僧帽筋のゆくえ

 

ジグゾーパズル「イレーヌ嬢の肖像」

 

#ヨガは、続いている。ハード系じゃないヨガ(ストレッチとか、リラックス系)先生が面白いのだ。年は70前くらい。南方系の濃いめの顔立ち。ある日、先生が「首をすっきり立ててながーく、ながーく、そう! そこは、ゾウボウキンという筋肉があってね、・・・」 私は回転の良い方でない上に少し年を取ってきたので、一瞬 何のことか分からないほど年を取ったかと焦った。・・・・違うよ、自分。

彼女が言いたいのは「僧帽筋」だよきっと。

 

帰宅して、どうしてそんな間違いが起きたか夫と話す。

 夫 「僧帽筋、の 僧 のつくりは、憎む、という字の作りと同じだろう?あれは音読みだと愛憎などと、ゾウと読むからじゃないか?」

ああ。なるほど。

ナスキ「増、も 贈 もゾウだよ。」  

・・・・・なるほど。

 

それからこんなこともあった。「さあ、腕を伸ばして指先までいっぱいに開いて。胸の筋肉は指先から始まっているんだよ。」 えっ!? うそっ!? そんな馬鹿な! もう頭が驚きでいっぱいになって、体が何をやってるかわからなくなる。

 

教室は大学病院のお膝元にあり、お客には医療系のスタッフが沢山いると思う。みんな変だと思いながら、黙っているのだろう。昔、高校の時の体育の先生が授業の時、「お前たちは受験勉強で疲れているだろうから、」とおっしゃって自分で保健体育の教科書を読んでくれた。ところが、どうしてだか忘れたがその章には「凝固」という言葉が何度も出てきたが、先生がギョウコをギコ、と読むので、聞いていていたたまれなかった。しかしやっぱり、誰も言わなかった。もう亡くなってるかなと思うが、今でも私はあのギコちない空気のギコを忘れない。

 

夫「あんたも、結構しょっ中変なことばっかり言ってるよ。」

・・・・そうなのだ。確かに私は変なことばっかり言ってる。しかし、自覚はある。自覚があれば、罪一等減じられないか?

 

 

 

#その、ヨガで。いろんなポーズを取った後、最後の方で瞑想とか死のポーズと巷で呼ばれるのをやる。(教室では死の、などとは言わない)せっかく貴重な教室の時間をただ横になって目をつぶり、じっとしているだけなんて勿体ない、と思っていた。中には鼾をかいてほんとに寝た人もいた。(お疲れですね?)そこまで来るとやめて教室を出、帰ってしまう人も時々いる。

 

しかし、このポーズは一連の教室のポーズの中で最も意味がある。

 

 

どこが、というと、5分ほどの瞑想のあと、先生が「では目を覚まして、手の親指を中に入れて握りなさい。はい、今度はいっぱいに開きます。」とおっしゃったとき、私の手は力が入らずに握ることができない。あれ? どうして?

 

何回かやるうちに、ああ、これは副交感神経優位の状態になってるんだと気が付いた。気が付くと、意識してその状態に持っていけるようになった。

 

人間は交感神経と副交感神経とあって、仕事中の戦闘モードは交感神経、家でリラックスモード、特に寝る前みたいな時は副交感神経支配になる。これらは普通意識して切り替えることは難しいと思っていた。どちらかと言えば、戦闘モードに切り替えることは可能だが、リラックスモードは意識しては難しい。だから眠れない人がいるのだ。しかし、瞑想をやるようになってこの方、私は自分で意識してこの状態を作れるようになっている。瞑想とはどういうことか、頭を無にするとはどういうことかを強く意識した出来事だった。

 

 

 

#イレーヌ嬢の肖像。昔から好きな絵で、ジグゾーパズルを見たとき久々にやってみたいと思った。

 

アップにあたって検索してみたが、(ここ)本物のイレーヌ嬢はユダヤ人で2次大戦に巻き込まれ九死に一生を得た後、波乱の生涯を91歳まで生きた、とある。本物は現在スイスにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ぶんぶん

2月は逃げる

 

 

花で作った酉年の酉とヒヨコ

 

