶景の中には永遠がある。

 

 

 

 

#学生時代同期だった坊や(!!)と話す機会あり。最近事業を整理して新たにおしゃれなグッズの店を出店したという。行ってみたが、面白いことは面白いが、さてこれがこの地方都市で売れるかな、この値段で、と思う。しかしおしゃれはおしゃれ。彼曰く、「自分は今回の商品仕入れには一切口を出していなんだ。こんなのが売れるととても思えないものが売れるんだよ。」

 

うーむ。家の近くの30年来のスーパーが、最近リフォームして大掛かりに手を入れ、新装オープンした。商品の品ぞろえもかなり模様替えになっている。以前はこんなもの誰も買わないのに誰が商品の入れ替えをしているんだろうと思っていたが、無駄なものはかなり消えた。ここは地元の大手デパート系列なので、スーパーの商品を仕入れるのに頭の固い年配の男がやってもダメなんだけどなと思っていた。ダイエーも「何でもある、でも欲しいものがない」なんて言われていたのはそこらへんが影響していたのだ。世の中の主流についていけてなかったのだ。

 

件の同期の男の話に、自分たちがだんだん社会の年配のほうになってきていることを痛感する。

 

 

 

 

#先日街に出かけて(繁華街に行った、ほどの意、方言)献血をしてきたナスキが、ビックリすることを言い出す。うちは姑、夫、ナスキ、ナスコともB型、私だけがO型という恐ろしい構成なのであった。この日までは。

 

ナスキ「僕、血液型O型なんだって。」  ナ「えっ? そんなわけないでしょ、B型だよ? あんた。生まれたとき調べてくれたんだったと思うけど。」

ナスキ「それが、違うんだよ。今日献血をするために検査したら、『あ、あなたO型ですね、』って言われたもん。」

えーっ えーっ えーーっ?

 

今時そんなことがあろうか? 実は私も生まれたとき、「お祝いに調べてあげましょう」ということで父の同僚が調べてくれて、「AB型ですね」と言われた。父はOで母はAだからABが出るわけもなく、母はすぐにおかしいと思ったらしいが、自分は思い当たる節はないので多分間違いだろうと思ったという。父は赤ん坊が生まれたのが嬉しくて、そこまで頭が回らなかった(←おバカ)らしい。「そうか、そうか、」と喜んだという。

 

母は、「あの時問題のある赤ん坊で、もしも血液交換をしないといけなかったら、死んでたよ。運が良かった」と言っていたけれど、あの当時ならともかく今時、そんなこと間違えるなんて事あるだろうか?? うーむ。私が医療をあまり信用していないのはこの辺のことがある。人のやることは分からない。間違いが、あるのである。

 

気の毒なのはナスキだった。視野が狭く一本気な子なので、「あんた、B型だもんね。」で片づけられていたのだ。あれって一体・・・。やっぱり血液型診断学って、全くガセなのか?と思う。

 

 

 

 

 

 

#夫の両親が両方とも86歳。実家の母も86歳。何とかぎりぎりで自立した生活をしているが、いずれも虚弱老人になって久しい。義父は何もしなくても自然骨折(背中の圧迫骨折)が起こるほど骨粗鬆症が進んでいる。今2度目の圧迫骨折で入院中。今週退院する。義母は股関節と膝関節の人工関節置換の手術を受けている。心臓も心筋梗塞があって2度ほど血栓を溶かしたりステント(血管の狭くなっているところにコイル状のものを入れる)を入れたりしている。他にみる人が近くに居ないので、近くに居る身内(300キロも離れているのに)としてちょくちょく私たちが呼ばれる。先日は九州では珍しい雪の日に行くことになり、九州自動車道が八女から先不通ということで下道、国道3号をとぼとぼ北上した。

 

 

舅姑の家の中は私と夫から見れば捨てなければならないものだらけで、しかし捨てると怒るので出来ることは殆ど無い。アドバイスしても言うことはまったく聞かないし、もうどうしようもない。置かれているのは絶対に開くことはないであろう「源氏物語」全集とか、ドイツ文学の何チャラ? 見るだけでもうんざりする。要りもしないバケツが庭に5個も6個も置いてあって、更に新しいバケツを買うという。意味が分からない。

 

 

相当弱っているけれど自覚がないし、自分たちがあと何年かしか生きないかもしれないとは考えていない。我儘でプライドが高く、介護保険や業者の配食等使って要領良く生きていくことは出来そうにない。弱り切って動けなくなるまで放置プレイ・・・・?

