ナオザエモンの碑

 

 

#亡くなった父が、大切にしていた先祖がいる。ナオザエモンという人物で、天保3年、1832年の生まれであるから180年ばかり前の人、ということになる。

西郷隆盛の戊辰の役に従軍して、西郷の弟と共に長岡の激戦で亡くなった。

 

死後どういう状況だったか分からないが、近くの金谷山というところに双方の戦死者は合祀されたらしい。父が元気だった時にナオザエモンの墓参に行こうと言ったことがあったが、私はまだ若くて全く興味のない年頃だったし、父は一緒に動くには非常にめんどくさい人だったのであっさり断った。鹿児島から墓参団が結成されて、その人々と共に父は出かけて行った。

 

幕府はもうだめだから官軍に恭順したいと思っていた人は長岡藩にも多々おられたようだが、結果として、両者は激しい戦闘に突入した。長岡藩には河合継之助という優れた家老がいて、戦闘は熾烈をきわめた。そしてうちのナオザエモンは、腰の辺りに被弾し、一か月後に亡くなっている。おそらく敗血症か、破傷風でなかったかと思う。西郷の弟とともにこの地で亡くなった。

 

西郷隆盛は弟とともにナオザエモンも弔って下さり、京都の通天橋の紅葉で有名な東福寺の一角に立派な弔いの碑を建立した。そこに、ナオザエモンの名前も刻まれている、私も妹や母と共に何度か見に行った。我々の郷里は通称谷山と言われるところ。越後の金谷山(かなだにやま、と言うのだろうか?)の名前をナオザエモンは見ただろうから、死ぬ間際きっと故郷を思い出しただろう。帰りたかっただろうと思う。

 

 

 

#数年前のある日、地元のふるさと谷山まつり、という賑わっているんだかいないんだか分からない田舎の祭りをぶらぶら歩いていた。数冊本を並べて素人臭く本を売っているのを見かけた。「谷山の歴史と文化財(谷山観光協会発行)」・・・・ふーん。一冊買ってみる。帰宅してぱらぱらと読んでいてびっくりした。「東谷山、安◎さん宅にある碑」には 大脇某、鬼丸某、◎◎直左衛門・・・・ え? ナオザエモン??? うちの! うちのナオザエモンだ!! 安◎さん敷地内にあるが頼めば見せてくれるので見たい人は行ってみなさい、と書いてあった。

 

碑文は、むかしこの辺りは湿地で、鶴が沢山渡来していたのを、捕獲して飼育していた。文久4年、鹿児島一帯に疱瘡(天然痘)が流行って、その疱瘡のできものに鶴の膏(あぶら)を塗ると効果があると藩主忠義公が聞いて飼育の鶴を膏にして病人を救えと命ぜられ大いに効験があった。そして数名の名前が書かれている。

本にはそれしか書いていない。

 

 

私はそれから幾度も東谷山に出向き、安◎という家を探した。安◎という姓はありそうであまりない名字だった。安も◎も名字にはよく使われる字だが、この二つを取り合わせることはあまりない。

今まで聞いたことが無いが、そういえば東谷山には何軒かあった。ナスコの幼稚園もこの辺りにあり、同級の子に安◎という子がいたっけ。しかし、表札を見て見ず知らずの家にピンポンして「お宅に古い、名前が彫ってある石はありませんか、と聞いて回る勇気もなく、結局そのままになった。

 

 

 

 

#ナスコに赤ん坊が生まれ、夫の母が写真を送れとうるさいので(もう一度は送っているのだけど)東谷山の写真屋にプリントを注文する。先週金曜日の夕方だった。

 

 

店長「実は、ですねえ、ノルマで、うちの店で今日中にiphone7を7台売らないといけないんです。最後の一台がどうしても売れなくて困ってるんですが・・・破格の条件です、買いませんか?」

つい数日前うちのスタッフに「今度のiphone7は売れないよ。防水機能が付きました、ってそんなもん付かんでも わたしゃ一度も水に落としたことなんかないし。私は、絶対買わない。もう十分だよ、機能的には。iPhoneもジョブスが死んじゃったのが運の尽きだね。大体高すぎるし。」と言ったばっかり。買うもんかね。

 

 

ところが。

 

 

条件を聞くと確かにいい。3ケ月くらいは今の機種代が残ってるから3500円ばかり高くなるのだけどそのあとは今の料金より2000円ほど安くなる。

 

・・・・・うむ! 買おう。

 

 

急転直下私は新しいiphoneを買うことになり、夕方から手続きに入った。iphoneを売るのはあまり慣れてない店舗らしく手続きはうんと時間がかかり、データの移行はしょっちゅう行き詰まって、店長はオタクの詳しい部下をたびたび大声で呼んだ。「やす◎〜! やす◎〜!」

 

東谷山の安◎・・・・? どっかで聞いたような?