#大分県国東半島の付け根のあたりに宇佐という人口7万ほどの町がある。去年の秋、夫とドライブでここの宇佐神宮という立派な神社を訪ねたのだが、行ったとき丁度結婚式が執り行われるところで、白無垢の花嫁さんと紋付袴の新郎さんが正門横の控え所からしずしずと、ご神木のところに出てきた。こういう時に居合わせる人は神様に可愛がられていると本で読んだので嬉しくて、心からお幸せを祈った。何か声をかければ良かったのかもしれないが、雰囲気を壊してしまうのも気になって静かに見守った。

 

ところで、この町を一渡り車で抜けるとき、小高い山の上の方に U S A と一文字ずつ看板が立っている。よくアメリカの町にあるやつで、ソルトレイクシティにもあった。町の名前のアルファベット略を町を見下ろす小高い山に立てる習慣?が、アメリカにはある。

 

その真似をしたのだと思うが、山にUSA と文字が立っている。

ナ「九州の大分にUSAってどういう意味かね? アメリカと姉妹都市ってこと?宇佐とアメリカ合衆国が姉妹都市ってのもなんか変。」

夫はちょっと考えて、

「宇佐だよ。ローマ字にするとUSAじゃないか。」 ハァ?・・・・なるほど・・・・そういうことか。

 

 

昨日のテレビのニュースでもやっていたが、今日は新聞にも、もちろんネットにも出ている。こことかここ。アメリカを真似て山に文字を張り付けるなら「USA」より「宇佐」がずっと良かったし、人の国の大統領交代を旗を振ってお祝いなんかしない方が良かった。今後もアメリカでもないのにアメリカの大統領が変わるたびお祝いイベントをするというのはどうだろうか? アメリカにだって新大統領の賛成派も反対派もいるだろう。おまけにトランプは何をするか分からないようなやつなのに。戦争だってしかねないしロシアとのやり取りを見ていると国だって売りかねないようなやつだ。実業家ならそれでいいが、大統領としてはどうだろうか。そんなやつをどうして応援? そんなことは今更私がぶつぶつ言わなくたって誰だって知ってると思ったが、宇佐の話を聞くと呑気で平和ぼけしてる田舎のおじさんおばさんたちに一言もの申したい。

 

 

#先週半休だった日に、昼ごはんに美味しいベーカリーのサンドイッチを買ってナスコの家に寄ってみた。金ちゃんはそろそろ離乳食。しかし離乳食はまだ全くうまく行ってなかった。

ナスコ「今も二人でもめてたところ。」  ナ「なんで?」

ナスコ「金ちゃんが、せっかく作った離乳食を食べない、って口を引き結ぶんだもん」

・・・・5ケ月の赤ん坊とケンカしてどうすんの・・・・。

 

 

金ちゃんの離乳は、去年のうちに少しジュースを飲ませておくように言っておいたのだけど、ナスコは「まあ年明けからでも」なんて呑気なことを言っていて母乳メインで育てていた。成長が早い目の赤ん坊はそろそろ歯が粘膜下まで上がってきていて、もういつ粘膜を破って出てきてもおかしくない感じ。

ナスコ「乳を吸わせると痛いの。」

・・・・そうでしょうよ。だから早く進めなさいと言ったじゃないの。いつ食べさせたの?

ナスコ「今朝。機嫌が良かったから食べるかなと思って。」

ナスコ、子供がものを食べる時は機嫌がいいときじゃなくてお腹が空いているときよ。

いくら機嫌が良くてもお腹がいっぱいだと食べるわけないじゃない。

そんな丁寧に手作りしたものじゃなくて 初めはジュースとか、大人の食べるみそ汁の上澄みをちょっとすくってお湯で薄めて一口くらいでいいのよ。最初はね、母乳やミルクだけじゃなくていろんな味の食べ物があるってことを教えるだけなんだから。なるべくちょくちょく、お腹が空いているときにまず飲ませたり食べさせたりして、そのうちにだんだん量を増やすのよ。もたもたしてたら歯が生えきってもミルクしか飲まないなんて面倒なことになるよ。あんまり育児書に書いてある通りに作ろうなんて思いなさんな。食べないからって一々怒っていたら食事が嫌になってますます食べないわよ?