 

義父母は、実は博多に末っ子の娘がいて、役に立つこともあるのだけれど、ステッキや箒で親を殴ることもあって、酷い青あざになっていたりする。しかし、虐待の子が親と暮らしたがるのと同じで両親は「やっぱり自分の子はかわいい」と言う。私には良く分からないなあ。私なら親を殴るような子は家には入れないけど。義母は耳が遠いので補聴器を勧めるけれど、私が勧めても嫌がってつける気はない。でも電話では意思の疎通が図れないくらい聞こえなくなっている。そのうち自分もこうなるのかと思うと暗澹たる気分になる。

 

 

やむなく300キロの道のりを見に行く。仕方ないから行くのだけれど、博多まで出かけてまっすぐ帰るのでは行く元気が出ない。ちうことで最近我が家は福岡近郊の遠出が増えた。今週の日曜日も博多まで日帰りする。

 

 

 

#桜だけは今年もハイライトで見に行こうと思っている。私自身、自由に行きたいところへ遠出が出来るのって、たぶんあと10年くらいなんだろうからなあ。今年は吉野の予定。

 

近頃の私の旅はテーマに沿って行くようにしている。テーマは、橋、灯台、神社、ロープウェイ、そして桜・・・、かな。

 

 

#もたもたしているうちに3月の日記は飛んでしまい、はや4月も5日。

 

 

 

 

 

 

| - | 16:10 | comments(0) | - | pookmark |
僧帽筋のゆくえ

 

ジグゾーパズル「イレーヌ嬢の肖像」

 

#ヨガは、続いている。ハード系じゃないヨガ(ストレッチとか、リラックス系)先生が面白いのだ。年は70前くらい。南方系の濃いめの顔立ち。ある日、先生が「首をすっきり立ててながーく、ながーく、そう! そこは、ゾウボウキンという筋肉があってね、・・・」 私は回転の良い方でない上に少し年を取ってきたので、一瞬 何のことか分からないほど年を取ったかと焦った。・・・・違うよ、自分。

彼女が言いたいのは「僧帽筋」だよきっと。

 

帰宅して、どうしてそんな間違いが起きたか夫と話す。

 夫 「僧帽筋、の 僧 のつくりは、憎む、という字の作りと同じだろう?あれは音読みだと愛憎などと、ゾウと読むからじゃないか?」

ああ。なるほど。

ナスキ「増、も 贈 もゾウだよ。」  

・・・・・なるほど。

 

それからこんなこともあった。「さあ、腕を伸ばして指先までいっぱいに開いて。胸の筋肉は指先から始まっているんだよ。」 えっ!? うそっ!? そんな馬鹿な! もう頭が驚きでいっぱいになって、体が何をやってるかわからなくなる。

 

教室は大学病院のお膝元にあり、お客には医療系のスタッフが沢山いると思う。みんな変だと思いながら、黙っているのだろう。昔、高校の時の体育の先生が授業の時、「お前たちは受験勉強で疲れているだろうから、」とおっしゃって自分で保健体育の教科書を読んでくれた。ところが、どうしてだか忘れたがその章には「凝固」という言葉が何度も出てきたが、先生がギョウコをギコ、と読むので、聞いていていたたまれなかった。しかしやっぱり、誰も言わなかった。もう亡くなってるかなと思うが、今でも私はあのギコちない空気のギコを忘れない。

 

夫「あんたも、結構しょっ中変なことばっかり言ってるよ。」

・・・・そうなのだ。確かに私は変なことばっかり言ってる。しかし、自覚はある。自覚があれば、罪一等減じられないか?