 

 

私の胸はだんだんどきどきしはじめた。このお兄ちゃんは安◎さんというのか! しかし、なんと言って話しかけたもんか・・・。

 

 

 

ナ「あのう、あなた安◎さんとおっしゃるの?」

安「はい。」

ナ「安◎さんてこの辺にお住まい?割と珍しい名字ですよね?」

安「はい。東谷山以外では聞いたことが無い名前ですね。」

ナ「あのう、私、もう何年も前から東谷山に住んでいる安◎さんを探していたの。実は、石を探していてね。東谷山の安◎さんの家の庭にあるということは分かっているんだけど。人の名前が書いてある古い石なの。江戸時代くらいの。どなたかご親戚の家か何かにそんな石があるという話を聞いたことは無いかしら? 何か知らない?」

安「ああ! 知ってますよ。うちのじぃちゃんちです。」 えっ! えっ! えええええええーーーーっ!

 

 

鳥肌が立った。

 

 

 

 

#ナ「私はその石に名前が彫ってある人の子孫で、谷山観光協会の本でうちの先祖の名前を見つけ、安◎さんちにある話を知ったの。何年もあの辺りの安◎さんちを探し回ったんだけど分からなくてね。知らない家にピンポンしてあなたの家に石がないか、って聞いて回るのも変じゃない?そんな勇気ないし。ああ、私は今日ものすごく幸せ者だわ! なんでiphone買うことになったのか分かった。これはナオザエモンの引き合わせだわ!!」

 

彼は丁寧ににじいちゃんちを教えてくれ、私は、じいちゃんに宜しく言っておいてくれ、私が必ず行くと。くれぐれもよろしく頼む、と言って別れた。

 

 

 

 

#数日、仕事やら何やらに振り回され、やっと水曜日の夕方、焼酎と和菓子を持ってその家を訪ねた。家は元職人だった人の家らしく、雑多な工作用具や板や部材が置いてある、藪蚊が乱舞するぼうぼうの家だった。親切そうなおばあさんが出てきて庭に回れと言う。80歳過ぎくらいだろうか、実直そうなおじいさんが庭に下りてきてくれた。

 

ナ「私はこの碑に書いてあるナオザエモンという人の子孫です。父がこのナオザエモンさんのことを大切にしていました。ここにその石があると聞いてやっと場所を探し当てて来ました。先日、写真屋にお勤めのお孫さんと偶然その話になって分かったんです。あの、見せてもらってもいいですか?」

 

どうぞどうぞ、と言われてうちのナオザエモンの名前を探す。

 

あった。

 

あった。

 

ナオザエモンは180年前の時代に生きていて、この碑を見たに違いない。自分の名前が彫られたのを誇らしく触れただろう。感無量。

 

おじいさん「時々見たいと言う人が訪ねてきますが、この碑に名前が出ている人の子孫だというのはあなたが初めてですよ。元は隣の家もうちの地所で、そっちにあったんだが、私の伯父が売ってしまってね。私が慌ててこっちに運んで来たんだけど、その時に上が割れてしまったんです。」

 

よくぞナオザエモンのところが割れなかったことよ。

私の名刺と菓子と焼酎を渡すと、こんなことせんでも、と押し返すのを、

ナ「うちの先祖のナオザエモンは今日までこれを大切に守ってくれてありがとう、と必ず思っているはずです。

本当に本当にありがとうございます。これはナオザエモンの供養です、大したものではありませんが。

父はナオザエモンが大好きでしたから、父が生きていたら見せてやりたかったです。

父は必ず何か持って行ってお礼を言ってくれと言うはずです。

どうか、どうかこれからもこの石を宜しくお願いします。」

 

正直に言えばこの石が邪けんに扱われていたら、

「要らなくなったら買うから譲ってくれ」と言いおいて帰るつもりだったがおじいさんが大切にして下さっているので安心して帰ってきた。

 

 

 

#いつか長岡に行こうと思う。

 

私もあの時の父の年に、なったのだな。

 

長岡に行って10年を待たず父は最初の発作で倒れている。

 

私も、自由に動けるのはあと10年くらいなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 14:49 | comments(0) | - | pookmark |
暑過ぎた夏のラプソディ

 

今日の空

 

#子供たちがそれぞれ家を出て老夫婦二人暮らしになって、後はどちらか一方が病気で入院するなり死ぬなりすればこの人生もとうとう一人暮らしになるのね、私が死んだら(自分が残ると思っている)この家も消滅か、と思っていたところだったが。