 

 

春に、もしかしたらナスコ一家は転勤になるかもしれない。一人でやれるんだろうかと思いながら、でももう30(歳)だしねえ・・・とため息をつくナスカさんなのであった。。。

 

 

#ネット日記を始めた20年前は、いたずらに長いダイアリーを打つより、短くてもその日のうちにアップしてしまう方針だったのに 最近では数日もしくは1週間ほど持ち越してしまうのが珍しくなくなってしまった。

 

初心に帰ろう。。。

 

最近若者言葉に 「ぶんぶん」と言うのがあるらしい。意味は「そうだね!!」 「賛成!!」かな。

 

「おはよう、今日も頑張ろう!」 「ぶんぶん。」

「これって難しいねえ」  「ぶんぶん。」

「お茶飲みたいねえ」  「ぶんぶん。」

 

すると、「結婚しようか。」「ぶんぶん。」というのは イエスなのか? ノーなのか? 

分からないまま結婚してしまうのが現代若者事情なのか。「ぶんぶん。」

 

おなかすいた。「ぶんぶん。」

 

おなかいっぱい。「ぶんぶん。」

 

 

なんか、便利だ・・・・

 

宝くじ当たるといいな。ぶんぶん。

 

ダイアリーは出来るだけその日にアップしようじゃないか、自分? ぶんぶん・・・・。

 

 

#と、ここまで書いてアップを忘れてはや1ケ月・・・・。2月は逃げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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年賀状考

 


 

#佐賀にある祐徳稲荷神社に左馬が飾られていた。

 

-----「うま」をから読むと「まう」と読めます。「 まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、「左」は福を招く縁起のよい駒とされています。 「」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。 きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。」-----

 

知ってました? 知らなかったなあ。私の祖母の叔父に 左馬 という名前の人がいたにもかかわらず、である。祖母が左馬という言葉を知らなかったとは思えないが、親戚の左馬氏は東大受験に失敗して、追加の学費依頼を郷里に頼んだのだが、手違いで連絡が遅れ、これは学費を送ってもらえないのだと勘違いした彼は多摩川に身投げして死んでしまった。祖母は明治39年生まれでその母親の弟だから、明治10年とか20年とか、その頃のことと思われる。なので左馬がおめでたいとは思えなかったのかもしれない。

 

左馬、を見ながらそんなことを思った。

 

 

 

#ソルトレイクシティに住んだとき、通っていたユタ大学の語学教室の先生とずっとクリスマスカードを交わしていた。途中で私が挫けて(英語書くのが面倒になって)やめそうになると「Always keep contact with me!」と書かれていて 再びペンを取らざるを得なかった。ところが、もう5,6年前になるだろうか。突然先生の方から「クリスマスカードは今年限り」と言ってきた。「定年を機にアラスカの娘がお産をするので、仕事をやめて引っ越し、孫の面倒をみることになった。別れを悲しまないでくれ。」悲しむっていうか、びっくりしたよ、先生。

 

2、3年前。大学の1期上の先輩が、病気をしたらしいと、話には聞いていたが、 「年賀状はこれで終わりです」と書かれていて相当驚いた。父の旧制高校の同窓会が「解散」した、と聞いた時も、同窓会ってのは終わるのもなのか!・・・・と思ったが、年賀状も終わるものなのか。しかし一別以来三十数年、ここまで毎年毎年やり取りがあったことのほうが驚きなのかもしれない。

 

一昨年は、郷里に帰って就職したときの先輩が定年を迎えたのだが、「定年を機に年賀状は書かないことにします。長年のご厚情ありがとうございました。」とあって、これも相当驚いた。私が知らなかっただけでそういうものなのか。つめたーい、と思うけど、虚礼廃止と言われればそうですか、とならざるを得ない。そういえば定年退職をすると年賀状がどっと減って寂しいという話を聞いてことはあったが。

 

子供たちも、親しい間柄はネットが発達しているし、若い間は転勤とか同窓生は卒後進学や就職で引っ越すので年賀状は殆ど書かないそうだ。

ナスキ「今は、名簿も個人情報とかで出ないので、書きようがないんだよ。」

・・・・そうですか。

 

 

 