 

 

 

#その、ヨガで。いろんなポーズを取った後、最後の方で瞑想とか死のポーズと巷で呼ばれるのをやる。(教室では死の、などとは言わない)せっかく貴重な教室の時間をただ横になって目をつぶり、じっとしているだけなんて勿体ない、と思っていた。中には鼾をかいてほんとに寝た人もいた。(お疲れですね?)そこまで来るとやめて教室を出、帰ってしまう人も時々いる。

 

しかし、このポーズは一連の教室のポーズの中で最も意味がある。

 

 

どこが、というと、5分ほどの瞑想のあと、先生が「では目を覚まして、手の親指を中に入れて握りなさい。はい、今度はいっぱいに開きます。」とおっしゃったとき、私の手は力が入らずに握ることができない。あれ? どうして?

 

何回かやるうちに、ああ、これは副交感神経優位の状態になってるんだと気が付いた。気が付くと、意識してその状態に持っていけるようになった。

 

人間は交感神経と副交感神経とあって、仕事中の戦闘モードは交感神経、家でリラックスモード、特に寝る前みたいな時は副交感神経支配になる。これらは普通意識して切り替えることは難しいと思っていた。どちらかと言えば、戦闘モードに切り替えることは可能だが、リラックスモードは意識しては難しい。だから眠れない人がいるのだ。しかし、瞑想をやるようになってこの方、私は自分で意識してこの状態を作れるようになっている。瞑想とはどういうことか、頭を無にするとはどういうことかを強く意識した出来事だった。

 

 

 

#イレーヌ嬢の肖像。昔から好きな絵で、ジグゾーパズルを見たとき久々にやってみたいと思った。

 

アップにあたって検索してみたが、(ここ)本物のイレーヌ嬢はユダヤ人で2次大戦に巻き込まれ九死に一生を得た後、波乱の生涯を91歳まで生きた、とある。本物は現在スイスにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 16:02 | comments(0) | - | pookmark |
ぶんぶん

2月は逃げる

 

 

花で作った酉年の酉とヒヨコ

 

#大分県国東半島の付け根のあたりに宇佐という人口7万ほどの町がある。去年の秋、夫とドライブでここの宇佐神宮という立派な神社を訪ねたのだが、行ったとき丁度結婚式が執り行われるところで、白無垢の花嫁さんと紋付袴の新郎さんが正門横の控え所からしずしずと、ご神木のところに出てきた。こういう時に居合わせる人は神様に可愛がられていると本で読んだので嬉しくて、心からお幸せを祈った。何か声をかければ良かったのかもしれないが、雰囲気を壊してしまうのも気になって静かに見守った。

 

ところで、この町を一渡り車で抜けるとき、小高い山の上の方に U S A と一文字ずつ看板が立っている。よくアメリカの町にあるやつで、ソルトレイクシティにもあった。町の名前のアルファベット略を町を見下ろす小高い山に立てる習慣?が、アメリカにはある。

 

その真似をしたのだと思うが、山にUSA と文字が立っている。

ナ「九州の大分にUSAってどういう意味かね? アメリカと姉妹都市ってこと?宇佐とアメリカ合衆国が姉妹都市ってのもなんか変。」

夫はちょっと考えて、

「宇佐だよ。ローマ字にするとUSAじゃないか。」 ハァ?・・・・なるほど・・・・そういうことか。

 

 

昨日のテレビのニュースでもやっていたが、今日は新聞にも、もちろんネットにも出ている。こことかここ。アメリカを真似て山に文字を張り付けるなら「USA」より「宇佐」がずっと良かったし、人の国の大統領交代を旗を振ってお祝いなんかしない方が良かった。今後もアメリカでもないのにアメリカの大統領が変わるたびお祝いイベントをするというのはどうだろうか? アメリカにだって新大統領の賛成派も反対派もいるだろう。おまけにトランプは何をするか分からないようなやつなのに。戦争だってしかねないしロシアとのやり取りを見ていると国だって売りかねないようなやつだ。実業家ならそれでいいが、大統領としてはどうだろうか。そんなやつをどうして応援? そんなことは今更私がぶつぶつ言わなくたって誰だって知ってると思ったが、宇佐の話を聞くと呑気で平和ぼけしてる田舎のおじさんおばさんたちに一言もの申したい。