 

7月下旬にナスキが夏休みで帰省し、31日にナスコが金ちゃんを産んで里帰り。婿が帰りに立ち寄り夕食を共にするということになって このところコメの消費が激しいなと思ったらいつの間にか我が家の頭数が増えている。夫、私、ナスキ、婿、ナスコ、金ちゃん、猫。人生とは分からないものである。人の一生とは集合離散で行くものなのか。夏も終わりに近づき、ナスキは「地獄のような(に働かされた)夏だった」と評して自分のテリトリーへ帰っていった。

 


 

 

 

#金ちゃんはこの30日で生まれて一か月になる。ナスコは丈夫な産褥婦で、裾も切って縫合もしたというのに10日も経たないうちから「ちょっと銀行に行ってくる」と自転車に乗って銀行まで出かけた、と、金ちゃんのお守りを押し付けられたナスキが言いつけに来た。うちの自転車は電動アシストのついたヤツではあるが、通常一か月は床上げをせず安静にしていなさいという時期になんということであろうか! 

問いただしたところ、私の帰宅を待っていると100円の時間外手数料の時間帯でしか動けないので勿体ないと思った、とのこと。それで具合悪くなって病院にかかったら100円では済まない、と苦言を呈した。

 

鹿児島はこの夏、経験したことが無い程暑い夏だった。先週は一番暑いときの外気温(自家用車についている温度計)が38度というのを見た。ある日帰ってみると、ナスコ(着衣)が椅子に座ってミルクをやっている。(混合栄養)ところがなぜか赤ん坊はおむつもつけていないスッポンポン。一体どうしたのか聞いたら暑いし(クーラーつけれ!・ナスコはクーラーが嫌い・しかし37度だぞ!)おむつかぶれが気になるとのこと。(おむつかぶれはうんちした後すぐ洗面器につけてさっと洗って、すぐおむつを巻かずに少し乾かしなさいと私が言ったのだが)

 

 

スッポンポンの赤ん坊(♂)が哺乳瓶でミルクを飲んでいるの図はちょっと動物的でシュールだった・・・・。ナスコももう今年で30歳になるのだけれど、私も30の時ってこんなもんだったんだろうか?????

 

 

 

#金ちゃんは生後すぐの血液検査でドクターが感心しないものが一つあり、「早産の子にはよくあることで大した異常ではないので日を追って多分消えるでしょう」とのこと。しかしドクターが感心してくれる数値になるまで「再検査を繰り返さないといけない」ことになった。「ミルクの飲みもいいし、順調に体重増加もあっているので多分大丈夫でしょう」とも言ってもらった。

ナスコにはどういう赤さんが出るかは分からないんだよと何度も言ってあったけどこれくらいのことで、ナスコはその夕方は気落ちしてシクシク倒れていた。安静にするよう言ったのに、暑い中自転車に乗ったり、新生児を連れて自分の家に行き、掃除をしたりしたので疲れもあっただろうが、産後の急激なホルモンの乱調で平時の精神状態ではないのかもしれない。

 

 

 

#先に孫を持った友人たちが、「昔から言う通り、孫は来て良し、帰って良し、だよ。」と言うのを、嬉しいばかりだろうにどうして?と思っていたけれど、確かにそろそろ帰ってくれるとありがたいと思うようになった。婿の食事は慣れないのでかなり面倒だ。向こうも遠慮して好き嫌いは言わないしいつも全部食べて帰っていくけれど、本当は味付けにいろいろ好みもあるだろうし 油物は胃弱なたちなのでフライ、てんぷら等はNG。和食って結構手がかかるんだよねえ。仕事のあと買い物、料理が毎日となると、夫と二人だとかなり楽ちんで気ままに暮らしていただけにちょっときつい。おまけに婿の両親も赤ちゃんを見に来ると分かっていたので、ナスコが産気づいたと聞いた夫はすぐ庭に出て掃除をしていた。庭が草ぼうぼうだったのである。来週日曜日、お宮参りをしてご一行様はお帰りになる。やれやれ。

 

 

 

#保健婦さんが一カ月前の訪問にやってきた。順調に発育しており、標準一日30〜50の発育のところ53グラム、ちょっとミルク控えても?的なアドバイスだったらしい。ミルクを足すと赤ん坊はすぐ太るんだよな。