世の中がそっちに動いているとなると、私自身のことも考えないとねえ、と思う。いつも50枚くらい書いていたけど今年はプライベートでは30枚しか買わず、ネットが使えないジジババ族で欠礼できない方をメインに持ってくる。ネットが使える人向けに、「年賀状は少しずつネットに移行する」との宣言を入れておいた(笑)。私でさえこのテイタラクなのだ。ジャパンポストが困ってハガキ代を値上げするというのもさもありなん、である。ネットの方には元旦にメールを送るようにした方が、結果的に正月以外の時の連絡もつけやすい。引っ越しその他の挨拶も簡単に済む。考えようによっては合理的だ。デメリットがあるとすると、その人の筆跡を見ることが出来ないこと、住所の確認が出来ないこと、だろうか。筆跡は性格がわかりやすい。人は会話の時、相手の表情や声の調子を読むけれども、性格、体調など、メールでは分からない。居住地は意外にその人の信用に繋がっている部分がある。うちは家電を外してしまったけれど、家電がないと信用に少し傷がつくかな?という思いは少しあって、使いもしない電話をずっと置いてあった。それに少し似ている。

 

ラインやfacebookやツイッターでの年賀挨拶って少し寂しいけれどこれでいいんだ、と思うことにする。本当に書きたいと思う人に余裕のある時だけ、綺麗な絵葉書や記念切手で出せばいい。携帯が使えないタイプのジジババ族が死に絶えたとき、年賀状文化はいよいよ廃れていくだろう。

 

元々新しもの好きの私としては、新しいやり方に遅れたくない(>そういう問題でもない)。 1995年ただの主婦だった私が新しもの好きだったからこそマッキントッシュに飛びついてパソコンの波に溺れ、後年仕事に就いた時も随分役に立ったけれど、若い人のやり方、特にシンキング(thinking)リズムについていけない(ラップとか?)と思うこともだんだん増えてきた。

 

 

 

 

#暮れに、ものすごく興味を惹かれたNHKのドキュメンタリーがあった。自閉症の男の子、東田直樹という人の話で、かなり重い症状の自閉症の子だった。小学校は普通小学校だったが全くついて行けず、中学に上がるとき、初めて自分の病気の症状を自覚し絶望した。知能が遅れていると周囲には思われ、通常の意思の疎通は周囲とは全くできていなかった。客観的に話を聞くと、よく普通小学校もその状態で通学できていたなと思う。全く理解しないままでは周囲もきつかっただろう。

 

お母さんはなかなかしっかりした人で、彼は文字に非常に興味を示したのでパソコンを教えた。彼は殆ど周囲と話すことは出来なかったがパソコンを通じてなら自分の意思を示すことができるようになり、人と情報のやり取りができるようになった。母親は彼の書いたものをまとめて出版した。本は少しずつ売れていたが、ある日ネットを通じてイギリスの世界的な作家の目に留まる。この作家は日本で英語教師をしていた経験があり、日本語が多少出来た。そして彼の息子も自閉症だった。作家は東田君の作品を高く評価するとともに、自閉症の人が自分(達)の頭の中で起きている状況を初めて世界に向けて説明した本としてあとがきを書き、自分の名前を帯に使って後援した。本は瞬く間に世界30ケ国(2016年現在)に翻訳され読まれるようになった。イギリスのとある本屋の店主が、この店で売れ筋の日本の作家は、1が村上春樹、2が三島由紀夫、3が東田直樹だと言ったのには恐れ入ったが、素人目にもこの本で自閉症という病気への一般理解、研究は飛躍的に進むだろうと思われる。

 

ドキュメンタリーの中で非常に印象に残った部分がある。

 

 

先にも述べた通り、彼が障害を抱えていることを自覚したのは13歳で、このとき普通校に通っていた彼は養護学校への進路変更を余儀なくされた。今の自分がこの時の自分にアドバイスするとすると何と言いますか?と聞かれて、「ありのままでいい」と一旦は答えました。しかし、書き換えます。「辛すぎる毎日を送っている僕には届かないと思う。『僕は人生は短い』という事実を伝えたい。当時の自分には、過ぎ行く時の経過は果てしなく、いつまでも降りられないぶらんこに乗っているみたいだった。でもそのブランコもいつかは止まる。一生懸命漕げば同じ景色も違って見える。」

 

この部分、私には衝撃的だった。数日後、再放送があったので録画したが、この部分だけは何度も繰り返し見た。

 

若干26歳の青年から「人生は短い」と言われると、胸がざわざわする。26歳の私は 時は早い、と思ってはいたけれど「人生は短い」と感じてはいなかった。小学生のころは、いつまでも小学校に通わなければならないのか、という気がしていたから、(小学校ってあまり楽しくなかったよな)(あの学校教育ってどうにかならないのかしら?)(中学、高校はまだよかったかな。)時が長い感覚は理解できる。その長いと感じる時間を絶望の中で毎日生きていくのは辛かっただろう。