 

 

#先週半休だった日に、昼ごはんに美味しいベーカリーのサンドイッチを買ってナスコの家に寄ってみた。金ちゃんはそろそろ離乳食。しかし離乳食はまだ全くうまく行ってなかった。

ナスコ「今も二人でもめてたところ。」  ナ「なんで?」

ナスコ「金ちゃんが、せっかく作った離乳食を食べない、って口を引き結ぶんだもん」

・・・・5ケ月の赤ん坊とケンカしてどうすんの・・・・。

 

 

金ちゃんの離乳は、去年のうちに少しジュースを飲ませておくように言っておいたのだけど、ナスコは「まあ年明けからでも」なんて呑気なことを言っていて母乳メインで育てていた。成長が早い目の赤ん坊はそろそろ歯が粘膜下まで上がってきていて、もういつ粘膜を破って出てきてもおかしくない感じ。

ナスコ「乳を吸わせると痛いの。」

・・・・そうでしょうよ。だから早く進めなさいと言ったじゃないの。いつ食べさせたの?

ナスコ「今朝。機嫌が良かったから食べるかなと思って。」

ナスコ、子供がものを食べる時は機嫌がいいときじゃなくてお腹が空いているときよ。

いくら機嫌が良くてもお腹がいっぱいだと食べるわけないじゃない。

そんな丁寧に手作りしたものじゃなくて 初めはジュースとか、大人の食べるみそ汁の上澄みをちょっとすくってお湯で薄めて一口くらいでいいのよ。最初はね、母乳やミルクだけじゃなくていろんな味の食べ物があるってことを教えるだけなんだから。なるべくちょくちょく、お腹が空いているときにまず飲ませたり食べさせたりして、そのうちにだんだん量を増やすのよ。もたもたしてたら歯が生えきってもミルクしか飲まないなんて面倒なことになるよ。あんまり育児書に書いてある通りに作ろうなんて思いなさんな。食べないからって一々怒っていたら食事が嫌になってますます食べないわよ?

 

 

春に、もしかしたらナスコ一家は転勤になるかもしれない。一人でやれるんだろうかと思いながら、でももう30(歳)だしねえ・・・とため息をつくナスカさんなのであった。。。

 

 

#ネット日記を始めた20年前は、いたずらに長いダイアリーを打つより、短くてもその日のうちにアップしてしまう方針だったのに 最近では数日もしくは1週間ほど持ち越してしまうのが珍しくなくなってしまった。

 

初心に帰ろう。。。

 

最近若者言葉に 「ぶんぶん」と言うのがあるらしい。意味は「そうだね!!」 「賛成!!」かな。

 

「おはよう、今日も頑張ろう!」 「ぶんぶん。」

「これって難しいねえ」  「ぶんぶん。」

「お茶飲みたいねえ」  「ぶんぶん。」

 

すると、「結婚しようか。」「ぶんぶん。」というのは イエスなのか? ノーなのか? 

分からないまま結婚してしまうのが現代若者事情なのか。「ぶんぶん。」

 

おなかすいた。「ぶんぶん。」

 

おなかいっぱい。「ぶんぶん。」

 

 

なんか、便利だ・・・・

 

宝くじ当たるといいな。ぶんぶん。

 

ダイアリーは出来るだけその日にアップしようじゃないか、自分? ぶんぶん・・・・。

 

 

#と、ここまで書いてアップを忘れてはや1ケ月・・・・。2月は逃げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 11:40 | comments(0) | - | pookmark |
年賀状考

 


 

#佐賀にある祐徳稲荷神社に左馬が飾られていた。

 

-----「うま」をから読むと「まう」と読めます。「 まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、「左」は福を招く縁起のよい駒とされています。 「」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。 きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。」-----

 