金ちゃんは標準量を一気に飲み切ってもっと欲しがっているので、吐かない程度にミルクをやり、3時間できちきちやっている哺乳の時間間隔をもう少し開けるようアドバイスした。保健婦さんが聞いたらクレームが来そうだが、私はそれで1、2カ月くらいから夜は5時間空けた。子供も起きなかったし。標準70奸80佞覆里如3時間おきだと一日8回、560佞らい飲んでいるわけだが、何も3時間に1回やらなくても、1日560佞らい飲んでいれば時間は適当に調整すべきだと私は思う。

 

 

ナスコの姑は保健師の資格を持っている人で、姑の姉は助産師で現役で教えている人なので、実は母乳保育には割とうるさい家なのだった。生まれた後に母乳保育関係の本が沢山届いた。母乳は30佞らいしか出ていないんじゃないかと思いつつ、私はちっとも構わないと思っているのだけど、向こうの家に行ったときにミルクを足すところを見られた時の反応が心配。私もあんまり出なかったし別にミルクでも全然かまわないやと思っている人なので、・・・。ナスコに乳もみ屋を勧めてみたが、気乗りしなさそうだった。

 

 

ナスコやナスキが生まれたときのこと、実家の妹が生まれた時のこと、どんなふうに育てたかをかなり具体的に説明しておいた。娘のお産の時実家の母親がしっかりついているのといないのとでは有利、不利がかなり違うと思う。私は母とあまり仲が良くなかったが、母は産婦人科を開業していたのでたぶん当時で最も恵まれた産褥婦だったかもしれない。分娩こそ長期入院で大変だったが、1ヶ月の間は病院備え付けのミルク(業者がタダで持ってくる)、業務用のおしめ(当時紙おむつが出始めた頃でほとんどはまだ布だった)は洗う必要がなく、赤ちゃんの沐浴は沐浴室でうちの看護師さんが入れてくれたから本当に楽ちんだった。

 

 

だから、父が、

「お前、明日お宮参りが済んだら一旦自分の家へ帰れ。」と言った時はショックであ〜ん(泣)な甘ったれだった。今思えば、命の危機に瀕したお産は思ったより侵襲が大きく、かなり重いマタニティブルーになっていたと思う。

父「とにかく、一旦帰れ。また来るのはいつ来ても構わないから。それがケジメというものだ。」と言った言葉に内心、こんな首がぐらぐらする子を抱えてそうそう行ったり来たりできるもんかい、と思ったが、今思うと父の意見は全くその通りなのだった。一旦帰らないと私たち夫婦はきっちり自立出来ない危険があった。

 

ナスコにもそのことを話し、来週お宮参りが済んだら一旦自分の家へ帰るよう促した。「おじぃちゃんの遺言だから。」(笑)

 

 

一昨日、台風の影響かものすごい雨が降った。数時間だったが、このところの路面の乾燥で 夜、車で出かけたら路面から水蒸気が立ち登っている。焼け石に水状態? 

 

 

今朝は秋の到来を思わせる涼しい風が初めて吹いた。

そういえばやかましく鳴いていた蝉が、今日はいつもの1割くらいしか鳴いてない。

 

 

そして私たち夫婦の、この暑すぎた夏のラプソディはやっと終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 17:13 | comments(0) | - | pookmark |
はじめまして。こんばんは。

 

 

#7月30日土曜日。翌日が日曜ということで夜更かしをした。油断だった。夕方ちょっと眠ったので体力はばっちり。一晩中本を読み、音楽を聴き、ヨガをし、眠ろうと思ったら眠れない。興奮しすぎたか・・・・。ちうことで眠たくないならこれ幸いと、尚頑張って遊んだ。明け方5時頃さすがに眠くなり爆睡。気持ちよくぐーぐー朝寝を決め込んでいると携帯が鳴った。ち。

 

電話はナスコからで、「おなかが痛い。ちょっと出血した。」という。

・・・・え? どれくらい? というと「少し。生理の初日くらい。」妊娠36週4日の朝だった。トラブルかな? おしるしかな。これは来るかもな。37週まではお腹に入れておきたかったけど出てくるというなら仕方がない。2,3日のことなら医者は待たずにお産にすると言うだろう。かねてより産婦人科の医者だった母から、子供は3000gを越えると途端に出にくくなる。難産になることを考えると、40週の少し前に、3000gより少し小さいくらいで産むのが一番いい。37週が来たらせっせと歩いて早く産気づくのがいい、と聞いていたのでナスコにそう言ってあった。

 

 

夫はランニングに出かけていなかった。ナスコのところも今日は婿は勤務で出かけたとのこと。支度をして都合よく夏休みで帰省していたナスキを乗せ、出かけようとしていると、夫の実家から電話。