 

人生は短い。口に出してみて、自分の言葉の重みが、彼の言葉とどれくらい違うか、探ってみる。ともかく、早速アマゾンでダウンロードして彼の本というやつを読んでみる。イギリス人の作家も言っていたが、東田君には彼の障害は辛すぎるものだっただろうが、自閉症の人、その家族にとって、彼の本は福音だろう。うちのスタッフも明らかな自閉症スペクトラムと思われる子供を抱えている人が数人いるけれど、自閉症とは一見あまり縁がない私の心にも、彼の言葉はしみ込むように入ってきた。私も、もうちょっと一生懸命、ブランコを漕いでみればよかったと、思っている。

 


 

 

#明けましておめでとうございます。

 旧年中は大変お世話になりました。

 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 2017年 平成29年元旦

                 ナスカ@たばこ屋ダイアリー

 

 

 

 

 

 

 

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時をかける絵葉書き

 

#母がいろいろ弱って少しおとなしくなったので、今まで捨てられなかった 母の人生のごみとも言うべき荷物を、妹と少しずつ整理しはじめた。人が住まなくなった実家の後片付けを嘆く内容の本は多いが、うちもどこから手をつけていいか分からない状態のまま、しかしこのまま放って置くと死んだとき処分料金がどっとかかりそうなので(2トントラック2台で8万くらいするし、それではとても足りない 下手すると100万くらいかかりそう)ぼちぼち片付けては処分している。妹が来るのは月に1度くらい。私一人で家に入っていじくるのも後になって問題になると嫌だし、妹が来た時に一緒に、となると年12回では大分時間がかかりそう。

 

 

改めてそんな目で自分の家を見ると、結局私たちが死んだとき家一軒全部がゴミで、子供の手元に残るのはいくつかの重要書類(権利書とか?)と写真、先祖の関係の書類くらいだろうか。NHKのファミリーヒストリーを見ると、先祖の事どころか自分の生きてきたこれまでを子供に語っていない人も多い。戦争があったりして話すのが辛いこともあっただろう。そういえば祖父は民間人として戦時中 中国に居たが、戦後も長く抑留されて帰国しなかった。祖父は中国語が出来たので、日本人抑留者と中国側の交渉を担当したらしいが(病気の人が出たから医者を呼んでほしいとか)最後の一人とともに自分は帰国すると言って帰国船が来ても帰らなかった、と聞いたのは祖父が老衰で死んでずっと経ってからだった。戦時中のことも祖母は祖父に書き残すことを勧めていたが、祖父はそれはしなかったし一緒に暮らしていた私にも何も話さなかった。

今、中国と日本は良い関係とは言えないが、祖父はずっと中国人が大好きで、テレビに中国が映ると必ず見ていたし、歌手何某が出ると、「がっぽり稼いで国に帰れよ、」とテレビに語りかけていた。中国の方に駐在中大変良くしていただいたに違いない。いろいろあったと思う。

 


そんなことを思いながら、父のものを分別していたら、年賀状の束が出てきた。昭和52年の束だけが、なぜかそこに残っていた。

昭和52年は私が大学に入った年である。

他に書簡の束はない。厚みにして15センチくらい。業者のものを処分し、友人、知人(らしきもの)、親戚関係に分け、あいうえお順にソートした。

と、そこに絵葉書が一葉。あて名は私宛だった。見た覚えはない。絵は日光東照宮の唐門の写真だった。

 

差出人は祖母からで、元気ですか、に始まって「テストは終わったのか、こちらの学校の案内書を送るから検討資料にするように、用はないとは思うが、」と書いてあった。事情はよく分からない。私は小学校卒業時、父が郷里に帰る決心をしたのに伴い、同居して育ててくれていた横浜の祖母と離れたのだが、消印は昭和49年7月7日のものなので、祖母と離れて3年めの日付である。父は私を高校から再度東京に出して、どこかエスカレーターの学校にやることを考えたのかもしれない。祖母に頼んで資料は取り寄せたものの、私にその話はなかった。少なくとも記憶にはない。

 

 

 

ともかく、私の手元に便りは届いた。

 

天の川の7月7日の日付で。

 

42年の、時を超えて。

 

 

・・・・しかし、どうして昭和52年の年賀状の束に、49年発信のこのハガキだけが紛れ込んだのだろう?