知ってました? 知らなかったなあ。私の祖母の叔父に 左馬 という名前の人がいたにもかかわらず、である。祖母が左馬という言葉を知らなかったとは思えないが、親戚の左馬氏は東大受験に失敗して、追加の学費依頼を郷里に頼んだのだが、手違いで連絡が遅れ、これは学費を送ってもらえないのだと勘違いした彼は多摩川に身投げして死んでしまった。祖母は明治39年生まれでその母親の弟だから、明治10年とか20年とか、その頃のことと思われる。なので左馬がおめでたいとは思えなかったのかもしれない。

 

左馬、を見ながらそんなことを思った。

 

 

 

#ソルトレイクシティに住んだとき、通っていたユタ大学の語学教室の先生とずっとクリスマスカードを交わしていた。途中で私が挫けて(英語書くのが面倒になって)やめそうになると「Always keep contact with me!」と書かれていて 再びペンを取らざるを得なかった。ところが、もう5,6年前になるだろうか。突然先生の方から「クリスマスカードは今年限り」と言ってきた。「定年を機にアラスカの娘がお産をするので、仕事をやめて引っ越し、孫の面倒をみることになった。別れを悲しまないでくれ。」悲しむっていうか、びっくりしたよ、先生。

 

2、3年前。大学の1期上の先輩が、病気をしたらしいと、話には聞いていたが、 「年賀状はこれで終わりです」と書かれていて相当驚いた。父の旧制高校の同窓会が「解散」した、と聞いた時も、同窓会ってのは終わるのもなのか!・・・・と思ったが、年賀状も終わるものなのか。しかし一別以来三十数年、ここまで毎年毎年やり取りがあったことのほうが驚きなのかもしれない。

 

一昨年は、郷里に帰って就職したときの先輩が定年を迎えたのだが、「定年を機に年賀状は書かないことにします。長年のご厚情ありがとうございました。」とあって、これも相当驚いた。私が知らなかっただけでそういうものなのか。つめたーい、と思うけど、虚礼廃止と言われればそうですか、とならざるを得ない。そういえば定年退職をすると年賀状がどっと減って寂しいという話を聞いてことはあったが。

 

子供たちも、親しい間柄はネットが発達しているし、若い間は転勤とか同窓生は卒後進学や就職で引っ越すので年賀状は殆ど書かないそうだ。

ナスキ「今は、名簿も個人情報とかで出ないので、書きようがないんだよ。」

・・・・そうですか。

 

 

 

世の中がそっちに動いているとなると、私自身のことも考えないとねえ、と思う。いつも50枚くらい書いていたけど今年はプライベートでは30枚しか買わず、ネットが使えないジジババ族で欠礼できない方をメインに持ってくる。ネットが使える人向けに、「年賀状は少しずつネットに移行する」との宣言を入れておいた(笑)。私でさえこのテイタラクなのだ。ジャパンポストが困ってハガキ代を値上げするというのもさもありなん、である。ネットの方には元旦にメールを送るようにした方が、結果的に正月以外の時の連絡もつけやすい。引っ越しその他の挨拶も簡単に済む。考えようによっては合理的だ。デメリットがあるとすると、その人の筆跡を見ることが出来ないこと、住所の確認が出来ないこと、だろうか。筆跡は性格がわかりやすい。人は会話の時、相手の表情や声の調子を読むけれども、性格、体調など、メールでは分からない。居住地は意外にその人の信用に繋がっている部分がある。うちは家電を外してしまったけれど、家電がないと信用に少し傷がつくかな?という思いは少しあって、使いもしない電話をずっと置いてあった。それに少し似ている。

 

ラインやfacebookやツイッターでの年賀挨拶って少し寂しいけれどこれでいいんだ、と思うことにする。本当に書きたいと思う人に余裕のある時だけ、綺麗な絵葉書や記念切手で出せばいい。携帯が使えないタイプのジジババ族が死に絶えたとき、年賀状文化はいよいよ廃れていくだろう。

 

元々新しもの好きの私としては、新しいやり方に遅れたくない(>そういう問題でもない)。 1995年ただの主婦だった私が新しもの好きだったからこそマッキントッシュに飛びついてパソコンの波に溺れ、後年仕事に就いた時も随分役に立ったけれど、若い人のやり方、特にシンキング(thinking)リズムについていけない(ラップとか?)と思うこともだんだん増えてきた。