「トド子(問題の多い夫の妹)が暴れてお父ちゃんを箒の柄で殴ってるの! お父ちゃんの腕が凄く腫れてる。ナスカさん、どうしよう!警察呼ぼうか? 呼んだ方がいいと思う?」 

・・・・・正直、どうでもよかった。「そうしましょう、お義母さん。」適当に返事をして電話を切り、出かけようとすると、また電話、義母から。今度はちょっと状況が落ち着いて、警察は義父が反対してやめた。義弟のところの姪のリリーの結婚が決まってどうのこうのどうのこうの・・・・。数分つきあったが、

「お義母さんすいません、ナスコが産気づいたみたいでこれから病院に連れに行くところなんです。その話はまた。」と言うとあっという間に電話は切れた。もうどうでもいいや。

 

 

 

ちうわけでナスコを拾って病院へ。10時前に着いて診てもらった。

「特に異常はありません。ちょっと早いけどお産になると思います。子宮口は2センチ開いている」と言われた。この時は10分おきくらいの陣痛だったが夕方4,5分間隔になった。この間ずっとナスコの腰をさすり通し。18時、この時点で子宮口は9.5センチ。ずっとついて面倒を見てくれていた看護師さんは交代の時間。

「日付が変わる前に生まれますよ。」励ますように残していった言葉にすがる気持ちになる。

 

 

ところが何も食べないしナスコも夕べは夜更かししていて眠い。くたびれて力尽き、うとうとすると陣痛は遠のいていった。(おーい!)せっかく4,5分まで行ったのに10分間隔、って何よ・・・。また振り出しに戻るのか?? 

こっちが力尽きそうだよ(号泣) 

実は私も前夜、テレビとビデオとヨガで遊んでいたのだ。

既に病院に来てから8時間以上、夫と私と息子の3交代でずっと痛がるナスコの腰をさすり続け、私の手のひらはもう痺れて擦り切れそうだった。手のひらはあまりにさすると痺れると初めて知った。この分だと日付またぐかなあ。

夫「月曜日は俺仕事だから12時には帰る。」 えーっ ・・・・私もしごとなんですけど。

息子「えー 俺だけかよー かよー かよー」

ナ「ここだけ持ちこたえてくれれば一生お姉ちゃんに恩を売っていいから!」

 

 

しかし、状況は何とか持ち直し、1時間ほど待つうちにどんどん陣痛は強くなった。ナスコは全く声をあげず、本人曰く「叫んだりして無駄なエネルギーは絶対使わない」んだそうだ。看護師さんにもこんなに静かなお産はめったにないと褒められた。隣りの部屋の人はずっと静かだったが15分間くらい熊と虎が大喧嘩しているような声を上げたかと思うと一瞬静かになり、オギャーオギャーと定番の声。ああ、いいなあ・・・。生まれたんだ。

 

 

21時半を回ったころ、病室が慌ただしくなった。いよいよお産になります、と言う。夫と息子と私との立ち合いを希望していたので、

「邪魔にならないよう頭側に居て下さい。」

21時45分頃。もうそこまで来ているらしいがなかなか出ない。ナスコは汗と涙でべしょべしょ。それでも感心に声は出さなかった。

もう最後のいきみの辺りなんだけど。

5,6回大きないきみを繰り返したがどうも自力ではこれ以上は難しそうだった。

ということでドクター登場。ささっと局所麻酔を打って さあ いきめ! ちょちょっと開口部をドクターが切って、ドクターの合図で看護師さんがナスコのお腹に、「ちょっとごめんねー」と自分の上半身を乗せて押す。

「それ!いきめ!」の合図でその場にいた全員がいきんで赤ちゃんが出て来た。

ナスコ 「(看護婦さんに乗っかられて)ギュウ」

赤ちゃん「ギャー」

赤ちゃんは生まれて、すぐに助産師さんが赤ちゃんを保育器に入れ、鼻と口、喉の奥までの水分や汚れを吸引し、体表の脂や血や汚れをざっとふき取った。不快だったんだろう、赤ん坊は大きな声でギャーギャー泣いた。

 

 

やれやれ。生まれたよ。

 

 

 

 

#私は二人とも帝王切開で産んでいるので、こんなに大変だとは知らなかった。

良かったぁ・・・私にはこれは無理だったよ。

これからすると初めから予定されている帝王切開(予定帝切)って楽でいい、と心底思う。

仕事で来れなかった婿に何度かLINEを入れていた。

婿に「生まれた」と打つと「すぐ行きます」と返信があって、15分ほどでやってきた。

 