 

 

 

#そういえば去年は祖母の7回忌で、叔母にどうするのか聞いてみたが 「もう出来ない。」というのが叔母の返事だった。さんざん世話になった祖母に年忌法要もしてやれないのかとがっかりしたが、祖母が「もしも困ることがあったら成田山にお参りにいきなさい。良く聞いてくれるから。必ず覚えておくのよ。」と言われていたことを思い出して、成田山に納経することにしたのだった。私にはこれがその返事に思えた。

 

死んだ人にも手紙は届く。

 

そして、死んだ人からも、便りは来る。

 

「私は死んでも必ずあなたを見守っているから。何もしてあげられなくても、声が聞こえなくても必ずいつもそばにいる。忘れないで。」 祖母はそう言った。母性本能バリバリの人だった。

いつも見守ってるって? 

 

トイレでも? 

エッチのときも?(もうしてないけど)

 

それ、ちょっと引くかも。ばーちゃん。

 

 

ともかく、私が出した成田山経由の便りは、届いたんだな。ハガキは届いた合図のように思えた。

 

 

 

#孫の金ちゃんは、声を立てて笑うようになった。

可愛いでしょう、と人によく言われるけれど、可愛いのかどうかよく分からない。ただ、ナスコの赤ん坊のころによく似ている、と思う。親が私を心配したよりもずっと私は娘を、うまくやれるのかどうか心配しているが、ナスコがラインで送ってきた声を立てて笑う動画を夫に見せたら

夫「屈託のない安定した笑顔の赤ん坊じゃないか。ナスコも頑張っているんだよ。」

 

はらはらしながらゆっくり遠ざかる機影を見守る。

 

 

さて。年内日記の更新は出来ないかもしれません。後はツイッターかfacebookにします。ちょっと早いけど年仕舞のご挨拶です。どちらさまもよいお年をお迎えください。この日記は還暦までは、月1で更新しようと思ってます。>ところで還暦はいつだい?

 

 

 

 

 

 

 

 

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霜月は急ぎ足で

 

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#早く書かないと、日記が一か月飛んでしまうと思ってはいたけど、気が付けば11月ももう4分の1終わり。気ばかり急く。そしてダイアリーは一ヶ月飛んだ。

 

#この間、鍋ケ滝日帰りと、日田、大分を回る一泊の旅行と、佐賀バルーンフェスタに日帰りで行ってきた。

鍋ケ滝の日帰りは、あんまり昔で忘れてしまった(!!)

日田は日田醤油というお店屋さんで無料のお雛様公開というのをやっていて、ものすごい数の江戸時代のお雛様が展示してあった。いずれも今拝見してもいかにも価値の高そうなものだったが、それよりもどんな人が誰のためにこのひな人形を作らせたのかと考える。いずれもどう見ても特注品。無料で見せていただいたのに恐縮して醤油でも買っていこうか、と言うと、

夫「醤油と味噌の味は育った味が忘れられないとあんたいつも言うじゃん。」

・・・・まあそうですね。

と、焼き肉のたれがあった。

ナ「焼き肉のたれにしましょう!」

夫は1リットル瓶を自分が持つことになるので嫌そうだったが、なに、食べるのも夫なのである。

 

 

お腹すいたな、と見回すと、蕎麦、と書いてある町家の入り口を入ると草ぼうぼうの中庭、古井戸の奥に風情のあるそば屋があった。時間も昼には遅く空いていた。私はいつもの冷やしとろろ蕎麦定番。

 小学校2,3年くらいだろうか。お嬢ちゃんがお客の皿の後片付けを手伝っていた。お勘定にレジに行くと店主風の男の人が

 「小さいのがちょろちょろしてすいません。手伝いたがるもので。」とおっしゃる。

ナ「いい跡取りさんがいて良いですね。羨ましいです。」と答えた。

 

ちょくちょく来たいんだけど、遠いんだよなあ、大分って。

 

 

 

#佐賀バルーンフェスタはまだ日曜のことなので記憶に新しい。

 去年の佐賀バルーンフェスタの後に愛犬のクーが死んだのだった。悲しくて行きたくないと思ったが、夫が

「今年は3年に一度のインターナショナルバルーンフェスタで、気球がいつもよりずっと沢山飛ぶんだってよ?」 

・・・・行く!!