 

 

 

 

#暮れに、ものすごく興味を惹かれたNHKのドキュメンタリーがあった。自閉症の男の子、東田直樹という人の話で、かなり重い症状の自閉症の子だった。小学校は普通小学校だったが全くついて行けず、中学に上がるとき、初めて自分の病気の症状を自覚し絶望した。知能が遅れていると周囲には思われ、通常の意思の疎通は周囲とは全くできていなかった。客観的に話を聞くと、よく普通小学校もその状態で通学できていたなと思う。全く理解しないままでは周囲もきつかっただろう。

 

お母さんはなかなかしっかりした人で、彼は文字に非常に興味を示したのでパソコンを教えた。彼は殆ど周囲と話すことは出来なかったがパソコンを通じてなら自分の意思を示すことができるようになり、人と情報のやり取りができるようになった。母親は彼の書いたものをまとめて出版した。本は少しずつ売れていたが、ある日ネットを通じてイギリスの世界的な作家の目に留まる。この作家は日本で英語教師をしていた経験があり、日本語が多少出来た。そして彼の息子も自閉症だった。作家は東田君の作品を高く評価するとともに、自閉症の人が自分(達)の頭の中で起きている状況を初めて世界に向けて説明した本としてあとがきを書き、自分の名前を帯に使って後援した。本は瞬く間に世界30ケ国(2016年現在)に翻訳され読まれるようになった。イギリスのとある本屋の店主が、この店で売れ筋の日本の作家は、1が村上春樹、2が三島由紀夫、3が東田直樹だと言ったのには恐れ入ったが、素人目にもこの本で自閉症という病気への一般理解、研究は飛躍的に進むだろうと思われる。

 

ドキュメンタリーの中で非常に印象に残った部分がある。

 

 

先にも述べた通り、彼が障害を抱えていることを自覚したのは13歳で、このとき普通校に通っていた彼は養護学校への進路変更を余儀なくされた。今の自分がこの時の自分にアドバイスするとすると何と言いますか?と聞かれて、「ありのままでいい」と一旦は答えました。しかし、書き換えます。「辛すぎる毎日を送っている僕には届かないと思う。『僕は人生は短い』という事実を伝えたい。当時の自分には、過ぎ行く時の経過は果てしなく、いつまでも降りられないぶらんこに乗っているみたいだった。でもそのブランコもいつかは止まる。一生懸命漕げば同じ景色も違って見える。」

 

この部分、私には衝撃的だった。数日後、再放送があったので録画したが、この部分だけは何度も繰り返し見た。

 

若干26歳の青年から「人生は短い」と言われると、胸がざわざわする。26歳の私は 時は早い、と思ってはいたけれど「人生は短い」と感じてはいなかった。小学生のころは、いつまでも小学校に通わなければならないのか、という気がしていたから、(小学校ってあまり楽しくなかったよな)(あの学校教育ってどうにかならないのかしら?)(中学、高校はまだよかったかな。)時が長い感覚は理解できる。その長いと感じる時間を絶望の中で毎日生きていくのは辛かっただろう。

 

人生は短い。口に出してみて、自分の言葉の重みが、彼の言葉とどれくらい違うか、探ってみる。ともかく、早速アマゾンでダウンロードして彼の本というやつを読んでみる。イギリス人の作家も言っていたが、東田君には彼の障害は辛すぎるものだっただろうが、自閉症の人、その家族にとって、彼の本は福音だろう。うちのスタッフも明らかな自閉症スペクトラムと思われる子供を抱えている人が数人いるけれど、自閉症とは一見あまり縁がない私の心にも、彼の言葉はしみ込むように入ってきた。私も、もうちょっと一生懸命、ブランコを漕いでみればよかったと、思っている。

 


 

 

#明けましておめでとうございます。

 旧年中は大変お世話になりました。

 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 2017年 平成29年元旦

                 ナスカ@たばこ屋ダイアリー

 

 

 

 

 

 

 

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