客観的に見ると、帝王切開の私の産んだ赤ちゃんの方が頭の形が変形していないし、色も赤くなくて白いままで器量よしだったな。ナスコは抱かせてもらって、「金ちゃん、金ちゃん、(仮名)」と既に決めていた名前を呼んだ。

 

 

私は。

別にいいや。抱かなくても。

娘が無事で五体満足な元気な赤ちゃんが生まれただけで、首がぐらぐらで裸の赤ん坊を抱っこしたいとは全然思わなかった。

下手に抱っこして落としでもしたら大変だし、周りの人目を気にしながら言葉の分からない赤ん坊に何と言葉をかけていいか分からなかった。この世にいなかったものがこの世に存在するようになったという事実の重みだけを ただかみしめた。

 

 

初めまして。こんばんは。

 

そして。

 

ナスカお婆ちゃん誕生。

 

 

 

 

 

30年前のナスコ(生後1ヶ月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| - | 15:40 | comments(0) | - | pookmark |
県外に住む学生の投票権を考える

 

 

#京都の何神社だったか忘れたが、立ち寄った神社の境内でシュールな光景を見た。

初めは何をやってるのか分からなかったけれど 桜の神社を背景にファッション雑誌のグラビアでも撮っているのか。

桜に衣装はいいとして、地面がこぎたない。

 

可笑しいのはその3メートルほど横で、雨漏りに屋根にかけるブルーシートを敷いて女子供の10人ばかりが花見の宴会をしている。ファンタジーとリアルが奇妙に交錯するシーンだった。nonnonとかの表紙になりそうないでたちだが、どことなくミスマッチ?前はどんなデザインの服なのか大いに興味はあったけれど、回りこんで見る勇気はなかった。(まして写メる勇気はもっとない)

 

 

 

#ツイッターで私が某落選知事を嫌っていたのはここに立ち寄る方々は多分ご存知だと思うが、思ったより彼の票が伸びたのには驚いた。これでも私は50人くらいには声をかけて「絶対にあいつを再選するのはやめようや、」と言っていたので(女を敵に回すと恐ろしいのだ)立候補者は二人だったから、50人が減って反対側に動けば私のせいで100票は違ったことになる。この期に及んで一体誰があいつに入れたんだ? と思ったが、原発の九州電力関係、地元の川内(せんだい)市内には利害の関係で彼に多く入れたらしい。癒着が囁かれる医師会とは関係ない某T医療団体とか、土建業者とか。いや、私が言ったのではない、今月号の雑誌「選択」にも堂々と書いてあった。

 

 

鹿児島は民度が低いとか、核汚染物質のゴミは全部鹿児島県に引き取って貰おう 鹿児島県民は何でも総務省のいう事はOKらしいから、とか、去年大学に進学した女子の母親は近所の人に「よく進学を許されましたねえ? 普通あり得ないけど」と言われたとか、だからまあ、伊藤鹿児島県知事の県庁であった鹿児島県総合教育会議で「女には花の名前や社会の事象など教えておけばいい。サインコサインは教える必要はない」などという発言につながる。その感覚で政治をされたんじゃたまったもんじゃない。東大法学部卒だそうだが、東大法学部とはそんなにも男尊女卑を教える学校なんだろうか。

 

 

 

#先週金曜日の南日本新聞。

ーーーーー南日本新聞が県内43市町村のうち19市に聞いたところ、鹿児島市など9市が「進学して市外にいれば投票は認められない」との見解を示した。姶良市選管は今回の参院選・知事選で「県外に住む学生の不在者投票の申請を不受理にした。」という。公職選挙法では居住実体のない人は投票出来ないことになっており、住民票居住実体がないとは同市にあるものの「不現住扱い」となった。

奄美市と鹿屋市選管も不在理由が学業なら直接確認し、居住実体がないと「投票を断る」という。

 

一方、南九州市、枕崎、出水、阿久根、伊佐、志布志の6市は、、地元を離れて市街で暮らす下宿生の不在者投票を認めている。伊佐市は住民票を地元に残し、県外へ進学した子供を持つ親から相談があれば、不在者投票を勧めている。

 

他にも

総務省選挙課は「転居にあたっては住民票を移動してほしい」と強調。

最高裁判例では「学生の住所地は就学地」

「県内にいない人が他県の知事選で投票するのはおかしい」

「投票すれば違法」

ーーーーー(一部略)

 

 

しかーし。ちょっと待ってもらいたい。うちも息子が県外に出ているが、住民票は移していない。実は、「お願いだから、大学を出たら帰ってきてね、あなたの故郷はここよ。」との親の最後のこだわりの部分でもある。それがいいかどうかは別として、鹿児島県、または鹿児島市にとってどちらが得か考えてもらいたい。移してしまえば帰属意識はそちらに変わる。