 

ちうわけで出かける。バルーン競技は午後2時45分からだったので、朝出て信心しているお稲荷さんの祐徳稲荷にお参りをし、商売下手な門前町のイマイチのちゃんぽんを食べ、昼過ぎにネットに繋いで初めて知った、、、その前日インターナショナルバルーンフェスタに爆弾予告があって、3万人が避難する騒ぎになったとのこと。

ナ「どうする? 行く?」

夫「行くさ! ここまで来たんだから。」 行くよねえ・・・。

ウーン・・・・ まあ、たった今祐徳さんにお参りしてきたから、今ならまだお守りが付いてきてくれているだろう。

 

 

ところが風が強くバルーンが上げられない。数万の観客がいつ上がるかと待っている。露店もたくさん出て、お客でごったがえしていた。2,30分待ったころに、予定の3種目競技はやめるが今から気球を上げる旨のアナウンスがあり、広いトラックにいくつも敷かれていたシートが膨らみ始めた。なんとシートと思っていたのはバルーンだった。

 

目の前のトラックでバルーンが大きな扇風機の風で横向きにどんどん膨らみ、しかし強い風にあおられてバルーンが横向きのまま大きく凹んでしまう。何度もトライ&エラーを繰り返し、バルーンが斜めに立ち上がってくるとガスバーナーで熱気を送る。ヨタヨタとバルーンの籠が浮きはじめ、綱を離すとふわりと浮かぶ。ま近でこんなのを見るのは初めてだった。

 

バルーンは用意が出来た者からどんどん浮き上がり、空いっぱいに沢山上がった。そして川の向こう岸、それぞれが決めた降下地点へ飛び去った。こういう時、みんなどんどん行ってしまうのに自分だけ残るバルーンはさぞ焦るだろう。

 

 

 

#ナスコの赤ちゃん、金ちゃんは元気に育っている。3ヶ月になり、少し首が座りかけてきた。10月、遅い夏休みを取った婿が、実家に帰って親の顔が見てきたい、と言い、ナスコはまだ2ケ月の首も座らない赤ん坊を連れていくわけにもいかず、こちらに残った。彼の一家は全員で湯布院に泊りがけで遊びに出掛け、ナスコは悔し気に自分の実家に帰ってきた。普通まだ首がぐらぐらして買い物にもなかなか連れてはいけない赤ん坊と床上げをやっと終えて実家から戻ってきた妻を置いて、勝手な婿だなと思うが、私はもともとこの婿が気に入らないのであの男ならまあそんなもんでしょうよ、と思う。ナスコも私の反対を押し切って結婚している手前、口には出さなかったが心中推して知るべし、である。

 

あんな男と暮らして楽しいかねえ・・・・。しかしまあ、概ね楽しそうには暮らしている。しかし、私としては3歳くらいになって保育園でどんなことがあったか話せるくらいになったら、パートでいいから仕事に復帰させようと思っている。あの男では先行きどうなるか分からない。

 

 

#ナスキは高校の同期で現役でダブらず進級した子は、今度4大を卒業し、就職する。ナスキはまだもうちょっとあるが、そろそろ一人前扱いしないと、かなと思っている。(>まだしてなかったのか?)年の割に奥手な子なので心配していたが、やっとしっかりしてきてそろそろ9割は目を離しても大丈夫かなと思えてきた。あとは、自分でやっていくしかない。

 

 

 

#事務所のスタッフAは、9月下旬に急に忌引きで休んだ。夫の兄が8月下旬に亡くなっていたのだが、ちょうど亡くなる数日前、奥さんと離婚調停に入っていた。もともと心臓が悪くペースメーカーを入れるよう言われていたが、我儘な人で人のいうことなんか聞かなかった。DVで奥さんを殴ってばかりいて、奥さんはいつも顔に青あざを作っていた。娘に引っ越しの手伝いに来てもらい、妻は「じゃ、私はもう行きますよ。」と玄関口から声をかけた。夫は飲んだくれて寝たまま、「ああ、」と言ったか言わなかったか、妻も娘もはっきりした言葉は聞いていない。

 

その数日後、心臓のアタックで急死した。食卓には買ってきた惣菜があり、食べたような跡があった。エアコンがずっとかけっぱなしで一度もカーテンが開かないのを近所の人が不審に思い、民生委員が庭から覗いたら、人が横たわっているようなのが見えたが、猛烈な数のハエが家中を飛び回り、悪臭がした。警察の処理班が来て、窓を開け、ウジがたかりまくった死体を専用のビニール袋に入れ、チャックをし、司法解剖に持って出た。他のスタッフが窓という窓を全部開けた。夥しい数のハエが、一目散に空に向かって駆け抜けた。

 

チャックを開けたのはどこのスタッフだろうか。気の毒に・・・。ウジを洗い流してからの解剖だろうか?殺虫、消毒薬に漬けるのだろうか?? あっさり死ねて死んだ人の死に方はいいが、後が悪かった。家族にも迷惑をかけまくった。別れかけていた奥さんは事件じゃないかと疑われたが娘が一緒だったしペースメーカーのこともあって疑いはすぐに晴れた。

 

別に死んでからウジが湧こうが家が臭かろうが誰に迷惑をかけようが構わないというならつける薬はない。死に方、というか、そこに来るまでの生き方の問題である。

 

 

#小学生の娘が一人いる気立てのいいスタッフKが、いきなり改めてやってきて、「実は離婚しました。」という。驚いてしばらく言葉がなかった。ナスコの1歳年上の彼女は夫とのなれそめを話していて(嫁に貰いに来てくれたとき親に)「私を世界で一番幸せにしてくれる人なんだから」と言った話を聞いていたからである。しかしその後何かの時にその話を出してからかったら、「あの時は、・・・そうだったんですけどね。」みたいな言い方をしたので一瞬引っかかったが仕事のことで忘れてしまっていた。ナスコがそう言ったなら、私は聞き逃しはしなかっただろう。もう少し話を聞いてやればよかった・・・・。

 

ナ「それで・・・名前はどうするの?」

K「今のまま行きます。」

ナ「もとは何という名前?」 

K「K○、と言いました。」

ナ「・・・・K○の方がいいんじゃない? 名前としては綺麗な名前じゃない?」

K「そうなんです。私も、(相手の名前は)もう見たくもない嫌な名前です。でも子供が・・・名前が変わってしまうので・・・ただでさえ不安定な思いをさせているのに、この上負担をかけたくなくて・・・。」

ウーン・・・・。そうか。

ナ「別れる理由を、聞いてもいいかな。」

K「構いません。別に女が出来て家に帰らなくなったんです。お金も入れないし。たまに帰ってくるとものすごい言葉のDVで・・・」 聞くに堪えない。

 

私は悔しい。

 

私は、とても悔しい。

 

 

 

別のスタッフとも最近同じような話をした。独身で子供が二人いるのは知っていたが、

「入舟美波(仮名)」って、綺麗な名前ねえ。今まで見た中で一番きれいな名前だわ。」と言うと、

「ええ、でも、別れた旦那の名前なんです。見たくもない大嫌いな名前だけど、子供たちの姓が変わると学校でいじめられるといけないので・・・・」

 

こんな話、多いのかな。最近夫婦別姓とか、仕事上で旧姓を使うことが裁判になって敗訴しているけれど、今の法律は男が明治時代に男社会として作ったもので、未だに特に法曹界には男の感覚が残りすぎている。私の職場では離婚している人も結構いるが、殆どの人が夫からは慰謝料も養育費も貰っていない。その上夫の姓を名乗れというのはいくらなんでも無理がないか? 裁判所は現実を知らないにもほどがある。

 

 

いつか、もう少し女が生きやすい日本にするためには、もう少し積極的に女が沢山世に出て働かねばならない。103万以下だの130万以下だのケチなこと言ってないで、きっちり一人前働いて自前の健康保険と年金を持つべきだ。サラリーマンの奥さんの年金額は月8万円だと知っているのだろうか? これでは夫に何をされても、仕事をして来なかった女は離婚できない。もっと女が有利になるために、たくさんの女性に働いてほしい。私は痛切にそう思っている。そうしないと、男社会が出来上がっている今の日本で自分たち女が生きやすい社会にすることは出来ない。

 

 

 

#頭のおかしいクレーマーに追いかけられて10日ばかりは仕事にならなかった。最近精神科は本当に頭のおかしい人を「人権」の関係で病院から在宅にどんどん返しているが、そのために起きる殺人事件や致傷の多いこと多いこと。何とかしてもらいたい。

 

#長々とすみません。何しろ一ケ月半分なので・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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