 

 

鹿児島県は全国一生徒数の多い小学校がある。我が家からそう遠くない校区だ。最近法律が変わって休耕田などでぶらぶらさせていると税金がかかるらしく、かなりまとまった広い田畑がどんどん売りに出た。そこにどんどん家が建ち、そこで子供が沢山生まれた、という理由によるらしい。この子たちは高校までここで過ごすが、進学で大方が家を出る。しかも多くは県外の都会に。そして卒業しても仕事がないから帰ってこない。ただでさえ過疎が進む県内の人口はどんどん減る。初等教育でお金をかけるだけかけて、やっと働き手になって税金を回収できる時になって都会に取られてしまうのだ。

 

 

・・・・住民票は実家に残しておいた方がいいんじゃないか?でないと更に人口が減れば2県の合区どころか、当選者は南九州で1人などということになりかねない。田舎には更に不利になり、都会は更に有利になる。

北九州市が百万都市だったのが、人口減少で ある時百万を下回りそうになった。急遽実家を離れている学生の住民票をかき集めて百万を維持したという話を聞いたことがある。

 

今回のこんなに盛り上がった選挙でさえ、全国平均の投票率は54.7%。鹿児島県の投票率は56.77%。

インターネット投票さえ視野に入ったという世に、自分とかかわりのある知事選なら 実家の方でも居住区のほうでもどっちでもいいではないか。大切なのはみんなに投票させることだと思うが。違法になるのなら法律を変えればよい。時代は変わったのだ。

 

 

 

 

 

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コーヒーチェリー

 

 

#正直、コーヒーより紅茶派なので、コーヒー豆がまだ木にある時、こんなにも可愛いなりをしているとは知らなんだ。コーヒーチェリーというそうな。ぴったりの名前ねー。アイスショーを見に神戸に行ったんだけど、ホテルのすぐ近くにUCC珈琲館というミニ博物館みたいなのがあって、コーヒーの試飲も出来るしおススメですよ、とタクシーの運ちゃんに言われてちょっと行ってみることに。羽生結弦・命! という友人が連れて来た。(もう50もとっくに過ぎているんだに結弦君に恋をしているんだそうな)(なんだか羨ましいような羨ましくないような。)しかし、そんな友人でもいないことにはわざわざ神戸まで行ってアイスショーを見ようなんていうことにはならない。友人とは有り難い。

 

 

#ナスコの赤ん坊は男の子ということが判明し、金ちゃんという「たばこ屋日記名」をつけた。名前が無いとこの世に命が確定していないようで心もとない。先日ナスコと初めての赤ん坊の服を買いに出かけたら、「金」という大きな刺繍をした腹巻を売っていた。かなり売れ筋とのこと。うーむ。私と同じ感覚のやつがいるんだな・・・・。

 

というわけで金ちゃんの腹巻を買った。子供の名前は、男なら金ちゃん、女ならダイヤちゃんと決めていた。金の腹巻はあったが、この次、女だった場合、ダイヤという腹巻はないだろうなァ。さてどうしたものか。作るか? ナスコの舅姑はとても喜んでくれたそうだが、最初の子は女がええんじゃがのう。女ならちょっとくらい失敗?しても大勢に影響はないし、(男女差別だ!)体も丈夫で育てやすいよね。大きくなると男の子は力仕事で役に立つんだけど。

 

 

#6月24日に赤丸をして「車検」と書いておいた。夫がそれを見て、「あんたも24日車検か! 俺も24日車検。」 えーーーーっ・・・ そんなところまでつきあってくれなくてもいいのに! 何の打ち合わせもしてないのにどうして同じ日に車検???? 意味わからん。こんな時、どうも夫と私は同じ守護霊なのかなと思ったりする。守護霊さまはめんどくさいので、同じ日にしたのだ!

 

 

#夫の両親が、長男の責任として我が家の墓を建てろと言ってきた。義父は三男で初代となる。何であんたらの墓をうちが建てるの?と思わずイラッとするが、嫁業はさぼれるだけさぼっているのでまあ 墓くらいはいいかと思いなおす。どうせ墓参りも私がしないといけないのだからできるだけ簡単に済むようにしよう。折よく実家の墓の列を挟んだ向かいの区画が空いた。実家の墓はもともと市街地にあったが(大昔は田んぼの中だったと思われる)市が土葬を掘り返して焼いて再び墓に入れる(改葬)操作をする時、その市街地に点在していた墓を一か所にまとめたのだ。なので実家の分は無料だったが、新たに区画を使うとなると抽選の上15万円で永代使用権を取得することになる。条件として面倒をみる責任者は墓参して墓が草ぼうぼうにならないようにしておかねばならない。というわけでみんな墓をセメントや石で固めてしまっていて、昔のまま土に砂利という家はうち以外ぽつぽつしかない。

 

先年くじ引きがあり、首尾よくうちの向いが貰えることになった。助かる。墓参りが一篇に済む。最初はそれしか考えていなかったが、後になってみると自分が入るのに実家の向いかあ。舅や姑と一緒に墓に入るのもヤだけど、父母の向いってのもちょっとなァ。永遠にあの父母に頭を押さえられるみたいで。出来たらもう すっかり焼ききって灰にして撒いてもらうやつがいいんだけどなあ。実家は女の子二人で二人とも嫁に行って姓が違うので、実家の墓は私の後 もう見る人はいない。どっかで墓じまいすることかな。ファミリーヒストリー(NHK)なんかを見ると、墓でルーツをたどる場面が出てくる。墓がなくなると子孫が自分のルーツを探した時、不明ということになるかな・・・・。取りあえず私が死んでしばらくした後に実家の墓じまいしてくれと息子に頼んでおくとするか。

 

 

#もう一つ気になっていることがある。父は3歳の時に母親(私の祖母)を亡くし、父親(私の祖父)は婿養子だったので妻が死んで、もうその家にはいつかず、父が6歳の時に父を祖母に預けて家を出た。父は母親の墓に行くたび「これがお母さんだよ」と言われ続けた花崗岩の墓石を生涯大切にした。当時土葬だったが、私が10歳のころ墓を改葬することになり、横浜に住んでいた父は単身郷里に帰って墓の移設に立ち会った。改葬とはなんと恐ろしいものだろう。棺を掘り出して、蓋を開け、中身を確認し土などの汚れを綺麗に洗い流して(土がついていると火葬場に入れられない)火葬して埋葬するという手続きを基本的には取るらしい。

 

父は「棺の蓋を閉める時、自分の髪の毛を引き抜いてお母さんの棺に入れて来た」んだって。とは後日、当時私を育ててくれていた祖母が私に言ったこと。

その時はもとあった花崗岩の墓石を再度立てたが、この墓石には姓名が書かれていたため一人分の墓石なのだった。自分や自分の妻が入るためには◎◎家の墓でなくてはならないと考えた父は墓石を建て直した。しかし母親と思って大切にしてきた花崗岩の墓石を捨てられなかった。結局(なんと)うちの事業所の駐車場に置いた。来客から「こんなところに置いてはいけない」と言われ、(勿論坊さんに頼んでお魂抜きはしてあるのでただの石なんだけど)結局、実家所有の誰も行かない山の中に置いてしまった。通常はお魂抜きの後石は粉砕するらしい。

 

 

父の死後 手を入れる人はなく山はすぐに草藪、そして雑木が生えて山になった。一度だけ行ったことがあるが、うっそうとした山の中にお墓(墓石)がぽつんとあるのは想像するだけで恐ろしい。そんなことをしていいんだろうか。魂の宿らない墓石には変なものがついたりしないんだろうか?

 

 

夫の家の墓石を建てるため、知り合いの墓石屋に行ったときこの話を聞いてみた。

 

石屋「名前は彫ってあるんですか?骨ははいってないんですね?」 

ナ「名前はフルネームで掘ってあります。骨はないです。お坊さんに頼んで墓石の魂抜きもしてあります。」

石屋「それを、誰かが見たり人に迷惑をかけたりすることはあるんですか?」

ナ「全く人目につかぬイタチも蛇も出放題の山の中です。父が生きている頃は梅林だったこともあって梅を取りに行くこともあったんですが、もう誰も行かないので場所も分かるかあやしいくらいです。ただ、民家が4〜500メートルくらい離れたところに、当時はありました。近くに市の管理の自然遊歩道があるんですが、そこからも全く見えません。」

石屋「うーーむ。じゃあいいんじゃないかなあ。誰の目にも触れず誰にも迷惑をかけない上に お坊さんが魂抜きをしてあるのであれば、それは墓石という形をとったモニュメントですよ。私はあなたのお父さんがそこまでしてその墓石を大切にした気持ちを買いたいですけどね・・・。」

 

 

簡単にその場所にいけるのならともかく、今頃の季節は特に蛇なんかがじゃらじゃらいそうで怖い。このまま放置、放念したいと思っている私には渡りに舟の意見だった。有り難くご意見に従うこととする。

 

 

#私も、もうちょっと短い日記をちょくちょく更新しようと思ってはいるのですが・・・・。


 

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